前略 有働薫さま
ご無沙汰して申し訳ありません。標準を嫌わないでくださいという部分で長い間考え込んでいました。 標準を嫌う意識などなかったので、はて標準とは・・・と。おそらく、有働さんが言う標準というのは、フランスという国はキリスト教が標準になっている、それを忘れるなと言いたいのかなと思うようになりました。
そして、有働さんは標準に対して個性という言葉を使っていらっしゃいました。わたしはフランスがキリスト教を基盤にしていることは知っておりますし、それを否定および無視などという大それたことをしようなんてまったく考えておりません。それは誰もが認める現実ですから。
でも、今話題になっている「ダ・ヴィンチ・コード」などは、フィクションとはいえ、あのような話が飛び出してきたこと事態に時代の変化が読み取れると思っています。 そして映画に対しては、ボイコット運動に広がったアジアに比べて、ヨーロッパのキリスト教徒は極めて抑制的に反応しており、バチカンのおひざ元のイタリアでは、映画上映初日に過去最高の売り上げを記録したと5月22日の朝日新聞にありました。そして、暴動など起きてはいません。
科学が進歩するなかで、さまざまな謎が解決されてきました。奇跡をベースにした宗教に対して、よりどころの芯が少しづつずれていくのは、当然のことで、その芯のずれと折り合っているのが、ヨーロッパの人々であると思います。
フランス人であるドゥタンベルは、神から選ばれた少年の苦難の道を描くなどという、大時代的な小説を書くのでしょうか。わたしにはとても考えられません。そんな古ぼけたテーマで小説を書いても、世に出ることはなかったのではないかと思います。これはあくまでわたし個人の感想ですが・・・。
わたしは常々、良心というモラルを育てるには、成熟した宗教というのは良いアイテムだと考えています。宗教を持たない?日本でモラルを教えることはとても難しいことなのだと思います。ということで、宗教を否定する気はありません。個人的には決まった神様を拝む気はありませんが。
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