|
1994年、世界文化遺産に指定されたトルコの白河郷ともいえるサフランボルに向かう。約220kmの移動。
サフランボルは黒海から約50km内陸にあり、トルコの昔ながらの民家が数多く残る町なのだ。いつもの移動よりは短い距離なので、出発は8:30分だった。
出発時、Takakoさんはそれほどの不調を訴えてはいなかったが、途中の休憩所では「風邪をひいたみたい」と言っていた。
トルコはここ数年大きく生活が変化してきているらしい。中国製品が大量に入ってきて、国の隅々まで行き渡る。特に子どもたちは、プラスティック製のおもちゃが簡単に手に入り、遊びも変わってきたという。休憩所の売店には、その言葉どおりおもちゃが山積みされていた。わたしも中国製の安価な衣料品や小物の恩恵を受けている一人だが、世界中の子どもが同じおもちゃで遊びながら成長すると、どういう世界になるのかな。
バスは鉄道に沿って走る。天気はいいのになぜか太陽の輪郭がぼやけている。民家の煙突からは煙が出ていて、なにかスモッグのような気がしていた。そして鉄工所の脇を走り抜けるとき、大きな石炭の山を見て確信した。やっぱりスモッグだと。地球温暖化を止めるなんてできないかもねと思う。
サフランボルの入り口には大きなサフランの花のモニュメントがある。この地には昔サフランの花が群生していたことから名付けられた地名なのだとか。到着はちょうどお昼時、最初にレストランに入る。レストランも民家を改造した建物で、木と土壁でできている。なにか懐かしく、外国の、それも異文化の古い民家というのに、違和感がない。
このレストランの料理はとても美味しかった。レストランの食事には必ずサラダが付くのだが、それはどこもほとんど同じだった。やっとここで撮影に成功。ドレッシングなどはかかってなくて、レモンを絞るだけ。生野菜がそれほど好きではないので、これを全部食べるのは難しい。料理の味のベースはトマト味が多いように感じたが、やはりアジアの食とは違う。

サフランボルは小さな町。フドゥルルックの丘からは手にとるように町が見渡せる。ところが、真下の家々から排出される暖房の煙で喉が痛くなる。
丘を下り町のチャルシュ広場で自由行動になり、一斉に小さな町に繰り出して、世界遺産の建物を鑑賞。とはいかず、おみやげ屋の呼びかけに吸い込まれるようにお店へ。ここでサフランを購入と思っていたが、高い。日本でもサフランは値段や瓶の大きさのわりに、数本の中身で驚くが、さほど日本で購入するのと変わらない。なぜこんなにサフランが高価なのかというと、一つの花から一つだけ花柱という(ゆりの花などで突き出しているめしべ?それとも・・・)部分だけが使われるからなのだそうだ。
今では、サフランボルではサフランが作られてはいなくて、ほとんどイラン製とか。ならいらんということで購入せず。でも、身体にはいいみたい。昔から健胃剤、鎮静剤、芳香剤に使われているのだそうだ。
町は石畳の狭い路地で構成されていて、子どもたちはそこで遊ぶ。それは昔懐かしいわたしたちの子どものころの姿みたい。
ここには働く女性の姿があった。おみやげ屋の商品はほとんど手作り。洋服屋の仕事場はミシンを中心になんでも手が届く場所にある。限りなくわたしの仕事場に近い散らかりよう。お菓子屋も八百屋もその店先には女性の姿があった。
サフランボルは午後5時にはすべてのお店が閉まってしまう。買い物途中でも突然追い出されてしまった。さて、長い夜、今夜も一人部屋のわたし。Takakoさんはついにダウン。寒気がすると言って寝込んでしまった。残すはイスタンブールだけ、もう薬など必要ないだろうと、すべて提供。ハマムに行こうよとツアー仲間に誘われたが、行かず。
ホテルのロビーでチェスのような遊びをしていた運転手のヒルミとアシスタントのドゥルスンをひやかす。「どっちが強いの?」と聞くと二人とも胸を叩いた。陽気な彼らの顔を見たのは初めてだった。
彼らはお客とは接してはいけないと教育されているのだろうか、常に距離を保ちつつの関係。もうじき旅も終る。そんな気分が許した会話だったのかもしれない。
カディオール・シェフザーデホテルの部屋は、子ども部屋のような雰囲気で、親戚の家に泊まるような気分。しかし、洗面所は、トイレが一番奥にあり、手前にシャワー。排水が悪いため、シャワーを浴びるとトイレに行くには覚悟が必要。ということで、シャワーを浴びなければ問題ないので、この日はパス。コンセントが曲がってついているのも愛敬かな。いいよいいよ、世界遺産の町で便利など求めないよ。
さ、お酒でも飲んで寝るか、今夜も。

|