VIVA ASOBIST

vol.32:上野隆幸
軽井沢で築窯・第2の人生!

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【プロフィール】
陶芸家

1948年:新潟に生まれる
1972年〜2003年:プロダクトデザイナーとしてデザイン事務所勤務
1991年:神奈川県・馬絹陶芸窯で作陶を始める
2003年:軽井沢で「陶工房・唐辛子」築窯

vol.32_01.jpg 「どうして『陶芸家になっちゃったか』よくわからないんです」
陶芸家・上野隆幸氏は首をかしげた。
「土」に魅了されたとしか、言いようがない。ただの「土くれ」が美しい形に変わる。水ひき・成形の時の、手に伝わるなんともいえない粘土の感触。灼熱の炎にあぶられて、思いもかけない作品に仕上がる、その都度の尽きない感動。毎日がそのくり返しとの追いかけごっこなのだと上野さんは言う。

06年の秋、東京・青山で作陶展を開催した。03年に軽井沢に築窯してから3年目、新潟での2度の個展を含め、作品発表は3回を数えた。
モノトーンな作風。決して「おしゃべり」ではないが、かといって「無口」というのではない。物静かではあるが、そこはかとなく優しくて手のぬくもりが伝わる。自然豊かな軽井沢の草いきれや風の匂いも運び込んできてくれるような器の数々。
上野さん曰く「飾りものとしてではなく、日々の暮らしの中で使ってもらえるもの」「美味しいものをさらに美味しいと感じさせる器」そのままのいずまいで人をひきつけ、即販作品はほぼ完売だった。

航空機やバスの内外装のデザインやショーディスプレイのデザインの仕事のかたわら、何かリアルに手にできる立体的な形あるものに触れたくて陶芸舎の門をくぐった。ほんの休・祭日のてなぐさみに。16年ほど前のことだ。

vol.32_02.jpg 40歳も半ばを過ぎようという頃、プロダクトデザイナーとしての限界のようなものが漠然と見えた。
「50歳ぐらいが限界かなー」時代が要求する感覚とのブレが生じるに違いない。いずれ制作の現場を離れ、マネージメント・経営に足場をシフトしていかなければならなくなる。そうなった時、果たして性格的に適応していけるだろうか。思いをめぐらせては思案に暮れた。
そんな時、幼馴染の恋女房・和子さんのひと言。「好きなことやれば」これは大きかった。
上野さんの胸中で「陶芸教室の生徒から陶芸家へ」構想が芽吹き始めた。

年老いていく両親のこと、東京を生活拠点としていくだろう2人の息子たちのことなど様々考え合わせると、東京と新潟の中間点に位置する軽井沢なら、たっぷり広い敷地も確保でき、高温を発する窯を設置することも可能だった。「軽井沢・築窯」案はスムーズに具体化されるはずだった。

vol.32_04.jpg ところがいざ計画が具体的に動き始め、それまで住まいしていた川崎市の家の売却、軽井沢での土地購入と建物の設計・施工と話が進むにつれ、和子さんの様子がなんだかおかしくなってきた。

「あの時はあんまりしょげてたから、励ましてあげようと思っただけなのよ」「口が滑っちゃったの!」「ほんとは都会派なの」「私の生活はどうなるの!」

和子さんにしてみれば、それまで長年続けていた編集デザイナーの仕事はちゃんと続けられるだろうか、培ってきた友人・知人たちとの交友の輪から離れた生活に耐えられるだろうか。気持ちが大きく揺らいだ。「牛乳配達しなくちゃいけなくなるかも」など笑って言いながら生活の不安もあった。

vol.32_03.jpg 家が完成して引越し騒ぎもようやく収まったころ、「そんなに帰りたいんなら、帰ってもいいよ」上野さんが言うほど、和子さんは気持ちが沈んでしまっていた。毎日通ったオフィスの周辺・渋谷の喧騒が無性に恋しくて涙が落ちた。

軽井沢の別荘地の中にある家の周りは、夜になると懐中電灯なしには外を歩けないほど真闇に包まれる。朝方など屋根の上を猿の群れが遊ぶ物音で目が覚めるのも珍しくはない。冬場には「ゴミの類は戸外に出しっぱなしにせず倉庫に置いて、倉庫には必ず施錠すること」の回覧板が回る。そうしないと熊が寄ってきて危険なのだ。とにかく、なにもかもが川崎での生活環境とは180度異なっていた。

「それにね、プリンタのインクだってコピー用紙だって、仕事中に何かが切れても、ハンズも伊東屋もない。買えるところまで行くのに車で往復1時間以上もかかるのよ」

vol.32_05.jpg それが、どこでどう折り合いがついて「青山の個展」にたどりつき、今に至っているのか。
4年という月日の流れのなかで、どう変わっていったのか。

早期退職して築窯した上野さんの並大抵でない「覚悟」は生活にもきちんと現れていた。何時に起きようが寝ようが誰に文句を言われるわけでもない状況でも、きちんと決まった時間に起床して、工房にこもれば集中して作品作りに没頭する。それこそ腱鞘炎を起こしてしまうぐらい。

作陶に打ち込む上野さんの思いは、言わずもがなで和子さんの胸に届いたことだろう。にも関わらず「帰りたい」と言った和子さんに「帰ってもいいよ」と言ったのも上野さんだった。和子さんの気持ちになって、一緒に涙した。
加えて、ひょんなことで軽井沢発信の雑誌の編集デザインを引き受けたのを皮切りに、和子さんの編集デザイナーとしての存在は地元で重宝されるようにもなった。もちろん東京発の仕事は従来に変わらずオンラインでこなす。いわばチョウ近代的お仕事スタイル。
「そこそこ生活のバランスがとれてきた、ってことなんでしょうねー」

vol.32_06.jpg 30年にもわたり携ってきたデザインの仕事。培ってきたその感性を全て陶芸につぎ込み、生かしきってセカンドライフを集大成する。静かな闘志を秘めて土と対話する上野さんの日々。時に小鳥のさえずりや風の音を聴きながら...。

「いやいや、まだまだ油断はできませんよ。奥義を極めるなんて気の遠くなる話より前に、連れて帰られちゃうのかなー、って心配がねー」
と上野さんが言えば
「いいの、いいの、何年か先にはきっちり落とし前つけてもらいますから」と和子さん。

いやいや、どうして息の合った立派な「あそびすと」っぷりです。お二人は。
「一人だけハッピーじゃダメなんだよね。2人じゃなきゃ」

寄り添う気持ちが響きあってこそ、たどりついた道のりだったのだ。
もともと誰彼なくウェルカムな人柄の2人だから、4年間の間に軽井沢での友人知人もずいぶん増えた。東京からの友人の訪問やら折に触れて友人を伴って「実家」に帰ってくる息子やらで、上野家は訪問者が絶えることはない。











読み物 VIVA ASOBIST   記:  2007 / 09 / 01

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