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有働薫のQui est-ce, Madame?


前略 有働薫さま

『閉ざされた庭』『ガラスの屋根』と続けて読んで、ドゥタンベルという作家の世界は少しだけ理解したとは思っています。でも、フランス文学を読んだのはあまりにも若い頃。おそらく20歳前後でした。よくよく考えてみると、かなりいろんな作家の本を読んだ記憶があります。サルトル、カフカ、ボーボアール、サガン、モーパッサン、そしてカミユ。

今回、有働さんとこの企画を始めるにあたり、少しはフランス文学を理解しているのだろうかと自問したのです。ところが、読んだはずの作家のどれ一つ記憶にないのです。もちろん、カフカの『変身』などのあらすじなどは常識として知っています。でも、その本に何が書かれていたのかは、まったく記憶にありません。

そこで、コーヒーメーカーの安定を図るため、下敷きにしていた文庫本がカミユの『異邦人』である(ゴメンなさい。カミユさん)ことを思い出し、読んでみたわけです。これがすごい!実に面白い。おそらく若いころ読んだというのは、正確には読んでなかったのでしょう。いや、理解できなかったというのが本当のところです。たぶん。

ドゥタンベルの作品は、10代の多感な少年や少女の、まだ親の支配であったり、大人にとってはささいなことなどに振り回される、甘ったれた心模様を比喩的に表現しているのではないかと感じました。そこには自分以外の人間の存在はすべて自分によって、どんなものにでも変わってしまう。なにか陽炎のようにとらえどころがない存在だし、社会性などまったく問題にしていなくて、いわゆるジコチュー。それは、よく考えてみれば、まさにわたしがまったく理解できなかった『異邦人』を読んだころの
自分に重なるのだと思いました。

社会性とか常識とかは、若い者に要求するほうが無理なのですね。とにかく訓練されていないのですから。フランスという、宗教を倫理観の基盤にしている国で、宗教的倫理観を身につけられなかった『異邦人』のムルソーは、宗教的倫理観のない日本で、そんなものは当然身につけていない自分と、価値観やいいかげんさなどがあまりにも似ていて、とても怖い小説だったのだと衝撃を受けました。

カミユは大人になってから読まなければ理解できず、ドゥタンベルは大人になってしまうと理解しづらいというのが率直な感想です。ということで、どこまでドゥタンベルの作品を理解できるのかはおおいに疑問ですが、『閉ざされた庭』の解剖を始めましょう。


 
From MARIKO
 




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