はいコチラ、酔っぱライ部

修理をめぐる冒険

2013 / 12 / 02

3日ほど前のこと。
通勤用に使っているバッグの留め金が壊れていることに気がついた。常々どうも外れやすいと気にはなっていたのだが、あらためて見てみるとバネがきかなくなってちゃんと止まらないことが原因と判明。

そういえば、と去年同じバッグの別のところの不調で修理に出した時のことを思い出したのでその場所を訪ねると、まったく別の店舗が入って跡形もなくなっている。
ネット検索でどうやらこの街の支店が閉鎖されたらしいことがわかり、やむなく二駅離れた比較的近場の支店へ持って行くことにしたものの未だ足を運ぶに至らず、替えの冬用カバンもないこととて少々の不便を感じながら日々使っている状態である(イマココ)。

また別の日。どうも接着が弱かったせいか修理から戻ってきた靴のカカトが剥がれかかっているので再度貼り直しを依頼した。さらに数日前にはオーディオ・コンポーネントの一部として使っていたカセット・デッキが壊れてそれを修理に出した。こちらは戻ってきて現在のところ快調に稼働中なのだが、かくしてこのところ修理に次ぐ修理の日々なのである。

が。

ついに大物の調子が悪くなってきた。車だ。
というわけで今回は「修理」についてのお話であります。

d20131203_pic1.jpg
ちょっとした手間でより美味しく、今回は「豚肉と野菜のポトフ」です

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思えば毎年寒くなると多かれ少なかれこういう現象は起きていた。症状は最低気温が10℃を下回るころから出始める。キーを回してエンジンをかける。普段からバッテリーのことは気にかけているのでセルは元気に回って始動はする。しかし正常なエンジン音にならないのだ。

ブボボ……とどうにも不穏な音を立てながら白煙を上げてアイドリングが安定しない。それでもアクセルを踏み続けているうちになんとかかんとか通常の状態に復帰するので走り出すのだが、ふいに止まって(アクセルを踏んでもプラグが爆発しない状態。俗に言うエンジン・ストール)しまう。この状態でエンジンをかけようとセルを回し続けるとバッテリーを消耗してセルすら回らなくなって停止。この現象で2度ほどJAFのお世話になった。

一度などは一般道で停止してしまい途方に暮れたものの、運良く(というか悪運よく)止まったのが某有名カー・ディーラーの前、メカニックの人にポータブル電源をつないでもらって難を逃れたこともある。

ともあれ「健全な状態」でないことは確かである。症状をいつもお世話になっている修理工場の主治医に説明して聞いてみると、これは旧車にありがちな現象で「オイル下がり」というらしい。シーリングの劣化が原因でエンジンが冷えている間に燃焼室にオイルが入ってしまい、その状態で始動するとそのオイルが燃えて白煙を出すというのである。

当方、あんな車(1981年製)に乗っているにもかかわらずメカニックに関しては「ド」のつく素人なので、なぜこの現象が冬場に限って起きるようになるかも今ひとつはっきりわかっていない。さらにいえば路上でバッテリーが切れて立往生してもポータブルなりブースターケーブルなりの外部電源をつないで再始動すればもう止まることがないのが不思議でしかたがない。なんだこれは? の思いでいっぱいだ。

そこでネット検索をかけてみると出るわ出るわ、旧車愛好家の多くが冬場になるとこの症状に悩まされていると知って「自分だけでない」と安心した。しかし安心して孤立感は払拭されたもののそれだけで根本的な問題はまったく解決しないのである。

とりあえずこの日は寒冷時の始動方法に関するレクチャーを受けて電話を切り、翌日それを試してみると、なるほど多少おぼつかないところはあるものの始動はできる。その後エンジンをきちんと暖機して走り出せば走行中に停止することもないようだ。

カンペキにこの症状を抑えるためには多額の費用がかかると聞いて、当面これで冬場を乗り切るしかないと覚悟を決めたものの、このところの修理に次ぐ修理にはほとほと疲れた。安価で修理ができるならもちろん直してしまうのだが古いものに限って言えばそういうケースはないに等しい。

こと「修理」という対応に費用がかさむのはそこに「需要」がないからで、「壊れれば捨てて新しいのを買う」のが主流なのだろう。たくさんのものの中から時間をかけて自分が気に入ったものを選び、オブジェクトとしての物体を長く使い続けることをしないのが大半で、「ものを大切にすると苦労する」のはいかがなものか、と毎度思う。

「消費経済を支えていない」ことに対する「報い」ともいえるこの状態に腹を立てているのはもう20代のころからだから、こちらがマイノリティであることは明白で、いいかげんあきらめて主流派に乗り換えれば良さそうなものだが、それをしないのはこちらが「アマノジャク」だからである。

とは言え「百万人といえども我行かん」と言うほどの見識や根性はないのでそのうちどこかであきらめざるを得ないだろうな、とは思う。そうして別れを告げた機械や道具は星の数ほどある。「矛を収めろ」という声が聞こえ始めてはいる、でも今のところはもう少し抵抗したいと思う今日このごろなのだった。

ところで僕が「百万といえども我行かん」というフレーズを知ったのは山本夏彦氏の本なのだけど、元は孟子の「千万人といえども我行かん」が本当だそうですね。誰が減らしたんだろう。やはり人口の多い中国のような国と比較すると人数の少ない日本では千万じゃなくて百万の方がしっくりくるんだろうか。

いずれにせよ、こうして使っているものが故障したり壊れたりするのはそれだけ使用期間が長いからで、となると「使っている方」も故障したり壊れたりするのが自然の摂理というもの。先日20年近くああでもないこうでもないと治療を続けていた奥歯の1本がついに治療不能の診断を受けて抜歯するに至ったのはそのいい例だ。

1本抜いた歯の前後の歯を使って橋を架ける、いわゆるブリッジという方法で切り抜けることにした(いちばん安い方法)のだが、こと人間の体となると機能の一部に不調が生じたからと言って「捨てて新しいものを買う」というわけにいかないのはご存じの通り。してみると、「道具としての物体」について常に新しいものを訴求するのは、おいそれと「捨てる」ことができぬ「肉体の存在」に対する「代償行為」であるか。

機械も道具も「今の機能で充分だよ」と言うのが正直なところ。もっと速い、もっと軽い、はいらない。「上昇志向がない」と言わば言え。機械や道具にとどまらず「肉体」にとっても「現状維持」こそが最上の「修理」ではないかと思うのだがいかが。。

 

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てなわけで今回のかんたんレシピは今年もやってきた「冬」を楽しむ一品「豚肉と野菜のポトフ」。時間はかかるけどカンタン激旨。ぜひお試しを。

d20131203_pic2.jpg でもまぁね。新しい機能もバンバン開発されるし、改良されたモノは今にまして魅力的で、宣伝文句に釣られてついつい「欲しく」なっちゃうんだよね。わかるわかる。
「欲しいものをガマンする」のを自分に納得させるためのムリヤリな論法であることは認めます。はい。かくして

「世の中に 金と女は仇なり はやく仇にめぐり遭いたし」


のオソマツ。今回はこの辺で。次回は12月14日更新の予定です。

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