まりりんの日々修行!

2009年02月27日

それにしても寒い一日ですねえ

もう、雪は見られないまま死ぬのかなと思っていたら、霙だけど白いものが降ってるじゃん。
なんか得したような不思議な気持ち。

がんになる前は、自分が死ぬことなど考えたこともなかったけど、がんになってからは、どんなことでも、いつも、再び体験できるかどうかを考えている。
残された時間そのものの価値が違うはずはないけれど、時間に限りがあることを知ると知らないとでは、大きな違いがあるだろう。

以前の副作用では味が分からないという悲しい味覚障害に陥ったが、今回は食べ物を口に入れると吐き気が込み上げてくる気持ちの悪い副作用に悩まされている。

コカコーラを傍らに置いて、吐き気がすると、コーラを口に含み、チリチリと炭酸の刺激で誤魔化し、ゲップで吐き気を追い払いながら最小限の食事を摂るという感じになっているが、もしかしたら、スマートなわたしになってしまうかもなのだ。

髪の毛はまだ、洗髪をせずに臭いまま過ごしているので、無事。
脱毛が嫌ならそれしか方法がないのである。
多少臭いくらいどうということはないし、だいたい、臭いとか臭いを嗅いでくれる人もいないわけだから、誰に迷惑をかけるでもないし、まあ、せいぜい自由にやらせていただきます。

それにしても、寒い一日ですねえ。

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2009年02月25日

そうか、肺炎が怖いのか...。

昨日はわりとすんなり息子との待ち合わせに成功。
携帯電話は本当に便利なもので、すでにわたしは、携帯なしには不便でしかたがない。

かといって、携帯の機能を熟知して楽しんでいるのかといえば、絶対にそういうことはない。
メールのみ。電話のみ。絵文字少々。のチョーおばさん的使用法なのだが、そんなのおばさん的であろうが、おじさん的であろうが、どうでもいい。

2階での採血を終え、4階でレントゲンを撮るために移動してすぐに携帯をチェックしたら「今大崎。で、どこへいけばいいの?」と息子からメールが入っていた。
返事を書いてすぐに4階に息子が現れたので、びっくりしてしまったが、わたしがメールをチェックしたのが遅かったのだろう。
もう少し遅れたら怒られるところだった。

抗がん剤の効き具合は1週間で効果が分かるものではなく、むしろ、白血球の減少が気になるようである。写真を見る限りでは、肺炎を起こすというような感じはないが、これから熱がでることがあるかもしれないから、38度を超えたら渡してある抗生剤を飲んで、それでも熱が下がらなかったら電話をするようにということだった。

そうか、肺炎が怖いのか…。

肺炎は風邪でも起こすし、細菌感染など、いろいろな場面で肺炎を起こしてと想定できるけど、案外身近なところにあるものが?最後に命の終焉の引き金を引いてしまうのか…。
など思いつつ、電車に揺られて家路についた。

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2009年02月21日

まだ髪の毛もがんばっているよ

抗がん剤投与から5日目。
なんとかなにもなく過ごしている強靭な身体と心を持つまりりんだけど、今日はお風呂に入って怯えながら、髪が絡まないように丁寧に洗髪したから、今日のところは脱毛のショックからは逃れることができた。

しかし、この抗がん剤は脱毛から逃れることはできないということなので、この次の入浴にはおそらく抜けてしまうだろう。1週間?10日位ということだからほんとにすぐだ。やっと生えたのによー。

今はほとんど普通人と同じに生えているわたしの髪だが、すでに、頭の地肌がぺたぺたしてきているので、準備オーケーなのねと覚悟はしている。

子供の頃祖父のはげ頭を触ってどうしてこんなにぺたぺたして光っているのだろうと不思議に思ったが、自分の毛が抜けてしまって同じ状態になったとき、祖父が脂性だたら、テカテカペタペタしていたわけではなかったのだと気がついた。

おじいちゃん、さんざん触って遊んでごめんね。

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2009年02月18日

ん?サイボーグBOO?

昨日は新しい抗がん剤に挑戦の日だった。
サイバーナイフの時もそうだったが、抗がん剤も今のところ案ずるより産むがやすしで、特に辛い後遺症らしきものはない。
でも、「この薬はどうしても脱毛は避けられないんですよね」と看護師さんが太鼓判を押してくれた。
最初にやった抗がん剤と同系統の薬ということなので、1週間後くらいに、シャンプーすると、髪が絡み合い、流しながらお団子になって抜けていくあれだなと思った。
それはそれで「あーあ」という感じなのだ。

わたしはすでに点滴用のポートというものを埋め込んであるサイボーグBOO(ブーと読んでもいいけどぉ、008と間違えてもいいけどね)なので、血管が見つからないとか入らないということはないので、わりと楽だった。

ただ、抗がん剤治療の点滴の針は医師が射す決まりとかで、抗がん剤が漏れるのは極めて不都合なことだとか…。
「どのように?」
「そこから細胞組織が壊死していくから」
「それってすっごく怖いじゃん」
「そういうことは滅多にないし、吸収されちゃうから大丈夫ですよ」
この言葉に、ビビり屋のわたしは、確か、自分のポートが心臓のすぐ近くの鎖骨下大静脈といところに管が差し込まれているはずで、心臓に辿り着くまでには吸収されちゃう腕からの旅とはかなり条件が違うぞと思い、看護師さんの「ちりちりしたら言ってくださいね、違和感はありますか」という質問に怯えきっている。

「あの、わたし、すごく鈍感なんです。だから、違和感が分からないんです。どーいうのが違和感なのか」
「すんなり入っているから大丈夫ですよ」
って、すんなり漏れてたらどーすんの?心臓のすぐ脇だし…。
右側にすればよかったなー。右側じゃなく左にするには何か理由があったようなきがするが、忘れてしまった。

いつものように心配のしすぎと思うけど、病気はよくないらしく、来週も外来に行って、血液検査とレントゲン検査の結果で先生の説明を受けてきます。

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2009年02月16日

当たって砕けないよ!

いよいよ明日から抗がん剤の点滴が通院で始まる。

これを友人のスミコさんに伝えると、
「え、1日の入院もできないの?それじゃ、1日の入院から保険がでますってコマーシャルにつられて入っても、入院が1日もできないのね」
「うん、そういうことになるね」
不治の病とは言わないが、がんは大病である。発見が早ければ治る病気なんだとつくづく感じたが、まだまだ患う側には負担の多い病気だ。
それでも、朝、電車に乗って病院に行き、抗がん剤の点滴を受け、ついでに血液検査やレントゲン検査を受け、先生の話を聞き、途中ゲボなどしないように緊張感をもって家路につかなければいけない。

副作用はすぐにはでないからとはいうけど、患者にしてみれば下痢、吐き気など心配である。
これは車よりは電車の方が対処しやすいかもしれないとは思っているが…。
高速道路であれこれしたくなってもお手上げですから。

なんとなく、決戦前夜のような心境。
抗がん剤をするときはいつもそうだったが、
今回もまた副作用への恐怖がある。

脱毛に関してはさほど気にしていない。
思いのほか父親似だったという新発見もしたし、帽子をかぶればどうということはないし。
吐き気と味覚障害は辛い。
特に食いしん坊のわたしが「こんな味じゃなかったのに」と食べることができなくなってしまう食事は、今回は入院がないから以前よりはいいかもしれないが…。

とにかく当たって砕けない!こういうことでガンバッテみましょう。

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2009年02月14日

バレンタインデイだね

今日はバレンタインデイ。
息子でも呼びつけてチョコでも渡そうかと思っていたのに、「土日は空いていたはずなんだけど、新しい仕事が飛び込んできちゃってぜんぜん動けない」とか。
「ちぇ…つまんねーの」

昨日はちょっとお出かけと食事をしてきた。
若い頃住んでいた麻布十番にあった永坂更科の支店を見つけ迷わずお蕎麦を食す。
このお店のお蕎麦を食べたころからお蕎麦好きに変身したかもしれない。子供のころは、お蕎麦の色と、ぼそぼそした食感が厭で、好んで食べるということはなかった。

でも、美味しいお蕎麦もあるんだなーと初めて思ったのが、永坂更科のお蕎麦だった。

来週から抗がん剤治療が始まるのであれば、やっておかなければいけないことは全部やっておこうと思って毎日忙しくしているのだ。
支払うべきものを支払ったら、お返しなど、しなければいけないところに送ったり、そういうことも、自分でやっている。

周りは(特に母)、駅まで車で送るよう調整しようかと心配してくれるが、ヒトに頼らないことが一番自由でいられることだから、「いい」と断っている。
ヒトに頼るということはヒトの都合と自分の都合を合わせるという、すでに不自由が生じているのだ。一人でできることは全部一人でやる。誰も頼らない。これが目標。

抗がん剤の副作用もあれも嫌だこれも嫌だと言っていたら、「抗がん剤なんかやらない方がいい」
といわれてしまったが、確かにあれも嫌これも嫌ではどうして病院に来てるのということかもしれない。
が、ここで考えたのは、苦しい抗がん剤治療をやめたときの残りの人生と、抗がん剤治療を続けたときの残りの人生とどのくらい違うのか。
それは先生に聞いても「分からない」というに違いないが、マジで残りの人生の質と長さを比べたら…と考えてしまう。

今は昔と違い、はるかに楽に終末期を送れるようになったのかもしれないが、父を始めとするいろいろな人の末期を見てきただけに、抗がん剤で戦うだけが選択肢なのかしらと、悩んでいる。

でも、抗がん剤をやめる勇気は、わたしにはない。

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2009年02月12日

社会人はつらいよ

社会人であるまりりんには、情け容赦なく逃げた亭主の「俺は歳なんかとらない!介護という言葉の響きが嫌いだ」と言っておそらく破り捨ててしまっていた納付書が送られてきた。督促のはがきだけは何度も見ているので、きっと払っていないのだろうとは思っていたが、今回は宛名が世帯主である私向けで、故人の未納分は世帯主に支払義務があると書かれている。

「そりゃー大変だ!電話してみよ」ということでさっそく電話。

「今まで一度も利用したこともないし、これからも絶対に利用することもない死んでしまった人の未納分を払わなければいけないんですか」
「はい」
「でも、本人にはおそらく加入している意識はなかったと思いますよ」
「これは、本人が加入するとかしないとかという制度ではなくみんなで支えあうという制度ですから」

そこで考えてしまった。
支えあう。これはいい。しかし、支えることと支えられることと両方あって初めて支えあうということで、支えることばかり要求されてもなー…。だって、支えられることは絶対にないんだし…。しかもかなりの額なのだ。

それも問い合わせたのが9日。納付書を送るように言うと大喜びで翌日には送られてきたが、支払納付期限が9日ってそれはないでしょ。11日は休日だし、期限過ぎたら14.5%の利息をつけるぞって!「悪徳高利貸みたいな金利をつけるけどあれは誰が決めてるのかしら」「…」
「えーい、仕方ない。払ってやるか」

そして銀行へ。窓口に行くと、
「この滞納期間が1年以上あるものについてはこの金額に14.5%の利息がかかります」
「面倒だからここで処理できるのなら処理しちゃって」

だんだんどうでもよくなってくる。
しかも、逃げた亭主が自分の会社からそこそこの給料を貰っていたから「保険料が高いのは仕方がありません」と言われて、こっちはそんなの知らないし…。
これって、まさにとばっちりてやつでしょ!

介護保険の集金制度は64歳までは国保税と一緒に納めていて、65歳で年金が払われるようになると年金から差し引かれて年金が払われるらしい。
歳をとらないと宣言していた逃げた亭主はもちろん年金にも加入していないから、国保から年金へスムースに徴収機能が移行できなかったのでこういうことが起きたのかもしれないが、もう少し納付書を何度も送ってくるとか気付かせて欲しかった。

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2009年02月11日

実はあまりよくないんですよ

昨日はがんセンターの外来に行ってきた。
CT検査と外来で今後の治療方針が告げられた。
CT検査の結果はよくない。
来週から抗がん剤投与が始まる。
また、脱毛と爪に影響がでるそうだ。
「人によっては爪がはがれてきてしまったりで、その抗がん剤の治療をやめる人もいる」くらいなのだそうだ。
「そういうのっていやだから、違うのありません?」
「ほかにも薬がないわけではないけど、化学的裏付けがない。この薬は一応効くという数字もでているから、やってみる価値はあると思う。この段階で科学的裏付けのない薬をやるのはすすめられない」

「いつから治療に入りますか?」と先生。
「なるべく早く」とわたし。
「じゃ、来週から」と先生。
「この薬は3週間に1度通院で点滴します」と先生
「えーーー!!通院?できなーい。そんなの無理無理」とわたし。
「え?みんなできてるし、1時間半の点滴だから大丈夫」と先生

「3週間に1度なんだから、入院して3週間なにしてるの?第一ベッド空いてないし、そんな医療費の無駄遣いは許されない」
「ひょっとして、2200億円医療費削減の圧力受けてます?」
「受けてる受けてる。この病院は特別もろに受けちゃうの」

よく考えてみれば、1時間半の点滴ならばなんとか大丈夫かもと思い始めたが、以前一泊入院で治療を受けたのは8時間の点滴だったというのを思い出したからだ。

「体重は?」と先生
この質問大嫌い。
「64kgくらい」とわたし。
「そんなにある」と先生。
「がんになってもやせないってどういうことなんでしょうね」とわたし。
「いいじゃない」

って、よくないでしょ!

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2009年02月05日

健康な母も食欲旺盛ボケ

なんだか疲れがとれない。

いよいよ、病人モード突入かしらん。
でも、食欲がないわけではない。

昨夜など、ボケてしまった母の、「一切れだけいただきますよ」といういいわけまじりの声に、彼女が食べた中トロの枚数を数えてしまったくらいである。

彼女のボケは本格的なボケになりつつあり、特に食べたことを忘れる。薬を飲んでいないと騒ぐ。など、弟に言わせると、生きる意欲が強いのだそうだ。

もともと母は食欲旺盛なのだが、(たぶんわたしは母親似なのだろう)それには涙なしには語れない、巡り合わせのようなバッドタイミングも影響しているだろう。

時は戦争中?の昭和16年、19歳の食べ盛りに、宝塚のプロマイドを嫁入り道具に忍ばせて、9歳年上の父の元に嫁入りしたのだが、父は8人兄弟の長男、そこには母とは1歳違いをはじめとして、ほとんど歳の違わない食べ盛りの男子が5人。
もちろん、食べ盛りの女子も3人。
食糧事情も悪い折から、立場上我慢することも多々あったに違いない。

食い物の恨みはナントカと言うが、食べることについては人一倍積極的である。可哀そうなのは、いつも「ひとつだけ」とか「これ本当に食べてもいいの」とか言い訳や遠慮の態度を示しつつ、積極的食欲を満足させるため、周りの人間はその言葉に辟易してしまう。

「勝手にのびのび食えばいいだろ!」とか怒声をあげてしまって自己嫌悪に陥るが、どっこい、彼女も負けてはいない。「生きてるだけでもうれしい、ありがたいって思うのが当たり前」ってさ。
うーーん、微妙かな?それって、母が言う言葉ではないはず。もし、わたしに言わせようと試みているなら、押し付けですよね。
自然にわたしの気持に湧き上がるよう努力しましょうね、お母さん。
 

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2009年02月02日

かなりの食欲です。

今日も相変わらず眠い。
眠れるというのは、幸せでもある。

よく、息子に電話をすると眠そうな声ででてきて、「後で、後で」と言われちょっと憤慨したりしていたが、今日は反対に息子の電話で起こされた。

「後で、後で」の気分がとってもよく解った。
うつらうつらも、こっくりこっくりも、気持ちがいい。

わたしのばあいは、ベッドに本格的に横になって眠っているから、よけい起きたくないのだ。なら、ブログなんか書いていないで、寝てればいいじゃんと思うだろうが、
これが、うまくいかないもので、一度起きてしまうと眠れないのだ。

あの気持がよかった睡眠時間を返して!というかんじである。

もしかしたら、眠ることはわたしが一番望んでいることかもしれない。

でも、それは、いずれ訪れることだろうから、今は元気にしていよう。

まだトンカツもうなぎも食べたいことだしね。

かなりの食欲でしょ。

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2009年02月01日

ありんこの脳みそはどのくらい?

なんて強い風なのだ!
こういう日に出かける予定がなくてよかったなと思っているが、
おおむね元気に過ごしている。

食欲もそこそこ。
身体の運動能力にも支障はない。
ゲームも適度にやっているが、記憶力テストだけは自信がもてないので、パス。
したがって、年齢がでない。

右目の奥に転移した腫瘍があるらしい。それで、左右片目ずつ視力を試してみると、
ちょっとだけ左目の方がクリアに見えるみたい。
これから、どうなっていくのかとは思うが、脳みそなんてそんなにいらないのかもと思うことにした。
だって、ありんこだってたいしたたまげたお利口さんだし、すずめだって小さな頭だから、それほどの脳みそはないはず。
ごきぶりなんて、憎らしいほどすばやいし…。
あれって、脳みそとは無関係?

でも、一つの突出した能力だよね、あの素早さは。

わたしもきっとなにかを失えば、何かができるようになるかも。

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あそびすとショップ

編集長!今日はどちらへ?

アラカン編集長モンブランを行く!

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