あっという間に人生半ば。
「年をとると人間丸くなるはず」なんて幻想もいいところ。
「若輩者です」なんて遠慮の塊だった若いころにもっと、前に前にと出ていたら、もう少し仕事も出来て、個性豊かな人間になったかも知れないと悔やむこのごろ。
ちなみに私の周りは個性派ぞろいが多かった。昔も今も。
夫だった人。仕事の上司も仲間や、友人も。
人はどう見るか知らないけれど、結構気を使い、言いたいことも言わず、相手の気持ちを優先させてきたほうだけれど…。
こちらは人としての礼儀を守っているのに、あちらは大きな勘違い。「こいつはここまでやっても、許してくれる」「案外弱いやつでこっちの思うままになる」とか思うんでしょうかね。これでもかというように、甘えも失礼さ加減も、エスカレートしてくるお方もいて、結構いやな思いもしてきた。(それを乗り越えて生きてきたのは、いい勉強ってのはあるけれど)
最近では、こっちもお年頃。疲れてきて堪えしょうがない。「たまったもんじゃない」というわけでこのごろは我慢しないことにした。言いたいことは言ったほうが健康のためである。これからは健康が何よりの財産だから。とはいえ、感情のぶつかり合いは後味が悪い。もうちょっと大人になろうっと、熟女なんだから。つまらぬことはさらっと流し、大事な時間を好きなように使わなくちゃね。
子供たちが20歳を超えると親としての責任感も肩の荷がおりてぐっと楽になる。
「これからまた私の人生、好きにやらせていただきます」ってことで、一皮剥けると若いころのまんまの自分にとっても近くなる。ぜんぜん成長してないかもしれない。
おやまあなんてこと。遠慮の無い私って、わがままだし、はっきりしてるし、その上結構個性的?(周りは「あっきれた。今頃なに言ってるの。麻生ちゃん!」て言うかしらん)
というわけでやりたいことはやることにして、普通の熟女のとっても日常的な「なんてことない」あれやこれやを、好き勝手に載せることに。
これってとっても自分勝手。あぁ、わが道を行くって、心地よい。
数年まえ、ある人から「忙しすぎて季節もわからないでしょう」といわれたことがある。
本当に忙しい時だった。朝出社してからほとんどひま無しで働きっぱなし。日本企業の中間管理職は10数分に1回仕事を中断されると何かで読んだが、本当だと妙に納得したのを覚えている。
結局自分の仕事は夜から始めることになるのがお決まり。毎夜自腹を切って神宮前から千駄ヶ谷まで終電車に間に合うようにタクシーに乗っていた。
帰れば子供たちが待っている。眠ればすぐ朝が来た。あぁー、いつでも睡眠不足。「休みはいっつも泥のように眠っていたよ」と下の息子の回想。
それだから時々煮詰まってしまう。「煮詰まる」とはよく言ったもので、本当に脳みそが沸騰しちゃうような感じになる。
そうなるとなんだかすべてが、頭も心も身体もが、がんじがらめで金縛りにあったようなものだ。周りに悟られぬように、何とかその日その日をこなしていくのが辛い。
そんな時に限って厄介な問題も持ち上がる。女性ばかりの職場特有の、ちょっとした意見の違いから感情的な縺れに。
女性はとっても生真面目だ。物事ってあっちからもこっちからも見ることが出来るし、これが絶対なんて言えないときもあるのになぁ。
そんな時は何かと口実をつけて事務所を抜け出し、小1時間その辺を散歩しにいく。
「逃げた!」「ずる〜い」と刺さる視線もなんのその。今なに言ったところで火に油だもの。意見を言えば「私より○○さんのほうが好きなんですか!」なんて見当はずれの渦に巻き込まれるよりよっぽどまし、とは経験で悟っている。
神宮前5丁目の周りは外苑西通りからちょっと入ると結構緑が多く、鼻歌を歌いながら細かい路地をどんどん行く。庭の花々の咲き具合や家や庭のたたずまい、道行く人の姿を観ながらゆっくり歩く。
思いがけない場所にカフェがあると入りたくってしかたがない。3度に1度はカフェに座り、ただぼんやりとコーヒーをすすり、幸せだと思った。また、不幸かもしれないとも思った。
ふと気がつくと沈丁花の香り。昔教わった詩を思い出す桜の風に散る様、新緑から初夏にかけて移り行く木々の緑、金色の銀杏並木などなど。その時々の自然の様は飽きることが無い。四季があることはほんとうに心の栄養だ。ちょっと頭も心もすっきりして戻れば、両手に余る仕事も何とかこなしていけそうな気がしたもの。私がいない間に問題が解決していたりすることもある。ぷりぷりしていたはずの二人が仲良く頭を寄せ合って仕事をしていたりもする。一石二鳥!
ダメな上司を持つとスタッフは優秀になるとか。
いま、一人で事務所をやっていても、ふらりとする癖は抜けない。明日ひまが出来たら、どっかの路地を歩きに行こう。
居心地のいいカフェをさがして…。
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