ある日、学校帰りの男子中学生2人とすれ違った。
「今から俺んち来いよ、海苔巻が6つもあるんだぜ!」
「えっ? 6つも !? スゲー!!」
その声は、「ランボルギーニが6台もあるのかよ!?」レベルの驚嘆ぶり。海苔巻だろ? そこまで驚くことではなかろうに……などと私は思ってしまうのだが。
またある日は自動販売機の前で、やはり男子中学生達のこんな会話を聞いた。
「俺、コーラとアクエリアスの500缶しか飲まねーぜ!」
「逆に俺、500缶は飲まねーぜ!」
どうでもいいよ! そんなこだわり!
バスの後部座席を陣取る女子中学生4人。恋に恋するお年頃、気になる男の子の話題で花盛りだ。
「私、2年のオカダ先輩が好きー。サッカー上手いしさあ、頭良いしさあ……」
「オカダ先輩って、身長何センチだっけ?」
「170以上はあるんじゃないの?」
「ねえねえ、みんなさあ、身長何センチくらいなら、男を好きになれる?」
お前ら、恋愛の基準は身長か!? と、年増の私が思わず振り返り突っ込みそうになっていたところ、まともな女の子もいたのだ、困惑顔で返答した。
「私は別に、何センチでも……」
「だめだめ! ちゃんとそういうところしっかり持っていないと!」
そんなところにポイントを置くべきなのか!?
こうして時折耳にする中学生達の話題は、どこかくすぐったい。訳知り顔で、どうでもよいことにやたらとこだわっていて、覚えたての言葉の使用法をしっかり間違っていたり。恋なんかして、「この人しか考えられない!」などと言っておきながら、「前歯に海苔がついていたから」なんて理由であっさり醒めたり。流行を追いかけたお洒落をしてみても、スニーカーがナイキじゃなくてナイスだったり。ラルフローレンのつもりが馬二頭だったり。
多くの子供たちは、中学生になって初めて制服を身に着ける。パリッとした正装。そして小遣いで、自分の気に入った洋服を買いに行くようになる。ちょっぴり大人気分だ。とはいえまだまだ親の管理下、守られている身分。つまりは子供。しかし、多くの中学生たちは勘違いをしてしまう、「もう一人前だよね!」と。そして“自分の考えた大人像”に基づき、“違いの分かる男”の振りをしてジュースの容量にこだわってみたり、“恋愛経験豊富な女”の振りをして男を選ぶポイントを説明してみたりするのだろう。
社会的立ち位置と自意識のギャップ、これが中学生のくすぐったさを生む。大人たちは、それに愛らしさを感じ、時には苛立ちを覚え、彼らが子供であるという当然の対応をする。すると、一端の大人だと信じている中学生は大いに反発。これが第二次反抗期。かも。
自分が中学生の時はどうだったか、と考えてみた。体が弱く、あまり学校に通っていなかったため、同年代の友人と過ごす時間が少なく、精神的には小学生のまま。その癖、病院などで大人との接点が多く、言葉やら何やらは変に身に着けている。大人、子供という概念の薄さゆえのノーフィアーで生意気なことを言ってのける、「タチの悪いクソガキ」として教師にも随分嫌われていた。そんな不健康な思春期を過ごした自分を思えば、くすぐったく、見聞きするに照れ臭い中学生の行動は、誰しもが通過する後のセンチメンタリズム、失うことすらできなかった人間からすれば、羨ましくもあるのだ。
さて、これはW杯開催期間中、どこへ行ってもサッカーの話題で持ちきりだった頃の出来事。大人でも狂喜乱舞しているのだ、部活帰りのサッカー大好き中学生が、鼻息を荒くしないわけがない。
「お前観た? 昨日のイングランドの試合、ベッカムのテクニカルな技術テクニック!」
「頭が頭痛」程度のツートップには驚かなくなっていた私だが、「テクニカル」「技術」「テクニック」と、同じ意味合いが3つも並ぶフォーメーションには、流石に度肝を抜かれた。
凄いぞ! かっこいいこと言っているつもりなんだろうな! 中学生でなければこんな恐ろしい発言はできないよ! お前のボキャブラリーがファンタジスタだね!!
中学生ってくすぐったい。そして、たまらなく愛らしい。
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