四谷荒木町は不思議な町である。
狭い路地やそのまた奥の迷路に、バーやスナック、小料理屋などが並ぶ歴史を感じさせる町で、昔の遊興地、料亭・芸者置屋・割烹が軒を連ねたころの風情が、どこかしら残る。人生の悲哀もそこはかとなく感じさせるようにも思う。
雑誌社がどうしても紹介したいといったら、店の前の石畳の写真だけを許可したという、昔かたぎの店も残る。場所が知れて、新規の客が押しかけて来ると、常連客を断らなければならず、迷惑をかけるから、というのがその理由だ。私がゆとりある男だったら、こんな店に通いたいものだ。
同じ遊興地だった神楽坂は、女性の好む街、若者の街でもあるけれど、荒木町はいまなお、大人の男の街、夜の街、を誇示しているように思う。ここへ来る時は、あまり飲めない私でも「飲みに行く」という気持ちになるのだから不思議。
先日、有名な人物のプロデュースした、料亭を改装した話題の店でクライアントを接待をしたのだけれど、見てくればかりで、設備とサービスの本質の悪さにがっかりしたことがある。大変お世話になった方が退職なさり、お礼の気持ちを込めた時間だったので、自分のセレクトの間違いを悔いた。
メジャーでなくても、ご夫婦で日々おいしいものを食べさせてくれる荒木町のこの店のほうが、どんなに上質で美味しい空間を過ごしていただけたことだろうと、その時思ったものだった。
さて、店名「四月一日」は「わたぬき」と読む。
昔、この日に綿入れの着物から、綿を抜いて仕立て直したり、綿入れから衣替えをしたことによるものとは店主の言。一度聞いたら忘れないゆかしい名前だ。
路地の奥にひっそりとある隠れ家的なここを、紹介してよいものかどうか、迷いに迷ったのだけれど、ご紹介することに。
この店は大人の店。二人くらいでお酒や料理を供に、ゆったりと落ち着いて、その一時を味わうための場所だと思う。
夜が更けるにしたがって荒木町の同業の方々が集まってくるらしいが、わりと早い時間に行くと、ここでしか味わえないひと手間かけた料理がゆっくり味わえる。
焼酎を初めておいしく味わったのもこの店。今日は「焼き芋」系で香ばしい。ある時は一升瓶、ある時は甕から注いでくれるお薦めを、ロックでいただく。お酒の種類は多くはないが店主の好みで厳選している。
ちょっとした突き出しの後に出たのが、蛸、ささ身の霜降り、青柳、平目、〆鯖(鯵だったかも)、きゅうりの一皿。これを特製醤油か塩昆布のみじん切りで食べる。この塩昆布で食べるのがおいしいのは、特に蛸。素材もそれぞれに出所、いわくもあるだろうが薀蓄をあまり言わない。自慢のときには、チラッと言う。こちらが聞くと丁寧に教えてくれるところもうれしい。

「ころ」がでた。関西地方では「おでん」の具として定番の、マッコウ鯨の皮の部分の油を抜いたもの。一時間半ゆでたものをほど良く切ってあるのを、ポン酢・からしで食べる。食感が面白い。日本の食文化はシンプルで奥行きもあって、すばらしいと実感させられる。鮪のづけと甘海老の粕漬け(だと思う)との一皿で。あぶった魚、揚げた茄子に味付けなめこのあんをたっぷりかけたもの、豚肉と続いて、お腹がいっぱいになり、極めつけの、冷出汁かけのご飯は諦めた。(実はこれが絶品)
その日その日の料理で品書きは無い。だから値段も…。それから、野菜中心の料理は極めて少ない。私は最初のころ、野菜、野菜と連発して、飲べえの常連たちのヒンシュクを買った覚えがある。こんなところも、男の町の男の店だと思う。
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四月一日(わたぬき)
東京都新宿区舟町3 03-3352-7803
(予約の際、予算や苦手なものを言ったほうが良いと思う。
料理で6000円位〜、お酒は良いものを置いているのでそれなり) |