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先日の句会の話に出てきた吉岡七郎さんのことを〈文芸の幅が広い人〉と、評させていただいた。
小説や戯曲も書かれるからだ。書いた戯曲を演出・上演し、私を演劇デビューさせた張本人でもある。
吉岡さんは5年前、中学国語教師を早期退職。
同じ阿蘇郡でも外輪山の外側に位置する西原村に文化創造館「風流(かざる)」を建て、さまざまな文化的イベントを開催してこられた。昨秋の4周年記念行事に演劇公演を思い立ち、夏の初め、私にも声をかけてくれた。
今シーズン後半の福岡ソフトバンクホークス選手たちの王監督への思いとまではいくまいが、シロウトだけに私にも、作者の期待に応えたい気持ちが強かった。
そのまま劇の題名になった「千の風になって」は昨今、身近な人を亡くしたばかりの人らが、周囲の心ある人に贈られて生きる力を回復したりして広がりつつある不思議な英語詩。原詩の日本語訳は、作家の新井満氏である。
私にはアメリカ原住民ナバホ族のおじいさんという老け役が振られた。やりがいあって、人生変わるほどがんばれた。
ところで私が今回、1年前のことを濃厚に思い出したのは、当の吉岡さんが、阿蘇ペンクラブの会誌『無辺』秋号に「奇跡体験」のタイトルで、そのことを書かれていたからである。準備期間の短さをものともせず成功したことを例にとり、念ずれば通じることが確信できたという内容だった。

私も盛んに演劇の練習に通っていた頃、何ものかに憑かれたような気分の中、よい出会いがたくさんあり、求められるまま、意志力が出来事を引き寄せうることを原稿に書いた。
その私の駄文を読んでいただろう吉岡さんが、似た思いを深めるような文章を、今になって書いてこられた。これは言葉というより、「無意識」のキャッチボールをしているのだと、私には思える。思索や理想の近似した者どうしの間に起こりうる、不可視だが当人には鮮やかに見える現象。この画面に劇中やメイク写真をアップしても、なかなか伝えることは難しいけれど。
それはいいとして、吉岡さん。あんないい芝居を1回で終わらせるのは、勿体ないではありませんか。おじいさんが「風よ!」と叫ぶところで、こんどは俵山の風力発電をかたどったおもちゃの風車を回す小細工なんかもやらせていただき、昔のナバホの楽園と21世紀の阿蘇をつなぐいたずらも実行したいので。

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記:福田 章 2006/10/01
特派ルポ:九州よかとこばい
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