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朝、早々に食事を済まして町にでる。ホテルはウルギュップの外れにあり、ちょっとしたホテル通りの奥にある。トルコに来て初めて冷たい空気にふれたという気持ちのいい朝だった。道は一本道なので迷うことはなさそうだ。途中川を渡る。橋の左は護岸したつまらない川になっていたが、右はポプラの木々が生える川原が素敵。トルコにも近代化の波は徐々に、ゆっくりではあるが押し寄せている。
駱駝に似た大きな岩を目指し、ウルギュップの町に入る。岩のあちこちに岩窟住居の跡が見える。町はオトガル(長距離バスターミナル)を中心に商店街が広がる。歩いていると「アンニョンハセヨ」と声をかけられた。コリアンツアーも多いのだろう。わたしたちは日本人よと言うと、「サヨナラ」と。町には気球ツアーの案内があちこちにある。気球には乗りたかったが、一人28,000円という値段に尻込みをした。だって高いでしょ、ビンボー人には。1時間15分ですから。45分コースは20,000円弱らしいけど。
帰り道、途中からちょっとお腹の具合が・・・。これがカッパドキアゲリラ(下痢等)部隊の始まりだった。
広大なカッパドキアの奇岩群を見物していくうちに、我先にバスを飛び出す人たちが続出。あたし待てないのよ的様相でトイレに並ぶ。
え!あなたも?オレもよ!という会話でほぼ半分がゲリラ部隊員であることが判明。いったい原因は?
ギョレメの谷から奇岩群を眺める。そして、移動。ちょっと待てよ。ギョレメの谷には大小350もの教会があると考えられていて、そのうちの有名無名合わせて10個の教会を屋外博物館としているはず。中には洞窟ならではの保存状態のいいフレスコ画があるはずだ。わたしのツアー参加目的の上位にこのフレスコ画を見るという楽しみがあったのだ。なのになぜ、奇岩見物だけで移動なのだ。

あっさりとギョレメの谷を離れたので、次のウチヒサールに下車したときに添乗員に聞いた。「フレスコ画も見ないでどうして移動するの」「そうですよね、あー、このツアーには屋外博物館の見学はないですね」とスケジュール表を見ながら言った。ウソでしょ、カッパドキアに2泊もして、ギョレメの谷にも来ているのに、フレスコ画を見ないですって?
「パンフレットにも屋外博物館見学の記載はないですよね」と。うん、確かに記載はなかったかも・・・。でも、これってツアー会社がバカなの?それともワタシ?
こういう場合、ツアーを離れて自己責任で別行動をするのは可能なのだそうだ。それには事前に書類を提出し、ハンコも押してということらしい。それを知っていればそうしたのに。ハンコだって100個くらい押してあげたのに。と言ってももう間に合わない。だって車の手配とかできないし、その場でツアーを離れたらホテルに帰れない。それにハンコも持ってきてないしと泣く泣く諦めたのでした。
その後、アヴァノスに移動し、有名な陶芸家のいる工房へ。陶器作りを見学し、陶器を買ったり買わなかったり。もちろん、わたしは買わない組。陶器見学もそれなりにいいですよ。でも、そんな時間があるならフレスコ画が見たいし、隠れキリシタンの岩山の暮らしの方がずっと見たいと執念深いワタシ。
でも、その工房も洞窟だった。岩が柔らかいのだろう。好きに掘り進み、幾部屋も続いている。床も壁も天井もすべて同じ岩肌で、なぜかお洒落な感じがする。
昔も今も柔らかい岩山をおおいに利用して住んでいることには変わりはないのかも。
昼食は洞窟レストランで花嫁のスープと鱒料理をいただく。が、なにしろゲリラ部隊なのだ。食べてもすぐに出さなければ出ちゃうので、トイレは長蛇の列。待ってなんかいられないと男性がいなくなったのを見計らって男性用に。ところが、途中で男性が入ってくるんですよね、当たり前だけど。突然おばさんが現れたときのトルコ人男性の驚き様は!!!!!くらいでした。

その後、ゼルヴェの谷からまた奇岩風景を見学し、岩窟住居に住んでいる家庭を訪問。まだ、小学生という女の子が家に案内してくれた。入り口は台所から入り、中の住居部分へ。岩をくりぬいた住居は絨毯が敷き詰められていた。トルコでは絨毯は必需品だったのだと初めて納得。まだ生まれて数ヶ月の赤ちゃんもいた。まるで白人の赤ちゃんと同じ。幾つくらいから、その民族特有な容姿になっていくのだろう。
帰りに少女はいち早く出口にスタンバイ。手作りのアクセサリーの売り子に変身。彼女のけなげな姿にビーズのネックレスを一つ購入。5ドル也。カッパドキアはドルが好きらしい。バスが出るまでしっかりと手を振っていた。

その後、カッパドキアワインの試飲と買い物。もちろん購入。これはこれからの旅先での寝酒用。なんてたって病はお酒で治すのが一番です。今夜はきついRAKIを飲みましょう。
下痢の原因は特定はできないが、生野菜は控えましょうということになった。Takakoさんは中でも重症派なのだろうか、お湯をもらい梅干で治すつもりらしい。これって民間療法?興味をもったコックさんがそれは何?と聞くので、梅干蜂蜜漬けを食べさせると、ナントモ困った顔をしていた。
夕食後オプショナルのメヴラーナ旋回舞踊を見に行く。古いキャラバンサライ(隊商宿)をリニューアルした会場はライトアップされて美しい。わたしたちは一番早く会場に到着。にもかかわらず、ガイドが指定した席は一番見づらい席だった。
旋回舞踊は神秘的で素晴らしかった。声量のある歌?と民族楽器の音色、白い衣装の男性がただひたすら回転するのだが、スカートのような衣装が回転に合わせて広がる。ショーというよりは、おしゃべり禁止、拍手禁止のおごそかな儀式である。
素晴らしかっただけに、席が悪かったのは極めて残念。わたしたちは30人近くが参加。3方向が観客席なのだが、演奏者正面は数人の白人。また、踊り手正面にも10人程度の白人。わたしたちの席は踊り手の後。おかげで背中はよく見えました。どうもガイドのジャネルは日本人が嫌いなのかも知れないと思っていたが、それはわたしだけではないようだ。「日本人をバカにしている」そんな声が聞こえてきた。
カッパドキアは素晴らしい。でも、この格安ツアーの中で一番出来の悪い一日だった。
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