編集長!今日はどちらへ?

Here Comes Sumer ‐3‐ グラン・パラディソNO.2

2014 / 09 / 24

急斜面はかなり切り替えして踏み跡がつけられ、ちょくちょくプラトー(平らな場所)が出る。しかも人気ルートだけに、恐らく毎日のように大勢の登山者に踏み固められ、氷河を歩いているのを忘れるほどの安定した雪面。それに、篠原ガイドが、きっちりコダマスピード・220m/hほどにスイッチを合わせてくれるので、そんなにつらい思いもせずに予測タイムに違わず6時間20分で登頂。
「ま、合格ですね」
小屋までの戻りと合わせ10時間30分の山行になった。

最後の岩稜クライミングを除けば、概ね優しい山容で、最も容易い4000峰、初心者向けヨーロッパ登山の登竜門として知られる訳も理解する。
一度はアプローチ30分でパニックに陥り敗退したが故に一段と、登ることの喜びを噛みしめ、登頂の晴れがましさを胸に抱いた。幸福感で満たされる思いだった。

さてSHINOHSRA’S PHOTO GARALLYをとくとご覧うじろ!
まずは雪稜(氷河)編から。

datin140924_01.jpg 次いで岩稜・登る編。
最後の最後に待ち受けていたのは頂上直下の岩稜。かなりのヒヤヒヤものだった。篠原ガイドが確保してくれているとはいえ、アイゼンで岩のちょっとした窪みを捉えるのはなかなかに危うい。厚い冬グローブだからホールド感覚も危なげ。
攀じっていくと、最後はちょうどマリア像を仰ぎ見ながら行く格好になる。見下ろせば両側の切れ落ちた先に氷河。ことに登山路の反対側には足跡ひとつない未踏の大氷河。手つかずで、あくまでも滑らかな雪原が豊かに広がっている。素敵だ!!!

datin140924_02.jpg そして岩稜・降りる編
攀じ登るも大変だったが、攀じ降りるのはもっと恐ろしい。時々アイゼンのザッケがギクリとしようものなら、一気にバーッとアドレナリンが噴出して頭がカーッと熱くなる。

datin140924_03.jpg 8月9日シャモニー帰着。

datin140924_04.jpg 当初予定のドリュは事情で断念せざるを得なかったが、代替のグラン・パラディソはセカンドチャンスで登れ、この度のヨーロッパ行はまずまず結果オーライではあったが、私にとっては胸に大きな難問が生じた。

最初のグランパラディソ敗退の原因はどこにあったのか?それはこの先の私の山人生とどう関連付けるべきなのか?
原因は実はよくはわからない。わからないながら分析してみるに…
•日本からの移動の疲れが残っていて、時差の順応ができていなかった。
•ホテルから1960mの登山口・ポンまでほとんど寝ていた。(帰りも寝ていたから、道すがらの記憶がほとんどない)よって、高さへの順応もできなかった。

この二つは確かにフィジカルには、それなりに大きい要因だったかもしれない。だが、今になって思うに3番目の要因、これが案外大きかったのではないかと推測している。
•前日の夜、遅くまで話をした。

遅くまで話をしたことが影響したのではなく、議論の内容が堪えたのだ。話はいつしか5月のゴールデンウィークの山行や過去のことに及んだ。
忘れもしない、私は涸沢へ上がるのさえ途中で足首が痛くなり、メンバーに遅れがちになった。翌日の北穂高岳東稜では急斜面で足が上がらなくなり、何度も「ちゃんと歩いてください」と叱咤されたまではまだしも、登頂までで体力を使い果たしてしまって、下山時は惨憺たる有様で、20分の間に3回転んで「3回死んでますよ」「他人の命にもかかわりますよ」と。
それは計り知れない深い傷を私に残した。自らの不甲斐なさとチームメンバーに対する申し訳なさで、すっかり自信を喪失した私は、実は今度のヨーロッパや以降の山行に対して臆病になり、自らの山に対する意志や想いすら見失っていた。

が、どうも外から見て「反省が足りない」と映るらしい。
例えば一昨年の5月の八ッ峰はスタートから小屋戻りまで14時間かかり、屏風ではアプローチから涸沢到着まで16時間、赤石沢奥壁中央では甲斐駒テン泊した5合から8合を経て取り付まで降り、登攀登頂後、5合への戻りを経て下山完了まで18時間かかった。その三つの山行に関しては、中にはそれなりの理由もあったんだがとどのつまりは「時間かければ行けます、はない」「武勇伝、自慢話にすることじゃない」という話に落ちる。
北穂東稜の「3回死にました」について、苦し紛れについ「ショートロープの前行く人がもう少し、ロープの張り具合を気にしてくれたら…」と口走れば、わが身の弱体の責任転嫁ということになってしまう。一所懸命エクスキューズすればするほど墓穴を掘るような…

とまあ、もともと日本を発つ時点で自信がないまま機上の人となったわけで、そこへ以てきてそんな楽しくない話を延々夜遅くまでしていたものだから、恐らくすっかり私は委縮してしまったのだ。「私が原因で山行が失敗に終わってはいけない」という思いに囚われ過ぎて、それがプレッシャーとなり、その心理状態が身体機能をストップさせてしまったのだろう。そこまで弱いメンタリティだとは正直自己認識していなかった上に、頑張っても成果が得られない焦燥感が沈殿しているとは覚えがあったから、自失してしまう。
念のために言っておくが、ブレーキしてしまったことの言い訳をしたいわけでは決してない。案外真の原因は実はとても深いところに根差していて、安全圏に身を置く時には表出しないが、なにかの弾みにピンが外れると対応不能、パニックに陥るという、いわば精神構造を孕んでいたのかもしれない、とさえ思ったりする。
なんとか「ダイジョブ」シャワーで持ち直し、ヨーロッパ山行はなかなかに思い出深いものになったとはいえ、今後の山人生の進路選択については悩んでも悩みきれない。

さてどーしたものか…
もう限界なんだろうか?
諦めちゃった方がいいのかなあ…
あの得も言われぬ山風景を諦めちゃうなんてできるんだろうか?

ヨーロッパから帰ってきてからこっち、ヘビーな山行は控えている。
結局、東稜の失態は自己認識、自己分析不足による疲労蓄積が主因と結論付けられたからして、それまでの毎週毎の山行スケジューリングは、とりあえず控えることとした。
毎週山行参加して、週2回インドア、ロープクライミング3時間、週1で筋トレ、できれば週2で5kmジョグと聞けば、年齢からしたらハードに聞こえるかもしれないが、言っても、インドアロープはようやく10dが触れるようになったと言っても、とてもじゃないが歯が立たず、はたから見れば「走る」じゃなく「歩く」ぐらいにしか見えないレベルで、スピードは一向に上がらない。
けれども確かに常に疲れている感じで「いつもどこか痛いって言ってますよね」と周りには言われ、なんだかすっかり「構ってちゃん」ふう。腐る!
それいろいろ止めちゃったら、一体どうなるんだろうと思うと、不安が先に立ち、「やんなきゃ落ちる蟻地獄」から脱出できないのだ。

ってな、ぐちゃぐちゃ状態。
なのに10月の1ヵ月をかけたアイランドピーク遠征へ向けて、既に秒読み状態突入。

はあああ、どうしよう!!!


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