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夏目 麻生の
なんてことない「えとせとら」 −遊んで、食べて、仕事して−

真夏の思い出
UPDATED 05-09-09

大沢館 写真

かっと照りつける正真正銘の夏になると、必ず思い出すことがある。
19歳の真夏。
そのころの私は、あまり友人の多いほうではなかった。人好きでもなかった。

ところがどういうわけか、その夏は学校の友人達(それぞれ違うタイプの一匹狼風なのに、なんとなくお昼を一緒に食べたり、帰りに喫茶店に寄ったりする)4人と、その中の1人の別荘に行くことになった。

場所は忘れもしない、千葉県の上総一ノ宮。九十九里浜近くの林に家々が点在するなかで、「ここなの!」と友人が歩みを止めたのは、古いかやぶきの一軒家の前。そう大きくはないものの、とても古く由緒ある風情で、ひと目で気に入ってしまった。

そこで、初めて釣り(川釣り)をしたり、泳ぎに行ったり、農家に野菜をわけてもらって自炊した。観光地などいかない、本当の避暑だった。

ある朝、5時ごろに目が覚めて眠れなくなった私は、玄関脇の書生部屋に簡素な本棚があったので、本でも読もうと思い立った。

見ると古い本ばかりで、尾崎紅葉や、田山花袋、私の知らないその当時の作家の本が40冊くらい並んでいた。
みな旧仮名遣いで読みにくく、ぱらぱらとあれやこれやと何冊かを拾い読みしていった。

そのとき、はらりと一枚の葉書が、本の間から畳に落ちた。
そこには、羽織を着た男が、平伏している墨絵が描かれていて、「借金を返すつもりは重々あるけれど、どうしても都合がつかない。それゆえ、勝手で申し訳ないが、どうかもう少し待ってほしい。」というようなことが書いてあった。
そして差出人の名前は、明治の文学にちょっと詳しい人なら大抵知っているだろう、作家の名前が書かれていた。

私は、突然。どうにもこの葉書がほしくて、たまらなくなってしまった。
その絵も、最後の「三拝九拝」という達筆な文字も、その人の心情そのものを映して、美しいというより、なんともいえない生身の迫力がある。一目ぼれをした。

葉書を本に挟んで本棚に戻す。けれど、戻した手が本から離れない。心では「貴重なものだから返すのよ!」と思っているのに、私の手は、別人の手のように本をいとおしげに持ったままなのだ。

本の中から葉書を出して眺め、本棚に戻しては、また取り出して眺める。どうしても離れられない。
眺めれば眺めるほど欲望は膨らみ、身も心もはがきだけを見つめて、自分のものにしたいと、身動きが出来ないほど。
暗闇の中で、葉書だけがスポットライトの中で浮かんでいるように見える。あとは真っ暗闇。



はっと気がつくと、朝のまばゆい光のなかで、私は正座をしていた。葉書を手に。
「あぁ、助かった。」と瞬間、思った。 神様に心底、感謝した。

身動きできなかったはずの手足も自由に動く。「はぁー」、何かが出て行くように長いため息を、そぉっと吐き出す。
丁寧に丁寧に、葉書を本に挟み本棚に戻す。ゆっくりと立ち上がって縁先に出て、朝日の当たる雑然とした庭を眺めた。青いつゆ草が目に沁みて痛かった。

翌日、私たちは日焼けした体で、きゃあきゃあ、とはしゃぎながら東京に帰っていった。

もちろん、それまで欲望を感じなかったわけではない。少々不細工だから、着るものや持つものには、自分なりに気を使うし、きれいな物は好きだ。人を好きになったこともある。

けれども、これほど、純粋に凝縮して、自分の欲望を思い知ったことはなかったように思う。
欲望というものが形を成して、自分の中に在るということを確信して、私はやっと少し大人になれたようだった。






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