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革製品のお店を出てエフェス遺跡へ行く。聖母マリアの家に向かう途中、エフェス遺跡の全貌が見渡せる場所に立ち寄ったが、あまりの広大さに驚いた。この遺跡の入り口は南北2箇所、南から入って北に抜ける予定とか。ここはガンバッテ歩かねばと思う。やはり有名なエフェス遺跡にはどこから湧き出したのかというほど、世界各国からの観光客で溢れていた。
わたしはいいかげんな人間なので、エフェスはローマ遺跡よね、と思い込んでいたが、必ずしもそれだけではないようだ。むしろギリシャ・・・。とにかく、この地に人が住み始めたのは青銅器時代とか。気が遠くなるような話だ。その後、カリア人とレレジア人(といわれても知らないや)が定住し、BC1200年頃にイオニア人(これは知ってる)の移民活動が始まったとか・・・。
これを読んだ段階でお手上げ。だって世界史のテストみたい。ということで、世界史に強い方のため登場人物だけでエフェス遺跡の歴史を推理していただこうと思う。
この遺跡にまつわる登場人物たちは、アテネ王コドロスの息子アンドロクロス、キンメル人、リディア王、ペルシャ王キュロス、リディア王クロエソス、アレキサンダー大王、リシマコス、その妻アルシノエ、ローマ人、ベルガモン王アッタロス、ミトリダテス、スラ帝、アウグストゥス帝、聖パウロ、アルテミス、使徒聖ヨハネ、聖母マリア、ゴート人、テオドシウス帝、ユスティアヌス帝、アラブ人など(ほぼ登場順)。


世界史に弱い方は、ギリシャっぽいけどローマ遺跡よねで行きましょ、わたしと共に。
レポートを書くためにと購入した日本語の解説本にさえ音を上げている勉強嫌いなわたしでも、それなりに楽しんではきました。古代の水洗トイレの優雅?な様子。池や彫刻を眺めながら、オープンに用を足す清々しさは筆舌につくしがたいかも。そして、世界最古の広告と云われている、娼婦宿の看板。一説にはこの足型よりも小さい人はお断りだったのではないかとの推論ありとか。そしてこの娼婦宿は向かいの豪華なセルシウス図書館と繋がっていたのである。ナントふしだらな!とかヤボなことは言わない。が、実にケシカラン。勉強してるフリしてさ。
大理石の道に残された轍の跡は、すでに遺跡としてしか機能していないだけに、リアルに数千年のタイムトリップ。そしてナイキのマークの基になった勝利の女神ニケのレリーフときりがない。それから最近でもパバロッティのコンサートなどが開催されたという保存状態のいい26,000人収容の大劇場など。歴史が苦手でも興味津々な証拠物件がいっぱいのエフェス遺跡だった。

遺跡の後は、レストランでシシケバブの昼食。でも、シシケバブは思っていたよりも小振りで、焼き鳥そっくりだった。これまで食べた料理は手を加えたトルコ料理が多く、肉の塊をほうばるという食文化はあまりないように感じていたが、ここのシシケバブは肉食動物のわたしには軽すぎる量だった。だって串が太いわりに肉が小さいんだもん。でも、美味しくいただきました。そうか、もしかしたら安いレストランだったのかも。本などを見るとシシケバブって肉の塊だもの。あー、食べてみたーい。格安旅行かつ全食事付きってやっぱ問題だと思う。もっと格安旅行、食事時々抜きがいい。ですよね。
昼食後、235kmという距離をバスに揺られてパムッカレの温泉ホテルポラットサーマルへ。この湯治場?ホテルは楽しいホテルだった。広い敷地に何棟もの宿泊施設があり、そのほとんどが各国の宿泊客でいっぱい。わたしたちが泊まる部屋は敷地の一番奥にあったため、案内板を確かめつつ、小道を歩いて行った。ホテルの本館?には、レストランやロビーのほかに、ショップや水たばこ場、水着で入る温泉(露天風呂)がある。

数年ぶりに着る水着は、リハーサルなしで持参したが、古さも手伝ってプチプチと繊維の悲鳴を聞きつつもなんとか無事に着られた。メデタシメデタシである。温泉ではほとんど英語が分からない人たちと一緒で、「どこから?」と訊ねると大騒ぎでなにやら声を掛け合い、中の一人が「ポーランド」と答えてくれた。
後はアイラブユーとかなんの意味も無くふざけて言ってみたりするところをみると、日本人以上に英語には弱いらしい。楽しく彼らと混浴し、といっても温水プールと同じだが、ちょっとぬるめのお湯にゆっくりと浸かった。さすが温泉、身体はとても温まりました。
食事の済んだレストランではベリーダンスが始まるとかで、ツアー仲間は出かけていったようだが、こっちは風呂上り。すぐに態勢を立て直せず、部屋でゴロゴロ。歳をとると情報収集にも穴があり、楽しい行事も逃してしまうのである。
さあて、明日はなんとも不思議なパムッカレだぞ。さ、寝よ。と思ったら・・・マジかよ。眠れないじゃん。
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