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電車の窓からそよそよと流れてくる、秋の微風があんまりにも気持ちよかったものですから、ついうっかり3駅ほど乗り過ごしてしまい、480円も余分にお金をとられてしまいました。ついでに白いシャツがよだれでべとべとに。
それを見て
「よだれのシミがオーストラリアそっくり」
と、笑う彼女。起こしてくれよ。
電車は今、愛媛県と香川県のちょうど間あたりを走っています。とろとろと走る列車の窓の外を流れるみかん畑。田舎の列車はとにかくのんびりで、ぼくたちの横を、自転車に乗ったおじさんが追い越していきました。ぼくたちはそれをぼんやりと見送ります。
久しぶりの田舎はちょうど秋まっさかり、どこの農家もみかんの収穫に追われています。だから窓を開ければ、柑橘の甘酸っぱい匂いが。その匂いを嗅いでようやく、ぼくは「実家に帰ってきたんだなあ」という実感が湧くのです。
秋の匂いは、人を何年も昔の過去や思い出のほうにぐいぐいと引き戻します。
秋の匂いが独特に感じられるのは、秋が一年間で温度変化が最も急激な季節だからです。夏から秋へと変わる9月に、日本の気温は急激に変化します。気温が下がると、鼻の粘膜近くに多量にある毛細血管が収縮し、嗅覚を変化させると同時に副交感神経を刺激します。これが
「ああ、秋独特の匂いがやってきたな」
と強く感じるトリガーとなるのです。
匂いが過去の出来事を思い出させるのも理由があります。匂いを仕分けする脳の「嗅球」という部位は、記憶の製造をつかさどる「海馬」と近い位置にあり、非常に多くの神経で接続されています。そのため匂いの情報は、大脳皮質にたどりつくよりも(つまり意識にのぼるよりも)前に、まず過去に同じ匂いを嗅いだときの経験を参照しようとします。
嗅球は感情をつかさどる「扁桃体」とも強く結びついていて、過去にどんな気持ちでその匂いを嗅いでいたか強く思い出させます。そのため、嗅覚は他のどの感覚よりも、過去の経験や気持ちを関連づけさせるのです。
また、大人のほうが子どもより秋の匂いに対する感受性が高い、と言われます。匂いと関連して思い出すだけの、記憶や経験が子どもには少ないからです。
ぼくは今23歳ですが、歳を重ねるごとに、秋の匂いにトリガーされる過去が増えていくのを感じます。それは例えるなら、毎年、少しずつ荷物が重くなっていくような。今年より来年のほうが、過ぎ去ってきた秋の数は多くなり、いろいろな感情を背負わなくてはならなくなる、昔はなんでもなかった秋の匂いに、いちいち懐古的にならざるを得ない…。
時々、それがたまらなく苦痛になることがあります。そのうち過去の古い感情に押しつぶされて、新しい感情が入る隙間がなくなってしまうんじゃないか…そう思い、怖くなるのです。
そうやって考えてる間にも、電車は進みます。みかん畑を過ぎ、窓のむこうの景色は、いつの間にか瀬戸内の海。キラキラと反射する三角波の水平線を見て、彼女は
「これがあの有名な瀬戸内海か」
とはしゃいでいます。
今回の帰省の目的は、田舎の両親に彼女を紹介するため。ぼくたちは近いうち、結婚するつもりなのです。
歳を取るのは怖いことかもしれません。それでも先に進むことには意味がある気が、ぼくはしています。
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記:山本洋志郎
特集:秋のかほり
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