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ふる里の山河、甘酸っぱい初恋、学校生活のあれこれ…。
流れいく時の中で、ふと想いをはせれば、なんだかホロリ。胸がキュン!
そんなヨモヤマ、ご一緒に!!!

谷間の灯…by おばちゃん
人物
小田島彰(21)学徒出陣兵
ペルシータ(18)フィリピン人娘

○フィリピン・ジャングルの中
雨上がり。
一本の樹の根本に小田島彰(21)が両腕を垂れ、両脚を投げ出し、うなだれて座っている。生気のない顔。頭上で金属的な鳥の鳴き声。
小田島、眼を開く。ぼんやり見回して
小田島:
「置いて…、行かれた!…」
小田島よろよろと立ち上がり、一歩二歩、踏み出しながら
小田島:
「こんな所で…、死んでたまるか。俺は死なん…」

○ジャングル(夕方)
小田島が倒れては起き上がり、よろめきながら歩いている。次第に夕闇が濃くなる。歩を止めてうなだれる小田島。
小田島:
「もう…駄目か…」
小田島、ゆっくりと顔を上げ、ぼんやりと遠くを見やる。
全き闇の中、遠くにぽっと灯がともる。
小田島:
小田島:
「ホ、ホタル?」
「置いて…、行かれた!…」
小田島、両目を擦る。二、三歩歩き始めた小田島、遠のく意識。

○(回想)
農村風景。
井戸水がほとばしる。
水をくみ上げていた小田島の母親が振り向いて笑う。

○ジャングルくぼ地・民家の寝室中(朝)
寝室に横たわる小田島。質素ながら清潔に整えられた室内。
小田島、ふと目覚める。ぼんやり辺りを見回す。
ガバと跳ね起きる。
隣室からピアノの音が流れ出す。

○民家・リビング中
ペルシータ(18)がピアノを弾いている。
小田島、よろめきながら入り口に立つ。
ペルシータ、驚いて振り返る。恐怖の顔。
小田島:
「もう…駄目か…」
ペルシータ、傍らの銃をとり構える。
ペルシータ: 「Freeze ! ! 」
小田島、両腕を挙げる。真っ直ぐにペルシータを見詰めながら歌いだす。
小田島:
「Ther's a lamp shinin' bright in the cabin In the window,it's shinin' for meand And I know that my mother is prayin' For the boy she is longin' to see…」
ペルシータの構えた銃がゆっくりと下へ降りる。瞳が潤んでいる。
小田島、腕を挙げたまま、真っ直ぐにペルシータを見詰め返す。



「ふる里自慢」のコーナータイトルをデザインしていたら、なぜか突然「谷間の灯」が口をついて出てきた。

そうしたら、もうその歌詞を配す以外に頭が回らなくなった。その歌詞を揚げたら、この下手くそなシナリオ以外に何も書けなくなった。

これは今から15年くらい前に「シナリオ教室」に通っているころに「出会い」がテーマの課題で提出した200字詰め5枚のものである。
お察しのとおり、ストーリーはフィクションではなく実話である。小田島とはイコール、私の父なんである。

父はミンダナオでデング熱にかかかり、隊から放置された。ペルシータとの出会いなくしては命はなかった。そう、折にふれ何度も何度も繰り返し命の恩人・ペルシータの話を私にいって聞かせた。

「どうして、この歌を歌ったのかわけがわからん」と父は言ったが、ジャングルのただ中で、熱にうかされて意識朦朧とした父の脳裏をよぎった「ふる里」は紛れもなく、父の郷里・信州の山間の村里の風景であり父母・姉妹だったろう。

いつも、いつまでも自分を待って窓に灯りをともしてくれているに違いない「家」だったろう。その帰巣の想いが咄嗟の機転を引き出し、歌を歌わせたのかもしれない。

小さいころから耳にタコができるくらい聞かされて、そのうち「またか」になりさがったはずのネタを、なぜまた「出会い」の課題にひっぱりだしたのか、今思うとこれも「なぞ」だなー。

これを書いたころ、私は今よりは数段若かった。若かった分だけ生き辛かった。父もまだシャンシャンしていた。元気な分だけ頑固やわがままは猛烈で、エキセントリックなとんがりでつつかれた日にゃあ、やわな私はひとたまりもなかった。社会適応がどうにもまずい父の周りには絶えずいざこざがついてまわり、それにつけては私は金たわしで擦られるようなヒリヒリした思いをさせられたものだった。

父は今、もう自分では食事も満足に摂ることも、用を足すこともままならず、老人ホームで車椅子に座って日がな一日ぼーっと暮らしている。だから、もう父とけんかすることもない。

そうなって「悲しい」とかいう感情が私にあるというわけではない。むしろ「やれやれ」と思うほうがずっと大なのだ。ようやく父への訳もない「畏怖」からも自身の「憎悪」からも解き放たれた解放感の方がよっぽど強い。

父のような「ふる里」は私にはない。生まれて12歳まで育った京都の山々は確かに私の原風景をなしてはいる。誰もが持っている象徴としての「ふる里」としっかり結びついてはいるが、「実態」はというとはなはだおぼろで、どこかしら「空」と感じてしまう。父の抱いていた「ふる里感」とは本質を異にしていると言わざるを得ない。

だからといって、「ふる里」というテーマを前に、私の口をついて出たのが父の「命」のエピソードとかかわる歌だったというのはなぜだろう。

「生まれ来し子」の宿命なんだろうと、少し悲しく思ったりする。

たまには、しんみり書いてみちゃったっと!


記:小玉徹子 2006.01.05

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