日曜日の仕事の帰りに、たまたま近かったので亀戸天神の「藤まつり」に行く。 もう夕方。薄曇りというほどでもないがやわらかい光の中の藤の花は、なんともたおやかな美しさで咲いていた。 仕事が無事終わったこともあり、なんだかふうわりとした気分でいる私の目に、思いのほか豊かに咲き乱れる様は「あらまぁ〜」と声をあげるほど。
実は、藤の花には人一倍思い入れがある。 小さい頃からおてんばな私は、小学生の時にはクラスのガキ大将と取っ組み合いのけんかはするは、挑まれた駆けっこでは勝ち抜いて、宝ものの水晶の大きな結晶を約束通りもらい受けて、同級生の男の子を泣くほど悔しがらせた。中学の時には掃除をしないクラスメートを学校中箒を持って追い掛け回し、ふたりとも廊下に立たされたりした。どれも私は悪くないと思っているけれど、直情傾向にあることは否めない。
今は逆に抑えすぎていることもあって、おだやかな人(?)と思われていてとってもツライ時もある・・・。
とまあ、背がひょろ長く、美人でもなく、むこうっ気の強い娘を心配してか、母は自分の習っている日本舞踊を習わせることにしたらしい。母の稽古や着物姿を見ていたせいもあり、すんなりと溶け込んで稽古はそれなりに一生懸命だった。17,8歳の時ことである。
3年経つか経たないかのころに、おさらい会があり、お師匠さんは私の演目に「藤娘」を選んだ。「藤娘」というのは大津絵に描かれている。それを題材にした、絵から出て来た娘が踊ると言う趣向の五変化舞踊のひとつだったが、尾上菊五郎(六代目)が藤の精が娘姿で踊るという内容に変えて以来、独立した歌舞伎舞踊として人気が高く、おさらい会でも良く踊られる。
あら筋は、藤の絡んだ松の大木の前に藤の枝を手にした藤の精が、意のままにならない男心を切々と嘆きつつ踊る。やがて酒に酔い興にのって踊るうちに遠寺の鐘が鳴り夕暮れを告げると、娘も夕暮れとともに姿を消す、というもので、途中で衣装が変わり小道具もいろいろ使う、華やかな女らしい踊りだ。
さて当日。ご存知と思うけれど、歌舞伎のように白塗りの化粧をする。顔を真っ白に塗ってもらっているうちに、鏡を見てぞっとした。似合わないのだ。うりざね顔の日本人形のようなツルリとした顔や、ぷっくりとした丸顔ならまだしも、欠点が強調されてなんとも美しくない。いうなれば女形になってしまったのだ。がっかりである。だって、えらが張った四角い顔とギョロ眼の藤娘なんて、わたしの美意識が許せない。
ところが、出番近くに黒塗りの傘をかぶってみると、不思議なことに、欠点が隠れてそれなりに見える。気を取り直して舞台に立つ。一生懸命稽古をしてきたのだから滑り出しは順調で、舞台の袖のお師匠さんも「うん、うん」とうなずいている。以外にも落ち着いて踊れた。
そして、曲の中ほどで舞台中央の松ノ木に隠れ、衣装を変え塗り傘を取って、また舞台に戻る。
その時、誰かが笑った。
今でも本当に笑われたのかどうかは謎である。けれど、女形のようなこの顔が原因!と思った途端、頭の中が真っ白に・・・。もう、どう踊っているのか、手も足も自分のものではなくなって茫然自失。観客はほとんど出演者の関係やその回りの人だから、踊りを知っている。「どうしちゃったの」と私語をする人、はっと息を飲む人、そんな空気もなぜかビンビンと伝わってくる。余計にあせる!
もう、闇雲に踊っているしかない。棒立ちに突立ってるわけにはいかないのだから。そのうちにどこでどうなったか、正しく曲にあわせて踊りがもどり、気が付くと終わっていた。小道具や藤の枝を渡されたり、塗り傘をかぶせてもらったりしたのもまったく覚えていない。
惨めだった。誰の顔も見たくない。それでもお師匠さんや周りの人に挨拶をして着替えて客席にもどった。見に来てくれた人や一緒に稽古をしている人達がなぐさめてくれたが、気分は最低だった。
それからというもの自信がなくなっていたのだけれど、後日追い討ちをかけるように、従姉妹が「素敵だったわ。終わって出てきた時の白のパンツスーツ。宝塚みたい!」ぷっつんである。その日から日本舞踊はきっぱりやめた。
そして、私の不美人コンプレックスには拍車が掛かり、今に至っている。
そんな苦い思い出が、記憶の底からゆらりと立ち上るけれど、ゆるゆると歩きながら、藤の花を心ゆくまで眺めているうちに、やはり、藤の精は若い楚々とした娘だとの先達の心根にうなずける。
桜は「花は桜木、男は武士」と歌われたように、潔さやキリリとしたところも感じられるが、風にそよぐ藤の花はあくまでも、たおやかな日本の娘の姿なのである。
美しかった。
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