お仕事の話
ところで私、職業はCADオペレータです。CADというのはコンピュータ上であらゆる設計を行うためのソフトのことです。お絵かきツールとしても使えます。
もともとはSOHOで特許図面の手描きトレースをしていたのですが、あまりの仕事の少なさと、それより何より生活の不規則さに音を上げて、方向転換。今は地元の設計会社で機械図面を描いています。
手描きトレースといえば、一昔前の在宅ワークの花形。しかし、実際はそんな甘いものではありません。ただ線が引けるだけでは仕事はもらえません。例えば、ひとつの図面の中に矢印が50個あるとしますよね。その矢印の「矢」の部分、上向きも下向きも斜め向きも含め、すべて同じサイズで描かなければいけない。且つ、そのひとつひとつの矢は真ん中の線をはさんで同じ角度、同じ長さ、即ち対称に描かれていなければ、全体として非常に雑な仕上がりになってしまいます。
曲線を引くのも一苦労です。実際は5本も6本も(場合によっては何十本も!)線をつないで描いていながら、見る側には、極力その継目を気づかせてはだめ。完全に、一本の曲線に見せなければならないのです。線同士をつなぐことを「墨継」といいますが、墨継の場所が簡単にばれてしまうようでは、トレーサーとして失格です。
野球やテニスで素振りから入るのと似た感覚で、手描きトレースの場合、まず、端から端まで同じ太さで直線を引く練習から始めます。0.4ミリのペン、0.2ミリのペン。ペンが細くなるほど難しくなります。それが完全にできなければ、何を描いてもガタガタの醜い図面にしかなりません。人によって使う道具は様々ですが、曲線に関しては私は雲形定規が得意だったため、細かな部分は楕円定規などを織り交ぜながら、ほぼ全てをそれでカバーすることができました。
ある程度の練習を積めば、時間さえかければ美しい図面を描くことはそう難しいことではありません。しかし皆ができることをしていても、報酬は望めません。決め手となるのは、スピード。2時間の図面を10時間かけて描いたって、もらえるお金はあくまで2時間分。いや、泣かされました。最初の頃はとにかく描けなくて、徹夜で仕上げて倒れそうになりながら持って行ったら、あっさり「ここ、間違えてますねぇ。もっとしっかりしてもらわなきゃ」。 えーん。
必死で頑張って、検定試験で優秀賞までいただいたのに、CADに転向してからは「いったいあの苦労はなんだったんだろう」というのが実情です。同じ大きさの矢印ですか?そんなのクリックひとつでOKです。間違えたって、いくらだってやり直し可能。電動消しゴムとカッターを駆使して細心の注意で修正をしていたあの時間って、はて、何のためだったのだ?
でも…。無駄なことって、ないんですよね。手描きでさんざんてこずってきた分、全くの初心者に比べると、CADが格段簡単に感じられるんです。現場では、CADは使えて当たり前。「いかに図面を理解できるかと」いうのが本命で、おかげで本来文系人間の私には頭の痛いことだらけですが、少なくとも「図面を描く」という行為そのものに関しては拍子抜けするほどすんなり順応できるため、今のところは幸い首にもならずに勤まっています。
さりげなく仕事をしているように見える人たちが、実はそうなるまでにどれだけの道のりを歩んできたのか。私が体験したあんな小さな世界でさえ半端でない努力を要したのに、世界レベルで活躍してる人たちって、もう、尊敬のひとことに尽きます。そう思えるようになったのも、「トレース」という世界と関わったおかげ。何でも、やっておくものです。
CADオペレータとしてはまだまだルーキーです。にも関わらず、将来はインストラクターになって毎日「先生」と呼ばれて暮らしたい、なんて、安易な考えに浸っています。とりあえず、今のお役目をもっときちんとこなせるようにならなくちゃ。あーあ。道のりは長いのであります。 |