
源氏物語 「光源氏の魅力」
宇治十条になぜ入り込めなかったのかといえば、どうもあとから取ってつけた観があるという印象を、最後まで捨て切ることができなかったからです。薫に出生の秘密を告げる弁の存在に、わざとらしさを感じてしまった。宇治十帖全体に、少々しらけた気持ちを抱いてしまったのです。
本編にも、そういう箇所は見受けられます。しかし“光源氏”という一貫した主人公の存在によって、多少の矛盾は目をつぶる気持ちにさせられる。はじめにも述べたように、この物語の持つ深い世界に身を浸してしまったら最後、小さなことなどもうどうでもよくなってしまう。
本当の主役は姫君たちで、源氏は彼女達の人生を飾るただの道化にすぎないといった説もきいたことがあります。しかし、ここまで読者をひきつけてやまない最大の要因は、何だかんだいってもやはり、源氏の魅力に他ならないと思えるのです。確かに彼女たちは素敵です。しかし、彼女たちを愛したのがもしも光源氏でなかったら? 姫君たちの存在が、ここまで引き立つことがあったでしょうか。
で、その肝心の源氏はといえば、
★源氏に迫られ、あんまりだと泣く人妻空蝉には、
「かわいい人だ。気の毒だけど、このまま何もなく終われるものか」
★通りかかった朧月夜をいきなりつかまえ、彼女が人を呼ぼうものなら、
「私は何をしても許される身。よって誰が来ようと無駄なのです」
★養女玉鬘に夢中の源氏。しかし世間体もあるし、簡単には手を出せない。そこで考えついたのが、
「いっそここに置いたまま適当な誰かと結婚させて(つまり当時の通い婚をめいっぱい利用して)、旦那が来ていないときにこっそり××してしまおうか。生娘だと思えばかわいそうな気もするけれど、人妻ならその辺気楽だし」
もっとも玉鬘については何とか未遂に終わるのですが…、おいおい、これじゃ悪役だよ。いったいこんな男の何がいいんだと思ったときに、皮肉にもわかってしまったんですよね。ああそうか。こうやって、「こんな人のどこがいいの?」と女を悩ませてしまうところこそが、この人の最大の魅力なのではなかろうかと。万人が認める超一級品の美貌、知性、感性を持ちながら、青少年の健全な心の教育上決してお手本にはなり得ない彼のキャラクター。このアンバランスさがいい。
といって、完全なひとでなしならいくら何でもお話にもならないわけで、長所もいっぱい。その中で一番ぐっとくる点をあげれば、それは彼の茶目っ気、でしょうか。優雅で上品。なのに子供みたい。微笑ましいんですよ。見る人の心を幸せにし、いつもどこか、余裕がある。それにだいたい、
「満開の花も、源氏の美貌を前にしては圧倒されて却って興ざめだ!」
「尊い姿に、ものの情趣など解しない者でさえ皆泣いた!」
こんな具合で続けられると、意志の弱い読者(というか私)としては、洗脳されて、気がついたら作者の共犯者になってしまっているんですね。何て素敵な光源氏。許せない。でも、愛しいわって。晩年はかなり見苦しいことろもありますが、そこは愛嬌。恋人として、父として、友として、息子として。父としての光源氏が実はいちばん好きだったりする。ちなみに、冷静な光源氏をまるで人が違ってしまったかのように取り乱させた唯一の女性が、藤壺。だから彼女は、源氏にとって永遠の女性となったんでしょうね。
千年紀ということで、ささやかながら、源氏物語推進委員になったつもりでこうやってご紹介させてもらってます。損はしません。まだの方はぜひ、彼の人生を覗いてみて下さい。情景描写の美しさもさることながら、それはまた別の機会に。
次から3回連続で、源氏の愛した姫君のうち私の好きな上位3人について語ります。誰かな? まずは一位からです。お楽しみに。 |