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『銭湯民族の教え』‐6 

有馬湯 -極楽だ-
駄文書きには、あれやこれやと考える時間が必要だ。
「あぁ原稿の〆切りが近づいてきたけれど、次はどんな話を書こうか……」
そんな具合に懊悩することが多々あるのだけど、ものを“考える”場所というのは、どこでもいいわけではない。
電車の中は悪くない。座席に着いて目を瞑っていると、程よい雑音に脳が刺激されて割りといい塩梅にアイディアが浮かぶ。
部屋の灯りを消した寝る前のひととき、なんてのもいいですよ。しかしこれはせっかくいいアイディアが浮かんだとしても、そのまま眠りに落ちることがあるので少々危険ではある。寝ぼけ頭で考えたことなので、翌朝目が覚めるとすべて忘却の彼方なんてことがあり得るからだ。
そんな時はやりきれなくて、その日一日が憂鬱になる。

ものを“考える”場所に最も適しているのが銭湯だ。
広々とした大浴場に身を沈めて目を瞑っていると、時折カラーンなどと気の効いた桶の音が聞こえてくる。
すると今度は、女風呂の方から澄んだ子供の声などが聞こえてきたりする。高い天井に共鳴した子供の声は、まるで小鳥のさえずりのように心地よく脳を刺激する。
そうした“癒し”の空間に身を置くと、“話の種”みたいなものがモヤモヤと浮かんでくることがある。

前置きが長くなってしまったが、そんなわけで今回は有馬湯へ行くことにした。
いや、有馬湯を目指して出かけたわけではなく、銭湯探しのために自転車で徘徊していたら、偶然有馬湯を見つけたのだ。
外観は素っ気ないが、玄関の佇まいは温かい。
早速下足箱に履物を入れて番台に湯銭を置く。
誤って女湯の暖簾を分けようすると、番台のおばちゃんに「男湯こっち!」といって制された。
もちろん意図的に女湯へ潜入しようとしたわけではない。どうせ潜入するのならもう少し戦略的にいく。だからそのことを示すために「これはこれは」などと言いつつ、紳士的振る舞いを見せて男湯の暖簾を分けた。

目の前に広がる脱衣場。奥の間となるべく浴場。なんともシンプルで素晴らしい。
なんだか荷物をすべて運び出してしまったアパートの一室みたいな、哀感を帯びた爽快感がある。
服を脱ぎ捨てガラス戸をくぐる。
左の壁に面したカランにのみシャワーがついているが、中央及び右の大窓に沿ったカランにはシャワーがない。
しかしそれがいいではないか。潔くて気持ちがいいではないか。
さらには桶が良い。黄色いケロリンではなく本格的な木桶だ。
客はオレも含めて4人。
大窓に面した中庭の木には、クリスマスを意識してなのかイルミネーションが飾られてある。

凪いだ浴槽に身を沈めると、程よく熱い湯が冷えた体に染み入った。
極楽だ。ああ極楽だ。
湯から首だけ出して、中庭のイルミネーションを眺める。
客が木桶を使う柔らかな音。
〆切り原稿のことなど考えるのはやめにした。馬鹿馬鹿しい。
まさに本末転倒だが、それでいいではないか。
極楽だ。ああ極楽だ。
しかしこの後は〆切り地獄に落ちることになる。


『有馬湯』
東京都台東区竜泉3-31-2

記:高杉 圭一2008.01.08

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