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Vol.63 栗城史多――人の心を掴み続けるフツーの登山家のフツーじゃない魂

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【プロフィール】
北海道生まれ。
登山家
04年、大学在学中に達成したマッキンリー登頂を皮切りに、世界六大陸の最高峰に単独登頂し、8000m峰3座単独・無酸素登頂。2012年の春はシシャパンマ南西壁、秋は世界最高峰・エベレストへ4度目の正直に挑む。登山中はインターネットを駆使して動画を同時配信することで日本はもちろん世界中の人々と冒険を共有する取り組みを行なっており、そこに映し出される大自然の喜怒哀楽、そして時には泣き叫ぶ登山家の率直な表情を、多くの人々が息を飲みつつ見守っている。

著書に『NO LIMIT 自分を超える方法』(サンクチュアリ出版)、『一歩を越える勇気』(サンマーク出版)。

栗城史多オフィシャルサイト:http://kurikiyama.jp/


※『NO LIMIT 自分を超える方法』と『一歩を越える勇気』の「読書録」はこちら


 

 

街で見かけたら普通の青年、
ただしその正体はネット配信を通じて全世界とその思いを共有する登山家である。
その男・栗城史多――
さあ、その思いを読んでくれ!



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——栗城さん!
栗城●ハイっ(ニッコリ)。
——いきなりですが栗城さんが最初に登ろうと思ったのは、なぜマッキンリーなんでしょうか!?
栗城●それはですね……いろいろな先輩方が冬山登山に行っていたのですが、みんなヒマラヤに行っていたんです。そこで、自分は違うところへ、しかもひとりで行きたい……これはいまもそうですが、学生のころからひとりで登りたいというのがずっとテーマでした。
——はい。
栗城●いまはダメですが、当時のマッキンリーは単独登山が許されていたので、ひとりでベースキャンプに入って、ひとりで登って帰ってきてよかったんです。これがヒマラヤの場合だと、ポーターなど人の手を借りないとベースキャンプに行けないので、僕はひとりで行ける冬山の大きなところに行きたいと思いました。さらに、ネパールだとかなりお金がかかるのですけれども、マッキンリーは値段が安かったんです。
——あ、そうなんですか?
栗城●ええ、マッキンリーは入山料が当時1万8000円くらいでした。登山隊として人数を揃えると200万円くらいかかりますが、単独ならば1万8000円の入山料だけ払えば登れます。そこに現地の食料費などを含めても、30万円くらいで行けました。
——ヨーロッパも入山料は安いですよね。
栗城●そうですね。でもヨーロッパよりはアラスカの、厳しいところに行ってみたいなと思いました。
——大学の山岳部で登山のイロハを学んでおられたと思うのですが、日本の場合は言っても3776mの富士山が最高峰です。そこらをすっ飛ばして6194mのマッキンリーというのが、私なんかには想像もできなくて……(笑)。
栗城●僕の中でももちろん未知の世界だったのですが、同時にすごくワクワクしていました。もっと他の5000m級の山に行ったとしても登れたのかもしれませんが、僕の場合はマッキンリーに行きたいという気持ちが強かったです。ただ、これまで14回くらい海外遠征をしていますが、マッキンリーがいちばん大変でしたね。
——最初のマッキンリーが、ですか。
栗城●はい。いまはたくさん応援してくれる人がいますし、山の仲間もたくさんいますが、当時は先輩方が全員猛反対だったので……ひとりでいきなりマッキンリーなんて登れるはずがない、というか死んじゃう、と言われました。
——死んじゃいますか……。
栗城●「死んじゃう」と言われて止められ、結局最後は山岳部を辞めてしまいました。そうでないと行かせてくれなかったので。山登りというのは伝統的に技術を伝承していく世界で、そこを辞めるのは“破門”みたいなものですが、それでも行きたい気持ちが強かったです。このときの反対を押し切っていくのが、これまでの登山の中でいちばん大変だったかな……。僕に山を教えてくれた先輩、師匠ですけれども、その後音信不通になってしまいました。あれから5年以上経ちますが……。
——……。
栗城●実はその先輩も、行きたかった山がマッキンリーだったんです。でも、僕はこの先輩についていってはダメだなと思いまして……というのは、もし一緒に行ったら、常に先輩は僕より前にいることになります。そうなると僕はただついていくだけの登山になってしまう。それがすごくイヤでした。“自分の山登りをしてみたい”、その思いが強かったのです。
——自分で切り開きたい、と。
栗城●先輩とは2年くらい一緒に登っていたのですが、僕が先頭に立って全部自分でやって登った山はひとつもなかったんです。そこで「ひとりでやらせてください」となったのですね。
——そして大反対をされてしまう……。
栗城●そうですね。山岳部と言っても先輩と僕のふたりしかいなかったので、僕が辞めてから誰も入部せずに1年が経つと廃部になってしまうということでした。とても厳しい先輩ですから、誰かが入ってくるとは考えられず、「部を潰してまで行くのか」という話にもなりました。だからすごく悩みましたし、苦しかったのです……ただ、いまは辞めてでも行ってよかったと思います。
——はい。
栗城●みんなが応援してくれることはチャレンジとしては意外に難しくない気がするのですけれども、全員が反対していることを押し切ってやるというのは大きな壁だったなと思いますね。
——栗城さんがそう「自分で切り開く、押し切ってでもやる」と思うに至る、大きなターニングポイントはあったのですか?
栗城●はい、ありました。僕は母を高校2年生のときに亡くしたのですが、そのときに『一生懸命生きよう』と強く思いました。母はガンになって抗ガン剤などを打っていたのに、「苦しい」とか弱気なことは一切、口にしなかった。そのときに『一生懸命生きなきゃ』って。
——……。
栗城●それで高校を卒業した後に東京に出てきました。夢があったのですが、すぐに破れてしまいまして……それからいわゆる“ニート”の時期が半年間あったんです。半年間は働いていたものの仕事は辞めてしまいまして、それから半年間は完全にニートです。
——はい。

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栗城●お母さんが亡くなった高校生のとき、何か目標を持って生きようと誓った自分が真逆のほうに行ってしまいました。そんなイライラがある、人間関係もあまりよくない、友達もいない……そんな状態で北海道に戻ってきました。まあ、きっかけは当時付き合っていた彼女がいたので、北海道で一緒になりたいなと思いましてね。その彼女はすでに山に登っていたんです。
——ほほう(笑)。
栗城●そして、フラれてから僕も山を始めた、という話に繋がります(笑)。
——あらら(笑)。
栗城●ただ、僕が普通に大学生として山岳部に入っていたのなら、こんなに頑張れなかったと思います。1年間くらい何もできないモヤモヤしている自分がいて、しかもニートというのは風当たりもよくありませんよね。
——エネルギーをぶつける場所もない。
栗城●もちろんまったくありません。それで北海道に戻って、彼女がやっていたからという理由で山岳部に入ってみたら、変わっていく自分がいたんですよね。それまでの自分というのは、何か目標を持っても『諦めながら頑張っている自分』だったんです。いろいろな言い訳をしながら止めたり、「どうせオレはアイツには勝てないだろ」って考えていたのが、先輩と山に登っているときに……
——はい。
栗城●冬山に登っているときに、下山が許されなかったんです(笑)。
——えっ?
栗城●熱が38度あるのに「登れば冷める」ということで。ホントむちゃくちゃだなと思うのですが(笑)。
——えっ、えっ? 冷めるんですか??
栗城●冷めないですよ(笑)。ははは。余計に悪化して帰ってくることになりすが、ただそのうちに「自分はこんなに頑張れるんだ」って、ようやくスイッチが入ったわけです。で、そんなときにたまたまマッキンリーの存在に出会い、これはひとりで行ってみたいな……となったのです。
——真似はできませんが、お気持ちはわかる気がします(笑)。
栗城●繰り返しになりますが、僕にそういう暗い時期がなく普通に山岳部に入っていたとしても、たぶん頑張ろうと思うこともなかったと思います。山岳部には他にも何人か入部者がいたのですが、その人たちと一緒に辞めてしまっていたと思いますね。
 


泣いてでもこだわったビンソンマシフ単独行



——マッキンリーの登頂後、いわゆる“世界七大陸最高峰”に、エベレストを除いて登頂されていますよね。

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栗城●はい。南極のビンソンマシフ(4892m)が大変だったんですよ。なぜかと言うと、単独の許可が下りなかったんです。
——誰かと一緒に行きなさい、ということですね。
栗城●僕はそれまで……実は七大陸最高峰とか、記録とかにはあまり興味がありませんでした。ですが04年の6月、マッキンリーに登って帰ってきたら、北海道のマスコミの方が取材に来ていまして。
——「おめでとうございますっ!」って来たわけですね(笑)。
栗城●はい。ところがこれには裏話がありまして(笑)。僕は大学1年生から3年生まで、地元である北海道の今金町の物産市を札幌の三越デパートでやっていたんです。
——へえええええ。
栗城●今金町は小さな町なのですが、男爵いもが名産なんですね。しかし、道内にはほとんど出回らなくて、都内のホテルなどでしかお目にかかれなかったんです。生産農家の友達もいたんですが、みんな流通させる自信がなさそう……。なので、札幌には今金町出身の学生さんもいっぱいいるので、みんな集めて物産市をやったんです。
——すごいですね、その行動力も。
栗城●それがけっこう好評で、マスコミも取材に来てくれたんです。で、マッキンリーに行く前に取材を受けました。
——それはまさか(笑)。
栗城●「今年は物産市、やらないの?」と(笑)。「いえ、今年はやらないんですよ」、「なんで?」、「マッキンリーに行くんです」となりました(笑)。
――はははははは!
栗城●「え、お前なに言ってんだよっ!」ということになり、みんないろいろとマッキンリーについて調べてくれました。そうしたら「とてもじゃないけれどもいきなり一人で行ける山じゃないよ……」って。出発前日まで電話で「君が行って遭難したら、僕がその記事を書かなければいけないから」なんて止められてましたね(笑)。
——それが成功してのご帰還ですね。
栗城●ちゃんと登って帰ってきたということで、これはスゴイと大きな記事で扱ってくれたんです。そしてそのなかのスポーツ新聞の記事だったのですが……。
——はい。
栗城●「次にどこへ行かれるんですか?」と聞かれて、たまたま北米でしたから、「南米にいつか行けたらいいですね」というような答えをしていたんです。本当はマッキンリーで止めて就職する予定でしたし(笑)。ところが、その記事を見ると『南米最高峰のアコンカグアへ行く!』って書いてあって、しかも言ってもいない『12月に』とも書いてある。それで学校でも盛り上がってしまいまして(笑)。
——そういうことで行ったんですか!?
栗城●そうなんですよ。僕は最初から七大陸なんて目標はまったくなかったんです(笑)。それでもいずれ8000m峰に行くためにも経験としてアコンカグアへ行って、ヨーロッパやアフリカにも行ってみようか……となったわけです。
——なんかスゴイ話ですね……。
栗城●そこで、やっぱり自分の中では単独でやりたいというのがあったのです。『新千歳空港からひとりで出発してひとりで帰ってくる』。いちばんの壁がビンソンマシフでした。
——来ました、南極最高峰。
栗城●なにが問題かって、単独の許可が絶対に下りない。記録を見ると、昔はヨーロッパ人やアメリカ人では単独で登っている人がけっこういるのですが、それがそのときはダメで。申請しても全然ダメでした。
——うーん……。
栗城●最終的には現地で相談しようと思って行ったのですが、それもやっぱりダメ……。ビンソンマシフはお金がけっこうかかる山で、入るのに400万円以上するのですね。そのとき日本からも連絡がありまして、札幌の支援者の方々から「みんなからお金もいただいているし、単独にこだわらずに登ったほうがいいよ……」という意見も出されて、結局初めは、4人くらいのパーティにザイルで繋がれて登っていったんですよ。
——はい。
栗城●ですがその数時間後に僕、大泣きしちゃったんです。もう悔しくて。僕だけ単独にこだわって食料とか燃料とかひとりで持っていたので荷物も重たいし……。そのうちに一緒に登っている人たちから「お前はバカじゃないのか、これから登るのに大泣きして」って言われまして「僕がやりたいのとは違う。だから僕はひとりで降りる」と引き返したら「お前はクレイジーだ」と言われました。
——はい。でも改めてのチャレンジが……。
栗城●そうですね。2年後にどうやって入ったかというと……「3人ならばいいよ。3人のパーティでベースキャンプに入ったら、ひとつの登山隊だから」と言われて。3人になると1200万円……けっこうな経費になりますが(笑)、3人でベースキャンプに入って、そこからひとりで登っていったんです。07年の12月のことです。
——ああ、よかった。やりましたね!

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栗城●達成できたときは、本当に単独にこだわってよかったと思いました。あのときにパーティで登っていても、ひょっとしたらもう登山は止めていたかもしれません(ニッコリ)。
——こだわっただけに達成したときの喜びも大きいですね。
栗城●僕がひとりにこだわっているのも『山を感じながら登ってみたい』と思っているからなんです。寒いところを4人で登ったほうが、いろいろと苦しいときを分かち合ったり、楽しい部分もあると思います。ひとりだと精神的に全然違いますからね。でもだからこそ……それも『自然の一部』だと僕は考えているんです。
——自然の一部、ですか。
栗城●自然というのは決していいばかりではなく、人に厳しかったり苦しみを与えるのも自然の一部だと考えているので、それをすべて受け止めながら山を登ってみたいと思います。団体で行けば確実に登れると思いまってしまいます。登頂したとかしなかったではなくどれだけ自分が一生懸命になれるか、それがどんな目標でもいちばん大切だと思います。
——ひとりで登っていると五感が研ぎ澄まされるというか、自然と一体化しますよね。これは奥多摩での私の経験ですが、枯れ葉が落ちて『カサカサ』という音がしたのを、たぶんみんなで登っていたら気が付かなかったのではないか……? そう思ったとき、妙に泣けてきたのを覚えていますね。
栗城●はい、そうだと思いますね。ひとりでいると感性、五感は研ぎすまされますね。ものすごく考えますし。……テントの中にずっといてチョコレートに話しかけていたときありましたよ(笑)。
——えええええええっ(笑)。
栗城●これは寂しいからだと思うのですが、単独で登っていていちばん恐ろしいのは、悪天候でテントの中に何日も閉じ込められるときなんですよ。動いているときはけっこう心が穏やかですが、2年前(10年)のエベレスト、6000mのテントでひとり四泊五日を過ごしたんです。一人用のテントですからとても狭くて、四泊五日ずっと体育座り。無線もありますけれども、バッテリーにも限りがあって天気予報しか聞けないので、喋ったりもできない……そのときはチョコレートに名前まで付けて話しかけている自分がいたので、これはおかしいなと感じていったん下山しました。景色が見えていたらまた違ったでしょうが、周りが全部ホワイトアウトで真っ白。テントを開けても何時なのかもわからないし、風の音しか聞こえなくて……。
 


『単独・無酸素』と秋にエベレストを目指す理由



——栗城さんの登山を語る上で重要なテーマといえば、チョコレートに話しかけるほどの孤独(笑)を背負いながらの『単独・無酸素登頂』ですよね。

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木製の登山用具。
エベレストで発見、持ち帰ったものだとか

栗城●はい、そうですね。
——無酸素って酸素がそもそもないところを登る……のではもちろんなくて、“酸素ボンベの空気を吸わない”ということはわかるのですが、特に“単独”というのは栗城さんとしてはどういう位置付けなのでしょう。
栗城●はい、『単独行』という著書もある加藤文太郎さんという登山家が書名の通り有名ですが、実のところ定義としてはこれがなかなか定かではないと思います。たとえば1980年代にはまだヒマラヤの8000m級の山には人が少なかったです。しかし、90年代にはたくさんの人が山に入るようになった。エベレストに春に行くとベースキャンプに800人くらい入山していたりしますからね。で、これは他の登山家とも話したのですが、いまの8000m級の山でまったく誰もいないという状況はもう不可能だろうという話になっていて……僕がよく言われるのは「他の登山隊がいたから、栗城は単独ではない」とか、下のほうから40倍のレンズでカメラマンに撮影してもらっていたら「カメラマンがいたから単独ではない」とか、一部からいろいろ言われるんです。昔、ある登山家さんがテレビで放送された登頂が単独と認められて、僕が“点”の写真で追ってもらったものは認められないというのは、なんかおかしくないかなあ……とは思いますね。
——うん、そうですよねえ。
栗城●もっと言えば、以前に単独でエベレストに登った人は何人もいるのですが、いま申し上げたとおり春には800人くらい入山しているのですよ。そこで登った人が単独と認められて、なぜほとんど人がいない秋に登った僕をダメだという人がいるのか。仮に絶対に他に人がいない冬季に行ったとしても、これは登ること自体が難しい……。
——冬の場合は気圧が下がりますから……。
栗城●そうです。その分で酸素が薄くなりますし、日照時間も一年でいちばん短い。逆に春の場合はだんだんと気圧が高くなってきますし、日照時間も長くなってくる。春は時間が経つに連れて登りやすくなることは確かです。
——冬の場合はもちろん寒さもありますしね。
栗城●はい。で、僕が登る秋というのは、冬よりはよくても春と違って日照時間がだんだん短くなり、そして気圧も下がってくる。つまり行動時間が短くなってくるわけです。
——日本だって秋口になると、みるみる昼が短くなって気温も下がりますが、それがエベレストともなると……。
栗城●その日の行動を開始してもすぐに、時間が経てば経つほど焦りが出てきます。
——私なんか高尾山だとしても日が落ちて寒くなってくると怖くてしょうがないので、エベレストだったら日が暮れる前に下山しちゃいますよ。……あ、それじゃ絶対に登れませんね(笑)。
栗城●そうですね(笑)。ですからよく「秋にこだわらないで春に行ったらいいんじゃないの?」と言われるのですが、春はもう何人も達成していますし、僕自身行けるとも思っていますから、つまんないと思っちゃう気がするので、秋にこだわっているんです。
——春ならば行けると思っている、これは力強いですよね。
栗城●そこに関連する話ですが、いまヒマラヤには人が入ったことのない山というのはほとんどないのですが、それでも僕の場合はチョ・オユー(8210m)にしてもマナスル(8163m)にしても、ハイシーズンは外しているんです。秋のエベレストもそうですが、人がなるべく少ない時期に、と考えています。そして、自分の中の“単独の定義”としましては「ベースキャンプから自分で荷物を担いで上がっていく」、これがまず最初かなと思っています。
——なるほどなるほど。
栗城●しかしまあ、なんで僕の場合は認めてもらえないんだ……ともやっぱり思ったので、ある新聞の記者さんに聞いてみたのですよ。そうしたら「それは栗城くんのことが嫌いなんだよ」って(笑)。
——ははははは(苦笑)。
栗城●まあ動画とかもやっていますから、チャラチャラしているっていうイメージが付いてしまっていたり……というのもあるのかな、とも思いましたね。
 


「死んじゃえ」が「ありがとう」に変わった動画配信



——栗城さんの登山が私たちにとても身近に映るのは、動画配信などで、本当にありのままの登山家が素っ裸で挑戦をしている、そのパワーを感じることができます。これも栗城さんの重要なテーマですが、『ネットによる配信』というのはどこから来たものなのでしょうか。

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栗城●そうですね……もともとは07年の南極に行く前、チョ・オユーに登ったときがきっかけです。それまでは自分撮りしていてもネットの配信はしてなかったのですが、やりたい気持ちはありました。
——アイデアはあったのですね。
栗城●そう、アイデアはありまして、衛星の端末を借りてブログの更新とかをやってみたことはあったのですが、結局うまくいきませんでした。そんなとき日本テレビさんから「動画の配信をやりませんか?」というお話しをいただき、これは絶対にやりたいなと思ったんです。
——タイミングよく話が持ち込まれたわけですしね。
栗城●それまで五大陸最高峰などを回って、そのことを友達に話しても全然伝わらないんです。まあ、山についてはほとんどそうかもしれませんね。小説などにあっても、まったく別の世界ですから。だから、他の海外登山の報告会を行なっても、話がつまらなくなったりすると感じることがけっこうありました。
——確かにそうかもしれませんね……。「最短距離で行けば近そうなのに、なんで何カ月もかけるの?」というのは、文字で読むだけではなかなか理解できないかもしれません。それが映像で見ていると、「ああ、だからまずは上でなく右に行って……」というのが伝わりやすいですよね。
栗城●はい。これが動画の配信なら……と思っていたところなので、お引き受けしました。で、そのときの配信番組のタイトルが『ニートのアルピニスト、初めてのヒマラヤ』でして……。
——テレビ番組らしいタイトルですね(笑)。
栗城●先ほども申し上げたとおり、僕の場合はニートの時期もありましたが、大学を卒業してから山岳ガイドの会社で半年ほど見習いとしてガイドをしていた時期もあったのですが……この番組が始まってから“ホンモノ”の方からたくさんメッセージが来たんです。
——「おお、仲間だ!」ということですかね。
栗城●ただ、ほとんどが応援じゃないんですよ。「栗城は登れない」とか「死んじゃえ」とか。それを見ながら山を登っていくのですけれど……あ、もちろんありがたいメッセージも多かったですよ(笑)。
——単純ながら、それってたまらないですよね。同じ人間として、「死んじゃえ」なんて。言われなき中傷ですし……。
栗城●僕もそれを見たときはけっこうショックでした。しかも山頂の直前で、ホワイトアウトで下山になりました。頑張れば山頂に行けたと思いますが、行ったら確実に帰れなかったと思います。チョ・オユーの山頂って、“プラットホーム”と言って3キロくらい真っ平らで、真ん中の矢印まで行かないとダメなんです。そんなところで完全に視界が真っ白だと、方向を間違ったら取り返しの付かないことになります。
——歴史的に高名な登山家でもホワイトアウトで遭難した話、たくさんありますもんね。
栗城●それで帰ってきましたら、やっぱり批判の声も多くて……それで悔しくて「もう1回行かせてください!」とお願いして挑戦したら、今度は登れたんです。
——そうしましたら……?
栗城●ガラッと声が変わりました。全部ではないのですけれど。「栗城、死んじゃえ」って書いていた人が「ありがとう」って書いてくれて。おそらく彼らは「ニートの栗城はもうダメだ」と思って、自分に照らし合わせていたと思うんです。「夢とか希望なんて叶わなきゃいいのに」と。それが「あんな兄ちゃんでもできるのか」って思ってくれたのか、意見がガラッと変わりました。それを見たときに「ああ、すごいな」って。僕もニートの時期はありましたが、なりたくてなっている人なんて誰もいないと思います。だからこそ、彼らとともに冒険を共有しながらやれたらいいなあと思いましたね。
——それこそ仲間が快挙を達成したのを共有できたのでしょうね。
栗城●山に登って帰ってくると、すごく『孤独』なんですよ。登っているときは「孤独にも耐えてよく頑張ったな」とか思うのですが、時間が経つと、なんだろうこの孤独感、説明してもわかってもらえないし……と思うんです。でもネットを通して、わからない山の世界を伝えることができて、山に登って初めて「ありがとう」と言われたんです。本当に嬉しくて。“頂上から先の世界”が見えた、と思いました。
——はあああああ、すごいですよね。最初のマッキンリーで「死んじゃうから止めろ」とまで言われた青年が、“頂上より先”まで辿りつきましたよ(笑)。
栗城●ははは、そうですね(笑)。……ただまあ、これは辛い話なのですが、ネットの場合はあることないことを書く人も増えてきていると思います。共有するというのは、いいことだけでなく悪意を持った人とも共有しなければならない。それはちょっと大変かなと感じることもありますね。
——それはそうでしょうね。たとえば先ほどおっしゃっていた「栗城は単独ではない」とか匿名で書き込まれたりとか……。
栗城●そうですね。そうなってしまう理由の第一は、みなさん“知らない”のだということをすごく感じます。たとえば「栗城がエベレストに行く」ということだけでも、僕が秋に行っているということも知られてないですし、秋に行くことがどれだけ大変かも知られていない。その理解が薄いなかで「栗城は単独じゃない」とかいろいろ言われますが、気にしないようにしようと今は考えています。
——はい。
栗城●ネット上で「栗城は七大陸最高峰の単独無酸素登頂に挑戦している」と書かれたりしますが、ネットだけでなくメディアの側も、エベレストも七大陸も全部ごちゃごちゃにして書いてしまっている。他の山ではボンベがなくても大丈夫なのですが、エベレストは通常は酸素が必要です。でも、山のことをあまり理解されていない記者さんが書くと、「栗城がこう言っている」と突っ走ってしまう。最近は原稿が載る前にチェックさせてもらいますが、昔はチェックなしで掲載されて……。それで自分が言ったことのように繰り返し繰り返し出ているのを見ると、すごく悲しいですね。僕も反論したくてもできる場もありませんし……。
——やっぱり栗城さんの夢のある冒険なのですから、正しい情報が伝わってほしいですよね。
栗城●まだまだ間違ったことが書いてあるなあ……と思うこともあります。まあ、そういう間違った情報で叩く人って、わざわざ探してくるので(笑)。マメと言いますか……。
——ひょっとしてファンなのかなって思いますね(笑)。
栗城●そうですね、注目してもらっているわけですし(笑)。まあ、以前は「死んじゃえ」と書いていた人が「ありがとう」って書いてくれるようになったので、肝心なのはこのあとエベレストに登ることかな、と思います。
 

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エベレストでのキャンプの模様


「全部が普通」な登山家が持つ、疲れにくい“特殊能力”の謎


——栗城さんがネットの配信などをされつつ、様々な目標に向かうにあたっての現実的なこと……それは資金繰りとかもあるかと思いますが、取り組まれていくべきビジョンのようなものはおありなのでしょうか?
栗城●そうですね……単独で登る分にはお金はそんなにかからないんです。入山許可証と現地のちょっとした費用くらいなのですが、総費用の9割以上かかっているのが中継費用です。極地ということもあって動画の配信にはそれなりの器材が必要ですし、独自開発の物も多いので……。それを衛星経由で中継するので通信費もかかります。衛星を1機使いますからね。ありがたくもスポンサードしていただいてますが、足りないのが現状ですね。
——そうなんですか……。
栗城●「栗城が登る」ということよりは、「中継するから」ということに対してスポンサードしてもらうのです。おそらく僕が「単独・無酸素でエベレストに登る」というだけでは誰からもスポンサーになっていただけないと思います。ただまあ、それでもなかなか足りないので講演をしていますね。休みなんてほとんどないですよ(笑)。
——そのなかでトレーニングなどもしないといけないですもんね。
栗城●そうですね。いまはボクサーの方にトレーナーとして付いていただいたり、朝方とか夜に走ったり……だいたい朝と夜にしかできないですからね。
——以前「筋力などを測定されたら、アスリートと呼ばれる方の平均より低かった」というのを目にしたことがあります(笑)。
栗城●ははは、そうですね。以前、北海道で“栗城の身体を調べる”ということで、8000m級の状況を作り出して測定したら、「全部が普通です」って(笑)。僕は子供のころに喘息だったので、肺活量も多くないですしね。ただ、“疲れの素”になると言われる乳酸値に関しては、普通はガンガン上がるところを一定に保とうとする力があるみたいです。
——それは登山家にとっては素晴らしい能力ですよね。
栗城●この検査では、ずっとランニングマシンを走りながら採血して乳酸値を見るのですが、酸素も8000m級の状態にすべく薄くしていますから、すごく辛いんです。それでも「これはありがたいことだ!」と思いながら頑張ったら、乳酸値を一定に保つような結果が出た。先生は、「これは脳から抑える物質を出しているのではないか?」と言っていました。「ありがたいありがたい」という意識で、脳をリラックスさせたことにより、乳酸値を抑える物質を出させたのではないか。これは実際にエベレストなどを登っているときにも重要なポイントだと思いましたね。
 

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エベレスト登頂、そしてその先にある“頂”へ——


——さて、最後に栗城さん、今後なのですが……。
栗城●今年4回目のエベレストに挑戦します。相当苦しいチャレンジなのは間違いないです。8000m超級で言えば、これまでもチョ・オユーとかマナスルとか……あまり知られていないですがマナスルではスキー滑降したり、いろいろなチャレンジをしてきましたが、それとはまたワンランク別の世界です。
——本当に想像も付かない世界になっていますよ(笑)。
栗城●これまで3回登れないでいると「栗城は失敗した」とかいろいろなことも言われますが、それだけ登頂した時の喜びも大きいので……泣いちゃうと思います、ははは!
——私だけでなく、配信を見ている人たち泣いちゃうと思いますよ。
栗城●“燃え尽き症候群”になっても困るなあとも思います。目標に向かって突き進むことは誰でもできますが、それが達成された後は気分が落ち込んでしまったり、喜びが強ければ強いほど一気にガクンと下がることも多いのです。オリンピック選手などもそうらしいのですが。ですから、“山を登った後に、また次の山が見える”という風に、次にまたどういう目標を持つのかが大切で、それは永遠に続くことなんだよな……と思います。
——それは山ではない可能性もありますよね。
栗城●はい、そうですね。
——来世もありますしね(笑)。私はたぶん来世でないとエベレストには登れないし。
栗城●ははは……いやいや、いいと思いますよ(笑)。でも、エベレストとか8000m級でなくても……僕が講演でよく言っていることなのですが、『自分の中のエベレスト』がみんなにあると思うのですよ。僕はたまたま“ハチハチヨンハチ”のエベレストですが、人によってはお仕事にエベレストがあるかもしれないし、世界一周をすることがその人にとってはエベレストかもしれない。なにかにチャレンジしていくことが大事なことだと思います。
——そうですね。「たぶん私にはできない」とか自分の上限を決めてしまって諦めたり、また「達成したからこれで終わり」と歩みを止めてしまったら、その後の成功はおろか、向上心もなくなってしまいます。私も来年、マナスルに誘われつつ「登れるわけないじゃないの」といまから完全放棄(笑)していますが、そうやって自分のリミットを切ってしまわずに「登れるんだ、登ってやるっ」と、一歩踏み出さないとなにも起こらない……。
栗城●そうですね。
——あっ、『NO LIMIT』ですよ(笑)、栗城さん!
栗城●そうなりますね(笑)。僕も三浦雄一郎さんみたいに80歳になってもエベレストにチャレンジしてみたり……あ、昔に何気なく言ってみたことがあるのですが、太陽系にも最高峰があって。
——えっ、太陽系ですか?
栗城●火星にオリンポス山というのがあって、標高2万5000m以上というのがあるんです。
——に、2万5000m……?
栗城●エベレスト3個分じゃん、という山なんですが、僕がこれから70歳とか80歳になったらおそらく宇宙旅行も普通にできていて、もしかしたらそういう登山なんかも……あ、無酸素は無理ですけどね(笑)。
——はははははははは、無酸素は無理ですね! でもおもしろいお話しですよね。
栗城●人間は昔、地上で危険を冒してでも開拓を進めてきました。南極に行ったり、エベレストに登ったり……そういうことがあるというのを知るだけでも、人の心の原動力になると思うんです。もし僕が80歳になって火星の最高峰に行ったとしたら、遠い昔に僕の話を聞いたり、配信を観ていた人が「おい、栗城は本当に火星に行ったぞ!」って元気になると思いますしね。
——栗城さん、今金町の男爵いもからついに火星にまで辿り着きました(笑)。
栗城●ははは、そうですね。
——私も自分のエベレストを目指して頑張ります。栗城さんのホントのエベレスト、私も登頂を一緒に観て泣かせてもらいますね!
栗城●ありがとうございます。頑張りますよ(ニッコリ)。

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構成・松本伸也(asobist編集部)

 











読み物 VIVA ASOBIST   記:  2012 / 02 / 17

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