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Vol.64 白籏史朗――山岳写真のパイオニアが語る驚天動地すぎる山人生

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【プロフィール】
1933年山梨県北都留郡(現大月市)生まれ。
山岳写真家
51年、写真家・岡田紅陽氏に弟子入り後、カメラ・写真の道に進み、58年に独立。その後、62年より『山岳写真家』の宣言する。雄大なスケールなのは写真だけではなく、「世の中からアルコールを失くすため、世の中のアルコールというアルコールを一人で引き受けてるボランティア活動」という自身の酒に対する名言など、その人物もとても雄大。

山、わが生きる力 』(新日本出版社)など著書多数。

白籏史朗オフィシャルサイト:http://www.shiro-shirahata.net/


※『山、わが生きる力』の「読書録」はこちら


 

 

世界に誇る『山岳写真家』、白籏史朗。
御年・79歳にして山を駆けめぐるその原点は幼少期にあった!?
あまりにも豪快すぎるエピソードの数々、さあ読んでくれ!



――白籏さんとは、山小屋で酔っぱらっておられる……妙な敬語ですね(笑)、そんなときにお目にかかったことがありますが、地上では初めてですね。
viva64_03.jpg 白籏:ははは、そうですね。私は山でも「世の中からアルコールを失くすため、世の中のアルコールというアルコールを一人で引き受けて」いますしね(笑)。予定があるときはなんやかやと山に入ったり仕事があったりで、今日もちょっと前に家に帰ってきました。
――お忙しいところ、ありがとうございます。さて、白籏さんの『山、わが生きる力』など、数々の著書を拝見していると、常にビックリしながら『山岳カメラマンとは?』ということを思い知らされます(笑)。
白籏:ははは、ありがとうございます。いまの連中は自分で登っていかないで撮っているからね。雑誌かなんかに出ればそれでプロだと思っている。プロというのはそうじゃないんですよ。
――ではどういうことになりますか?
白籏:私は“山岳写真”というのをビジネスとして定着させようと思って活動してきましたが、結局みんな潰れていきましたね。10年間一緒にやった連中もいまして、僕が仕事を持ってきたりもしていましたが、それで仕事があるとみんな安心しちゃってね。それで「もう止めた、独立する。みなさんはみなさんで活動しなさい」って言ったら「見捨てるんですか」なんて余計なこと、情けないこと言うもんだから(笑)、「もう勝手にしろっ」ってなって。そのときの人たちはホントにみんな消えちゃった。
――拝読していても思いましたが、まずは「山が好き」じゃなきゃできないですよね。
白籏:そう。山が好きじゃなきゃできない。私は山が好きだったし、写真を職業としたんでね(ニッコリ)。私の先生も富士山を上からだったり下からだったり、撮っていたからね。
――写真家の岡田紅陽さんですね。ところで……根本的なことからおうかがいしますが、そもそもの山との出会いというのは……?
白籏:ああ、じゃあ今日はそういう根本的なところをお話ししましょうか。私の田舎は山梨県の北都留郡……いまの大月市ですが、どこからでも富士山が見えますし、ガキのころからそこらで遊んでいましたから。で、親父が新潟県の鳥海山の麓で育っていますから、よく言うんですよ。「お前は幸せだ、“ふたつの富士山”と“ふたつの故郷”があるんだから」なんて。
――鳥海山と富士山で“ふたつの富士山”、それに北都留と庄内平野で“ふたつの故郷”ですね。
白籏:そう。で、この親父もおかしな人間で、20歳前にもう「農業はイヤだ!」ってことで北海道に渡って、満州国から朝鮮半島を回って新潟に帰ってきた。それでも「農業はイヤだ!」って言っている(笑)。でも、家には親父とお姉さんしかいないから……。
――誰かが継がなければいけないし、戦前ですから当然長男が……。
白籏:そうそう。で、「それはもう婿さんにやれ!」と。で、その代わりに「カネよこせ」ってことで(笑)、そのカネでアメリカから乗用車を輸入してタクシーを始めたのね。
――なんかすごい話になってきましたが(笑)。
白籏:それで、東京―大阪とか東京―甲府で……世の中は戦争に突入するところなので、ガソリンを節約していかに早く走るかという競走をやって、親父は両方で優勝しているんですよ。
――はあああ……。なんというかその、自由なお父さんですねえ……。
白籏:(間髪入れず)いやこれがもうのんきよ。のんきものんき(笑)。戦争中に三日も食べなくても「腹が減った」って一度も言わない。そんな親父ですよ。植木かなんかをいじっていればそれでいいっていう(笑)。
――でもそれ、充分に受け継いでおられると思うのですが……。
白籏:わははははは、それはそうねえ(笑)。
――山に行ってキャンプを荒らされて食べなくても大丈夫だったとか……。
白籏:いろいろなことがありますよねえ(笑)。食わないでいただけですよね。そりゃ腹が減りますし、若いヤツらに食わせなきゃいけないんだけど、無い物はしょうがない。ははは。
――たしかに無い物はしょうがないですよね(笑)。
白籏:そのときは泣きそうな若いヤツがひとりいましたけれども、その子はその山限りで辞めちゃいました。家族会議で「もう行っちゃいけないよ」ってなったとかで(笑)。
 

「遊び場なし」から生まれた山中での行動術

 



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――家族会議って(笑)。
白籏:ははは、あ、話を戻しましょうね。どこからでも富士山が見えますが、北都留というのは遊ぶ場所はなかったんですよね。河原に行って泳ぐか、山に入るくらい。で、戦争が末期になってくると食料が無くなってきますから、山に入って山菜を摘んでそれを食べる。秋になったらキノコを取ったり、山栗を拾ったり……。キノコなんかずいぶん奥地まで行って採りましたけど、これが一度も“当たった”ことがない(笑)。
――このコーナーではキノコは当たり知らずです(笑)。
白籏:勘で大丈夫(笑)。最近は忙しくて行けないですけれども、以前は秋になると甲斐駒ヶ岳に行って正式名称で“ツガタケ”を採るんですよ。
――ツガタケ……?
白籏:普通の連中は“マツタケ”と言っている物ですね(笑)。また行きたいですね。
――その戦中、山に分け入ったときとか、地図とかは……。
白籏:あまり関係ないですね(笑)。地形を見て「あの辺に行ってみようか」ですよ。富士山を除けば1800mがいちばん高くて、600mとか700mはウヨウヨある場所でしたから、上に上がればみんな見えちゃいます、ははは。
――そ、そんなもんですかねえ……(唖然)。
白籏:まあ結局、遊びもないし、カネもないしね。釣り竿や釣り糸なんかも自分で作りましたよ。まあ針だけはどうしようもなかったですけれども(笑)。自分でやるしかないんですよ。
――それがいまの下地になっているわけですよね。
白籏:ええ、もうそれはずいぶん役に立ってますよお。どこへ行っても……これはネパールでの話ですけれども、「おい、野菜が無くなったからあのタンポポを食おうじゃないか」って。取ってきて洗って水を切って、私は必ず酢を持っていくのだけれども、その酢とサラダオイルでもうサラダができちゃう。それをみんなで美味い美味いって食べてね。
――美味しいんですね。
白籏:美味しいですよ。先日も三つ峠で作ってやったらみんなビックリして美味い美味いって食べてましたから(笑)。
――はああ、今度やってみます! でもそれって行っている間に編み出しちゃうのですか?
白籏:なんでもやっちゃう。そのときそのときで、もちろん毒の物以外で作る。毒があるかどうかもだいたい見ればわかるというのは、やはり子供のころ遊んできたことが役に立っているのでしょうね。
――その経験が役に立っているというのは、岡田紅陽さんに弟子入りされたときにも感じられましたか。
白籏:もちろんあります……あ、そういう話をしているのでしたね(笑)。やはり荷物を背負って山に登っていたという経験がありますからね。それは役に立ったわけです。で、岡田先生に弟子入りして、先生が富士山を撮ることを仕事にしているのならば、先生が元気なうちは富士山を仕事にするわけにはいかない。ならば俺は富士山だけでなく山の写真を仕事にしよう、そう思ったのは先生にお世話になって3カ月目のことでしたね。
 


カメラ無しの写真家と師匠、その悲喜こもごも



――これもそもそもの話ですが、白籏さんが写真を選んだのはどうしてなんでしょう?

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白籏:それはですね、兄弟の面倒をみなければいけなかったから学校にもあまり行っておらずに、それでは就職活動ができないですよね。先生からのアドバイスもないわけです。それでなにをやったらいいかって、親も一緒に考えてくれたのですが、どうしても自分にフィットしないんですね。当時の北都留だと、たとえば床屋さんの弟子になるとか、絹の産地でしたからその関係に就くか……それくらいしかないのだけれども、自分にはフィットしなかった。そんなときに偶然、見たんですよ。
――何を見ましたか?
白籏:写真です、もちろん。地元の私が好きな場所で、妹や弟を連れてよく遊びに行っていた風景……それを見たんですね。その写真を撮った人は普通の人で、写真も普通だったのですが、そこで「そうか、写真というものがあるな……もし自分にその技術があり、勉強してもっと上手く撮れるようになれれば、これが仕事になるんじゃないか……?」そう考えました。後日、その場所はよく撮りに行きましたよ。
――そう思い始めてからというのは……
白籏:それからは親父にね、「写真をやってみたい」と言ったら考え込んじゃった。そりゃそうですよね、当時カメラ屋ってのがないんですから。東京にだってないのに北都留にあるわけない。もちろんフィルムだって売ってない。それにあったとしても高い。そのころに写真で生活をするというのはスタジオを造るくらいのものだったけれども、そうもいかない。だから考え込んじゃったわけですね。
――そりゃ考えますわね。
白籏:そうしたら「会ったことはないけれども、名前だけは知っている人がいる」と。それが岡田先生ですよね。それでお願いに行ってくれたんですよ。何度も何度も。玄関前で追い返されたこともあったのではないですかね。それでも親父もしつこく行ったのでしょうね。岡田先生、「しょうがない、一度会ってやろう」って。
――おおっ。
白籏:それで岡田先生が富士山麓に行くときに大月の駅で、たった5分も会ったか会わないかで「お前、簡単に考えているだろうけれども写真は大変なものなんだぞ。お前は写真に命を懸けられるか」ってねえ、まだ18歳になるやならずの子供にそうやって脅かすんだから(笑)。
――ははははは。
白籏:それで「それは困ります」とは言えないから(笑)、「死ぬつもりでやります!」と言ったら「ふむ、じゃあ15日に来い」、これでおしまいでした。
――弟子入りに成功したわけですね。
白籏:私はそれから5年……これでもいちばん長いんですよ。他の人は3カ月くらいでたいてい夜逃げしちゃう(笑)。当時から「岡田のところの弟子は3カ月といない」、これが定説になっていました。
――厳しいのですね……。
白籏:はい、厳しいですよ。でも私は写真を覚えられるのが楽しかったから、厳しいとは感じなかった。
――なんかその、理不尽なことを言われたりするのですか、先生は?
白籏:理不尽と言いますか……普通の人にはあまり言いません。で、私はそれが最後にありまして飛び出しました。そのときは親父にも会って、「お前がそうならば仕方がない。それでも道が開けるように、自分の考え通りにやれ」って言われました。親父も自分の好きにやってきたから強くは言えないんだね(笑)。
――当然うかがわなければいけませんが、いったいどんな……?
白籏:当時の休みっていうのがね、3カ月に一度くらいあって、お昼ごろに先生に呼ばれるんですよ。「今日これから休んでいいよ」って。そうなるとやりかけの仕事を全部片づけてから休みに入らないといけないから、そうすると外出するのはどうしたって3時くらい。そうすると映画一本観るか、晩飯食って帰ってくる程度。それで9時を過ぎると怒られる。そういう生活でした。
――はああ……。
白籏:休暇っていうのはなくて、盆暮れに休みを3日くれる。それも「今日から行っていいよ」って同じ調子だから、その日は帰るだけ。で、3日目の朝には電車に乗って帰ってこないといけない……そんなことで帰省したときに、どうにも腹が痛くて、これは盲腸では?となったときに、どうしても1日だけ休ましてほしいとお袋が電話をしてくれたんですよ。そうしたら……
――はい。
白籏:「いい」って言うんだけれども、その後に電報が来たんですね。「カメラカエセ オカダ」って……。月々500円しか貰えないからカメラ買えないし、安いカメラを借りてきていたんだけれどもね。それで考えました。
――考えますね、はい(笑)。
白籏:「カメラを返せば私はいらないんじゃないか……?」と。そう思ってしまいましたね。もうここにはいられない……先生にはハッキリと言いました。ビックリしてましたよね。「バカなこと言うな、早く仕事しろ!」って言われましたけれども、もうその気はないですよね。それで出てしまいました……。
――……。
白籏:ただね、後に本を出したときにそれを持って謝りに行きました。そうしたらエラい喜んでくれましたけどね(ニッコリ)。
――よかったです!
白籏:でねえ、飛び出しちゃったわけだからホントになけなしのカネで部屋を借りましたよ。三畳の屋根裏。三角になっているからまっすぐ立てないのね(笑)。
――まっすぐ立てない(笑)。
白籏:妹がどうしても東京に出てきたいってことで、部屋を見てビックリしてたですよ。ははははは。それでふたりして腹が減ったってことで、釜を見たら私の炊いたメシが残っていた。おかずなんか何もない、醤油で炊いただけの醤油メシですよ。それでも「あのとき食べたメシは忘れられない」って。
――ところで……「カメラカエセ」の直後に飛び出したわけですからカメラは……
白籏:持ってないです(笑)。借りるんですよね、知り合いとかに。で、必然的に安いカメラで撮るわけですから、腕が上がるわけです。ははは。
――カメラのないフリーカメラマンの誕生(笑)。
白籏:はははははは、そうですね。あのね、そのとき兄貴の形見の指輪があったので、「親父、これは将来に役立たせるから売っていいか」と言うことで、親父がそれを7000円で売ってきました。そのカネで現像する用のバットとか引き伸ばし機なんかを買いました。
――最初に買ったカメラというのは……?
白籏:ローライですね。欲しかったのはレンズが交換できるハッセルブラッドでしたが、ボディだけで29万9000円ですよ、当時で(笑)。ローライでも17万円しましたが、これにね、密輸品が出たんですよ(笑)。
――み、密輸……?
白籏:それが出回って7万5000円、はい(笑)。いやあもう、手にしたときは大変でしたよ、宝物でしたね。そのあとに親父がどこかから探してきた富士フイルムのカメラ、これが8000円。しばらくはそのふたつで撮っていましたね。……しかしまあ、カメラが無くてカメラマンを始めたんだから図々しいね、ははははは!
――結婚資金をカメラ代にあてて、結婚式が3回延びたって話もありますよね(笑)。
白籏:そうそう(笑)。その結婚が結局うまくいかなかったんだからしょうがないねえ(笑)。
 

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こんな方法で「腕は上がります」


白籏:山岳写真家として生きていくためにはね、「登らねばならぬ!」という強迫観念があったのですよ。
――ああ、わかりますわかります。
白籏:でもそのためにはカネが必要でしょ? 食うためにも必要だし、登るためにも必要。そして登るには時間もいるその両方に攻められて大変でした。
――登るためにどこかで働いてではなく、登ることで生活ができたらいちばんいいわけですもんね。
白籏:そうですそうです。自分が登って写真を撮る、その写真が売れてまた登れる。これがいちばんよかったわけです。で、昭和37年、29歳の時に『山岳写真家』として独立宣言をしたのですが、これがもう破れかぶれで(笑)。
――あらら(笑)。
白籏:まあしょうがねえか、って(笑)。でもまあ、その前にはいろいろなことをやりましたよ。カメラ屋とかにお願いをして。カメラ屋には出張撮影があったら頼む、とかね。それらを寝ないでやってたから寝不足で大変でした。
――バレリーナを撮っていらしたこともありますよね?
白籏:はいはい、だいぶ撮りましたね。そのときはまだ若かったですから「あんた、バレエやらない?」って誘われました。
――それはひょっとすると「バレエを専属で撮らないか」ではなく……(笑)。
白籏:そう、違います(笑)。僕は小さいころから運動はできたからね、跳躍力もあったし足も速かったから(笑)。でもね、男だからやっぱりいちばん最初に決めた写真、そして山岳写真家の道を極めたかったのですよ(ニッコリ)。
――バレリーナの道を断って(笑)、山岳写真家としての最初のお仕事はなんだったのですか?
白籏:これがねえ、『山と渓谷』とかではなかったのですよ。学研での仕事だったんです。
――教材などでおなじみの学研ですね。
白籏:地形の写真が売れたんです。地形を撮った写真などなかったですから、それを欲しいと言ってくれて。当時はモノクロでしたが、現像して渡していましたね。ただ、それでも破れかぶれで独立宣言したときとはあまり変わっていなくて……奏功するのは、いちばんしたくない仕事をしたんですよ。
――したくない仕事?
白籏:モグリの経済誌の記者と営業をやったんですね。そこでとにかく仕事して、夜に家に帰って現像して……ってやってたんですよ、眠くてしょうがないところを。で、冬場は現像液が冷えちゃって色がよく出てこないから、現像液が入ったバットを二重にして、その間にお湯を入れてできるだけ冷めないようにするんですね。そのためのお湯を沸かしているときに眠くてしょうがなくて……。
――寝ちゃった(笑)。
白籏:そう。2時間ほど経って気が付いてから台所に行ったら、お湯なんかみんな蒸発しちゃって夜間の下に穴が開いている。これを二日続けてやっちゃって……。
――えっ!?

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白籏:さすがにこれはもう限度だと思って辞めようと思ったのだけれども、すぐには辞めるわけいかないし、なによりカメラマンの募集がない。当時はカメラマンの受難の年だったのですが、それがようやく3カ月経って募集があったのですね。ただ、採用が2名のところ、私も含めて60名くらいが集まってしまった。
――約30倍の倍率ですね。
白籏:そこに入れたのですよ。腕だけは自信がありましたのでね(キッパリ)。
――白籏さん、夜に現像をしていた経験も役に立っていますよね。
白籏:もちろん役に立っていますよ(笑)。もともとだって暗室が無くて夜しか現像ができなかった、ってことですし(笑)。撮る場合だってどんな悪条件でも撮りますよ。当時は三脚なんかなくて、全部手持ちでやっていましたし、いまでも平気で手持ちで撮りますよ。
――「どんな悪条件でも」というのが、白籏さんはなんでも当てはまりますよね。地図が無くても分け入って行かれますし、食べ物にしても、写真を撮るにしても、現像するにしても……。
白籏:そうです。そうでなかったらダメなんですよ。明るいレンズや長いレンズを持っていないというのは、バレエの舞台を撮るにしても大変なんですよ。あっち行ったりこっち行ったり飛び回っていると、周りから「シィーッ!」て言われたり(笑)。それでも撮らなくてはならないし、撮影だけじゃなく現像するときに工夫をしてみたりするわけです。
――そのときそのときの装備の状態はあるとしても、あえてイージーな道よりも険しい道を選ばれている……いやむしろ、「険しい道を行きたくなっちゃう」のですかね。
白籏:まあ……山と同じですよ。楽なところにロクな仕事はないと思っていますから(キッパリ)。同じところ、たとえば山頂に繋がる道が二手あるとしたら、「こっちのほうがおもしろそうだな……」というほうに行っちゃう。そういう冒険心も必要なんです。
 

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「私が道を造る」――ケガをも直す巨星の信念


――今回のお話で繰り返しになるようですが、これらが全部、小さいころからの経験が活かされているということですよね。
白籏:全部、自力で覚えてきたんですよ。学校には行く時間がなかったですから、そこで勉強する時間もなければ、たとえば山岳部に入って技術を教わる機会もなかった。そして住み込みで岡田先生のところに行ったわけだから、社会人の団体にも入れない。だから登山技術から何からすべて独学、独力ですよ。
――改めて、すごいですね……。
白籏:それしかできなかったのですよ。だから人間、それしか道がなければなんでもできるんです。ははは。
――道無きところに道を造っちゃったわけですね、白籏さんは。
白籏:当然ですよ。『僕の前には道がない、僕の後に道ができる』、これは高村光太郎の言葉なんですが、私も偶然で同じことを言ったんです。『私の前に道はない、それは私が造るものだ』ってね(ニッコリ)。
――山岳写真家としての“道”もそうですし、山でも危険な“道”を拓き続ける……。
白籏:そう。それというのはね、危険な道を行くほうが緊張するでしょ。そうすると写真もいいものが撮れるし、逆に危険も少ないんですよ。気持ちが緩んでいたら遭難するかもしれないわけだから。ただまあ、それは山にいるときはそう思っての行動なのであって、ふと「俺はなにをしていたんだ」って思うときもあったりね(笑)。
――あ、思われるんですね。なんかホッとしました(笑)。なかでも「これはやりすぎた……」と思うようなことはありますか?
白籏:あります(アッサリ)。
――ありますか(笑)。
白籏:足なんですけれどね(足をさすりながら)。大昔に南アルプスの仙丈ヶ岳に登ったときのことなんですが、当時は装備もロクな物がなかったし、また買うカネもないから、ひどい格好で行ったんですよ。靴下も化繊ですしね。
――それ、普通の靴下です(笑)。
白籏:2000メートルの樹林帯ですでに零下30度を超えていた、そんな気候で3000メートルまで上がって撮影していましたらね、夢中だったから気が付かなかったけれども、降りるときにどうも足が痛い。
――はい。
白籏:それで朝になったらズキズキ痛くてね。「凍傷かな、これはやられちゃったなあ……」と思っていたらドンドン悪くなって紫色になってくる。靴も履けないから、さあ困った。
――困りました。
白籏:困っても働かなければいけないから……
――あの、お医者さんにまず行きましょうよ。
白籏:行けないんだよ、おカネがないから。
――おカネって……あの……(笑)。
白籏:しょうがないからジレットの片歯のカミソリ、あれをガスで焼いて消毒して……
――止めてー早まらないでー(泣)。
白籏:わははははは、それで両足の指と踵をぶった切った。わはははははは。
――わははははは(笑うしかない状況)。
白籏:それで包帯で巻いてサンダルで歩いていると、押されるから痛いよね?
――痛いに決まってますよ!
白籏:それでまたジュクジュクしたところを剥いで……ってやっているうちに半年ほどで治った。もちろん指も残っています。
――(仰天)
白籏:もうね、ケガとかなんとか、全部こうやって自分でやってきた。「治るんだ」って思うと治るんですよ、人間は。
――なんか、すべて繋がりましたね……。
白籏:そうだねえ……(しみじみ)。
――白籏さん、説得力のある締めだと思いますが……『どうか今後もご無事で』。
白籏:もちろん。ありがとう(ニッコリ)。
 

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構成・松本伸也(asobist編集部)

 











読み物 VIVA ASOBIST   記:  2012 / 04 / 02

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