
源氏物語 「 好きな姫君第二位 “この人こそ天使” 女三宮 」
私の愛する紫の上から、彼女の人生そのものでもある「源氏第一の妻」というポジションを奪い、遂には命までも奪った張本人といっても過言ではない女三宮が、何故に第二位?
自分でも不思議なんです。話の展開を知っている分、三宮の登場が、初めは嫌で嫌でたまりませんでした。夕霧の筒井筒の恋もみのり、明石の姫君の入内、母子の涙の再会とめでたいことずくめで一旦物語が幕を閉じ、その後じわじわと悲劇へ傾いてゆく、それがつらくて、「嬉しいままで終わろうよ、三宮いらない、出てくるなー!」と読みながらひとりでジタバタしてました(笑)。しかし実際に出てきてしまうと、なんとまあ、一転、彼女がかわいくて仕方がなくなってしまったんです。
三宮のキャラクターは、物語中かなり異質です。登場人物に限らず、人の情けに動揺し、それでも譲れない自分があって、その中で折合をつけて生きてゆくのがおおかたの人間というものだと若輩ながら私は認識しているのですが、彼女からは、こうした他者とのつながりや自己確立といった意識が全くもって感じられません。反省したり、嫉妬したり、良心の呵責にさいなまされたり…、そんな通常の感覚とは一歩離れた世界を生きている。
意図的に人を傷つけることはしません。それは“人間ができているから”ではなくて、単に他人に興味がないだけです。流す涙は全て自分のため。「私の行いがこんなにもこの人を苦しめたのだ」とか、「かわいそうに、どれほどつらかったでしょう」といった類の感情は皆無に等しい。こんな彼女だから、柏木との件さえなければ、さぞかしハッピーな人生を送れたことと思われます。経済的な心配はゼロ。紫の上の死なんてへっちゃらだし、源氏出家後も、別に源氏を愛しているわけではないので、彼を恋い慕うことも当然ない。好きなことだけをして、ふわふわと年を取り、ふわふわと死んでゆく。
なにやらさんざん言ってます。物語中でも思慮が浅い、幼すぎると源氏にねちねち責められている彼女ですが、角度を変えて見れば、それだけ彼女は無垢だということです。嬉しければ笑い、叱られれば怯えて泣く。悪意はなく、それゆえに却ってまわりは振り回されてしまうのですが、それは彼女の罪でしょうか? もともと源氏と結婚したのだって、父と源氏が勝手に決めたことで、彼女自らが望んだことではないのです。三宮にとって源氏は「おっかないお父さん」とでも言うべき存在で、琴を習い、上達をほめられたらただ嬉しくて、夢中でおけいこに励んで…。人を疑うことを知らない、また疑う必要もない真白な女性。まさに天使。深窓の姫君とはきっと彼女のために用意された言葉なんでしょう。おっとりとして頼りなく、その様子は『ようやく枝垂れ始めた青柳が、鴬の羽風にも乱れてしまいそう』なほど。
良心を持たない人のことをサイコパスと呼ぶのだそうです。女三宮も、ちょっとそれに近い感じがします。でも、重ねて言いますが、彼女は決して自ら人を攻撃したりしません。つまり環境さえ整えてあげれば、こんなに無害な人はいないのです。だから、柏木事件では私は心から三宮に同情しています。もっと彼女がしっかりしていれば拒み通すことも可能だったでしょうが、真白なお姫様にそんなことできるはずがありません。それをわかってあげない周りの人間が一番悪い。彼女に全く罪はないのに、なんでこんなことに? あんまりです。
女三宮のあまりの無邪気さ。先のことばかり考えて頭でっかちになってしまいがちな私とは完全に相容れない性質のためか、「普通ここでこういう行動をとるか?」といちいち驚いている間に、すっかり好きになってしまってました。子猫を見ている気がする。三宮のために右往左往する源氏の姿があわれでもあり、滑稽でもあり…。
はじめは源氏があきれるくらい字がヘタクソだった彼女が、数年後の柏木への手紙ではわりときれいに書いていた(らしい)のが不思議。源氏に言われて練習したんだろうか。また、宇治十条では普通に「お母さん」していたことが妙にツボにはまって可笑しかった。
半端でない数の人物が、主役脇役それぞれに、それぞれの個性をもって描ききられている。改めてこの作品はすごい。次回は好きな姫君第三位です。同点三位で二人挙げます。 |