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Vol.69 フェルケル寿々栄
――阪神、フィリピン、東北を駆ける"ボランティアの母"

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【プロフィール】
フェルケル寿々栄(Voelkel Suzue)
ボランティア団体「ザ・ボランティア'95」代表
95年の阪神大震災にて神戸へボランティアへ出向いたのをきっかけに、知り合った大学生など若者たちとボランティア団体「ザ・ボランティア'95」を組織。フリーマーケットの売上などを支援金とするなど活動し、阪神大震災の支援後もフィリピンでの幼稚園建設、農業用地の整備などにも携わる。被災地等に向かいたい学生への支援なども行なう、“ボランティアの母“。
 

 

 

いまもって復興作業が続いている東北地方。
被災地での生活を、そしてそこへ出向くボランティアの若者を見つめる女性がいる。
「ザ・ボランティア'95」代表・フェルケル寿々栄。
阪神に、東北に、そしてフィリピンに、彼女が考えるボランティアとは?
さあ読んでくれ!



----本日はボランティア団体「ザ・ボランティア'95」の代表であるフェルケル寿々栄さんにお話をうかがうべく、千代田区で行なわれているイベント「チャリティーサロンTRINITY」にやって参りました。
フェルケル(以下V)●こんにちは、よろしくお願いいたします(ニッコリ)。
----こちらはフェルケルさんたちが支援されているフィリピンの女性たちが作っている品物や、地震の記憶も新しい宮城県南三陸町のみなさんによる編み物の商品、「あそびすと」でもおなじみ、えんどうもみさんの作品などが販売され、その売上がそれぞれチャリティされています。
V●はい、そうですね。こちら、会場の「ギャラリー佳風」はホテルの中にあるギャラリーで、普段は絵の展示などをしているのですけれどもね。たまたま私たちが関わって作っている物を販売してあげよう、ということになりまして。オーナーさんや協力いただいたえんどうさんのお力ですね(ニッコリ)。女性が関わるボランティアというのが、たとえば"髪振り乱してやる"のではなく、おしゃれな感じでできますよという雰囲気を、主催者である岡本芙蓉さん、小池佳子さんが作り出してくれています。
----フェルケルさんの佇まいも髪振り乱して......という感じではないですものね。
V●いえいえ、いつもは地を這い蹲ってやっておりますのよ(笑)。
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“阪神”からフィリピンへ――「ザ・ボランティア'95」

----さて、フェルケルさんがそもそもボランティアを始められたきっかけですが......?
viva69_07.jpgV●はい。私ども「ザ・ボランティア'95」というのは、文字通り1995年に始まりました。
----1995年と言いますと1月に......。
V●そうです。1月17日に阪神大震災が起こりました。そのときに神戸......と言いますか兵庫区に集まったボランティアたちから始まっています。ボランティアでやって来てもそう長くは滞在できないわけですが、地元に帰ってもやっぱりまだ神戸での"におい"も鼻に残っているし、被災者のみなさんの姿も目に焼き付いている。「ここでまだ止めるわけにはいかないよね......」という思いから、自分たちが東京にいてもできることは......ということで発足したのですね。
----はい。
V●それから5年間......ただね、学生が中心だったもので、お金をみんな持っていないんですよ(笑)。やはり先立つものがなければなにもできないのでどうしたのかと言いますと......。
----どうしましょう。
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「ザ・ボランティア'95」のフリーマーケット風景
V●そのころに、世の中に"フリマ"ってのが広まってきたんですよ。そうです、「フリーマーケット」ですね。これをやってみようということで、周りにいろいろなものをもらって売りに行ったんですね。それで1日1万円、いや売れないときは650円しかならなかったときもあったりしましたけど(笑)、そこでできたお金を神戸の仮設住宅に送って、暮らしているおじいちゃんおばあちゃんのお茶代に......という活動を5年間やったのですね。
----なるほど、まずは行動と智恵を使われたわけですね。
V●それで、復興が徐々に進む中で、ひとまず神戸については一段落したと考えたとき、「解散しましょうか......?」となりました。実際のところ、最初は100人くらいのメンバーがいたのですが、2年目くらいから私とある大学院生の男のこの二人みたいなことになっていたんですよ(笑)。
----なにか、その点はすごく難しい問題な気がしますね......。
V●みんな学生がほとんどでしたから、就職する子もいますし地方に行ってしまう子、いろいろな事情がありますからね。それで私とその大学院生の子で、「どうしようか?」と。止めちゃってもそれはそれだったのですが、実は私は20歳代のころからアジア方面の支援活動をやるのが夢だったのですね。
----神戸での活動から繋がってくる夢、ですね。
V●お金も30万円くらい残っていたので、「これでなにかやろうか......?」と。
----繋がりましたね(笑)。
V●はい(ニッコリ)。なので、知り合いだったフィリピン人のシスターに、「ボランティア活動をしたいのですが、どなたかごぞんじですか?」ってうかがったんです。これ、重要な話ですが、ボランティアってお金や物資を出しても"誰か"に預けちゃうとわかんなくなっちゃうのですよ。
----変な例で恐縮ですが、ドラマで"支援物資を政府関係者が横領"ってのを観たことがあります。
V●そんな感じです。知っている人で、責任を取ってくれる人とではないと活動できない。そういうことでシスターにうかがったら、「私も自分の故郷に支援という恩返しをしたかったけれど、教会もNGOもお金を出してくれるところがなかなかなかった。なので、そういった方を探しており、支援の青写真を聖書に挟んで日本に赴任していた」と。
----ほうほう。
V●それでその青写真を毎日見て「どなたか出てきてくださいますように......」ってお祈りをしていたら、私がたまたまやってきた(笑)。
----出会ってしまい、叶ってしまったわけですね。
V●幼稚園や学校施設の建設などの支援の話をして、それから1カ月後くらいかな。「設計ができたから来てください」という連絡がシスターから入ったんですよ。
----いよいよ本物の"青写真"ができあがりました。
V●そうしたら鉄筋の立派な設計図があるわけですよ。本当にブルーの青写真でね。で、「ところでこれいくらなんだろう?」と。予算が30万円って言ってなかったから(笑)。
----なんかイヤな予感がしますけれども(笑)。
V●探してみたらね、書いてあるんだけれども"フィリピン・ペソ"で書いてあるわけ。それじゃあわからないから家に帰って計算してみたのよね。
----予感じゃなくて確信に近いですが(笑)、さあおいくらでしたか?
V●250万円でしたね。いやー参った30万円って言うの忘れた......と思ってしまいましたが、自分の20歳代からの夢がね、クルマ一台分で叶うのだったらね、貯金してたって利息も付かないし、もう払って自分でやろうっ!ってゴーサインを出しましたよ。
----そ、それはすごい......。
V●そう思ってゴーサインを出したらね、フリマの荷物がなんか急に集まりだして、「手伝いましょう」って言ってくれる人も増えたんですよね。それまでの出品は車一台くらいだったのに、それが二台三台......多いときは五台分にもなりまして。結局250万円は1年間で返せてしまいました(笑)。
----うわわっ、なにか見えない力がやって来ましたね......。
V●すごいでしょう? なにかに乗っかっちゃったのね(笑)。それで幼稚園が完成して、その式典に行きました。最初は16名の子供から始まりましたね。

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幼稚園の卒園式。報われる瞬間

工夫とバイタリティのボランティア考

viva69_03.jpgV●幼稚園ができてから聞いたのですが、フィリピンは小学校は義務教育のはずなんですけれども、小学校に入るために予備学校......幼稚園から行ってないと入れないのですよ。
----ん? 義務教育ですよねえ??
V●それじゃ義務教育じゃないわよねえ。ただ、私たちが幼稚園を建てたようなジャングルの地区の人たちは、金銭的な面でなかなか幼稚園にも入れなかったし、出生届も出ていなかったりする。そこで生まれて、暮らして、それで死んでいってしまう、なにも記録に残さないで死んでいってしまうことが何代も続いていたりするんです。そこで幼稚園を開いたことで、親は出生届を駆けずり回って申請して取得して、幼稚園に子供を入園させたのですね。
----幼稚園を建設することで、戸籍を取るところから改善されていったわけですね。
V●幼稚園では2年間、読み書きと数学やアートなどを教えています。他の幼稚園では教えていないような科目も、いい先生たちのおかげでいろいろな教育ができていますね。
----なるほど。
V●その次にシスターが「"奨学金"の支援はどうだろうか?」と。高校生ひとりの授業料と教科書代が在学中に6000円くらいで、その他に制服代とかも含めると1万円あれば高校時代を支援できる。大学生だと3万円くらいになるのですが、この支援も行ないました。それでその次がお百姓さん。
----就学の次は農業、ですね。
V●これがお百姓さんと言っても名ばかりでね。安い種をそこら辺に蒔くだけで、"運がよければ"芽が出て来る(笑)。ニンジンなんか石の隙間から出てくるから割れちゃってたりするのですよ。
----家庭菜園と変わらないわけですね。
V●そんなにいいものじゃないですよ、もっと原始的(笑)。トウモロコシなんかも真っ白で味も素っ気もないものだし......これらを改善させていこうとしたのですね。農業技術だけでなく、たとえば畑なんか急斜面にありますから、雨が降るといい土がみんな下に流れてしまうから、それを防止する用水路なんかを造ろうとするべきだったのだけれども......
----だけれども?
V●私たちは素人だから、お百姓さんに作物の"いい種"を渡せばそれでいいのだろうと思ってしまったわけ。そうしたら結局、"いい種"を売ってそのお金で飲んじゃったのね(笑)。
----うわーっ、なんかありがちな話です(笑)。
V●まあそれは私たちが「本当の貧困を知らない」ってことなのよ。何カ月か先の話ではなく今日のお金が必要だった、わけね。それで、これは素人の手には負えないということで、日本に帰って、JICA(国際協力機構)など発展途上国の農業指導などをしてくれるところを探したんですね。そこで辿り着いたのが「日本シルバーボランティアセンター」でした。
----はい、よく電車の中吊りなどでもお見受けしますね。
V●そちらで紹介したいただいた76歳の方にお会いして、お話しをして、現地に一緒に行って見ていただいてら「わかりました、やりましょう」と言っていただいて。
----用水路などを造る活動となるわけですね。
V●そうです。土地の下から水を引いてタンクを作って、ブロックを運ぶ。それを地元の人に給料を払いながら進めました。日当が200円でしたね。
----現地の人からしたら、仕事として農業用地を整えていくことになりますね。
V●子供も手伝わせて、みんなで造っていきましたね。いまは苗床を育てるハウスもあります。ハウスである程度大きくしておけば、雨で流れることも少なくなります。その方法なども教えてもらっていますね。
----はい。
V●こんなふうに、幼稚園、奨学金、そして農業とフィリピンで支援していました。そうしたら......
----そうしたら......?
V●ほら、出発点のフリマの商品ね、あれが山のようにあるようになっちゃった。6畳の倉庫を借りていたんだけれども、それじゃとても足りなくて、フリマではもう売り尽くせない勢いで。なので「これをフィリピンに送ってみようか」って。
----あ、売ったお金ではなく現物を送ってしまう、と。
V●さすがに日本の冬物の衣類とかはフィリピンでは売れないけれども、夏物はフィリピンでも需要がある。なのでそれで送ってみました。すると、現地の中国の人から商売にしたいから「コンテナで送ってくれ」って話が来たのですね。
----なんかお国柄を感じる提案ですね(笑)。
viva69_08.jpgV●それは輸出ですから、そんなことはしたことがなかったのでお断りをしたのですが、しばらくしたら日本の有名ホテルが改装するので、各部屋のテーブルや椅子、クロゼットや布団まで全部もういらないって話がありました。なので、それをすべていただく話にしまして、今度は輸出をしてみたんですよ。やったことがないので、輸出の会社に電話して「ホントになにも知りません、教えてください」って頼みましてね。
----それもすごいバイタリティですね(笑)。
V●そんなこんなで輸出をしてみたら、ちゃんと売れますし損はしないのですよね(笑)。それらとフリマからの商品をフィリピンで売る、それも私たちが行なった支援です。それと、今回この「チャリティーサロンTRINITY」で扱っている、フィリピンの女性たちが手作りで造った小物などは、「もうお裁縫はやらないから」と日本から送られた生地で造られたりしています。ミシンを買ったり作業場の家賃を支払い、先生にお裁縫を教わって造っていく......そんなことも去年から始めて、いまここに商品として日本に還元され、売上はフィリピンに還元されていく。こんな活動も、日本とフィリピンの間でできていますね(ニッコリ)。
----いろいろな工夫をしての架け橋ですね、フェルケルさんは。
V●そうですねえ......たとえば、農地を造るのに井戸を整備しようとしますよね。日本から指導に来てくれたのは橋本さんというおじいちゃんなんですが、橋本さんがいるときは現地の人もみんな来て働いているのだけれども、日本に帰って宿題になるとみんな来なくなっちゃたりする(笑)。最初は仕事にも日給を出してなかったんですが、そうなると誰もやる気が出ない。そこで、みんなお腹が空いているからってことで最初は食事を出したのですよ。そうするとしばらくは来るのだけど、そのうちまた来なくなる。彼らにとったら、この場所を整備しなくても街に出たら200円くらいにはなる、それでこの場所がずっと変わらないのでは意味がないから、それならばと日当を出すようにした、ってことがありますね。先ほど「本当の貧困を知らない」と言いましたが、そういったところを実感することで工夫が凝らされていったということはあるでしょうね。
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"阪神"への道、"阪神"からの道

viva69_05.jpg----さて、フィリピンでの支援のきっかけになる出来事についてうかがっておかなければならないでしょう。1995年1月17日のことです。
V●はい。私は当時は三田におりました。神戸の"サンダ"ではなく、東京の"ミタ"です。
----日本国内、そのときは関西地区で大地震が起きました。なにかの力になりたいと思っても、それはできることとできないことがあります。駆けつけたくても駆けつけられない、という人も大勢いるなか、フェルケルさんは神戸に向かわれました。
V●私の根っこにあるのは、犬養道子さんという方が書いた『人間の大地』という本がありまして、そこには犬養さんが関わられたカンボジアの難民支援などのことが書いてあります。それを読んでいて、いつかはそういった活動を......という思いがありました。
----はい。
V●震災が起きたときですが、おうちにいて温かいコーヒーを飲みながらテレビを見ていました。するとテレビではおじいちゃんたちが震えておられる。そのとき主人はドイツに単身赴任、息子はアメリカに留学中だったのですが、主人のドイツの友人が神戸の御影で震災に遭うんです。
----不運にも震災に遭遇してしまった......。
V●その方が横浜のホテルに非難されたので、私の家にお呼びしたんです。とても大きいオウムを連れてやって来られたのをよく覚えているのですが、「なにかできないだろうか......」と思っていた私はふと「あ、このご夫妻、二人きりにしてあげたほうが気楽だろうな」と思いましてね。そこで「私、神戸に行ってくるわ」となったんですね。そうしたら「えええっ、僕たちはそこから避難してきたんだよっ」って(笑)。
----ははは、それはそうですね(笑)。
V●「いや、なにかできることがありそうですから行ってきますね」って、それで大きなリュックに寝袋を入れて、食料を入れて、軍手やらゴミ袋......それらを背負って神戸に向かいました。ご夫妻が「御影の家はグチャグチャだけれども、泊まってくれていいからね」と言ってくれたので、初日は使わせていただいたのですけれどね。御影だと仕事があまりなさそうなので、次の日に神戸市役所に行ってみました。すると、ちょうど神戸区にボランティアセンターができたばっかりだと言うことで、その日からボランティアセンターで学生たちと1週間、寝泊まりしました。
----まだまだ大混乱の時期ですね。
V●そうでしたね。夜は地面からジンジンと伝わってくる寒さですし、食べ物も被災者の方には食べさせられない期限切れの物ばかりだったりしました。多少足を伸ばせば様々な問題が解消されつつあるエリアもありましたが、そんな時間もない......。それで、ひとまず1回帰ろうと1週間で東京に戻りました。
----はい。
V●それで家に帰ってお風呂に入ったら、パーッと涙が出てきました。被災者の方も「いいなあ、あなたは帰る場所があって......」とおっしゃってたのですが、そう思うともう......(涙)。
----ちょっと......堪らないものがありますね......。
V●そうしたら2日もして呼び戻されました。当初3、4人で始めた活動があっという間に何百人にもなりまして、そうなるとコーディネートできる大人がほしいということでした。それで4回くらい行き来をしました。最後には主人にも一緒に来てもらいましたが、言葉で説明しても伝わらないですよね。なのでぜひ一度って来てもらって、自衛隊が提供していたお風呂の受付をやっていましたね(笑)。
----一度見る、というのは大きなことですよね。私は阪神も東北もできておりませんが......。
V●その通りでしょうね。現地に足を踏み入れて、自分の目や鼻で体感するということは大きなことだと思いますね。
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「"東日本"は"阪神"の教訓が生かされていない」

----その阪神大震災の後、「ザ・ボランティア'95」が組織され、フィリピンでのボランティア活動などを経ていまに至るわけですが......。
V●正直なところ、フィリピンでの支援活動が一段落した2年ほど前に、「もうボランティア活動はいいかな」と思ったんですね。この15年間にそれこそ寝る間も惜しんで働きましたしね。フリマ用にいただいた荷物を一日中、こっちはフィリピン、こっちはフリマ、こっちはネットオークション......とかやっていましたし、いろいろと活動するために動き回ってもきましたから。もうそろそろ......と思っていたんです。
----ところが......となるわけですか?
V●そうですね。そんなときに2011年の3月11日がやってきてしまいました。東日本大震災ですね。それでまたボランティアから離れられなくなってしまいました。
----今回も被災地に入られての活動をされていたのでしょうか。
V●被災地にはうかがっていますが、神戸の時と同様に学生さんや若い人たちがボランティアとして活動しようとしています。ところが、これも同様に若いからお金がないんですね。なので、被災地に入るよりも若い人たちに交通費などを賄うなどして現地に入ってもらっています。被災地に行くことができない大人から「行けなくても力になるためには......」とお話しして募ったりしたり、ですね。
----募金をしたり、ということですね。
V●ほら、先ほど「私は阪神も東北も行けていない......」ということをおっしゃっていましたけれども、それならば「可能なお金を寄付する」というのも立派なボランティア活動です。直接的にも間接的にもそれで被災者の方を助けることができるのですから。
----なるほど。それこそ金額の多寡に気が引けたりするのですが、自分の精一杯に恥じる心配も必要もないのですね。
V●それは当然だと思います。......しかし、私がこの東日本大震災について、阪神大震災にもボランティアとして活動した者として「阪神の経験や教訓がまったく活かされていない」という思いが正直あります。主に行政の問題だと思いますが。
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「ぜひ使ってください!」という“宝の山”
----主体となって支援活動をする側、政治の側としてもいいかもしれません。
V●もちろん、阪神と東日本では被害地の広さも違いますし、建物の倒壊と津波や原発事故という被害の質も違います。もっと言えば政治の体制も違いますね。それだけに一概には言えないのもわかりますが、どうしたって先にするべきことや守るべきことがあると思います。
----......。
V●これは阪神のときのことですが、避難所となっていた区役所で、真夜中でも煌々と電気が付いている。そこでおばあちゃんが寝袋で寝ていたのですが、どうも身体が落ち着かれない。床がタイルですから寒いのかなと思ったら、違います。寝袋に入りながら、用を足されているんですよ。
----えっ......。
V●お手洗いの問題が......というのは実はよく語られているのですが、現実として仮設されたお手洗いがすでに使用できなくなったとして、そのとき困るのは、これは男性はどうという話ではないのですが、困るのは女性なんですよ。そういったお手洗いの問題も含めたプライバシーの問題......たとえば避難所で衝立一枚がなぜなかなか立てられないのか。別の角度になりますが、たとえば支援のために送られてきた食料が、避難所にいる被災者の数と合わないから配布されず、そのまま痛んでしまったなんてことも数多くあります。
----うーん、食料の話などは平等意識が悪循環している気がしますね。
V●もっと言えば義援金のこともそうでしょう。東日本大震災で日本赤十字社に寄せられた義援金は、かなりの金額が手つかずのままになっています。これは配布するべき個人の前に、住んでいる自治体や政治がああだこうだと言っているから配布されない。もちろん不平等は避けなければなりません。しかし配布されていない事実は、被害を受けた人も、義援金として送った人にも歓迎するべき話ではありません。
----たしかに被災直後に募金した義援金がそのまま、というのはおかしいですよね。さっさと渡してやってくれ、と思います。
V●これは別の団体の話ですが、とにかく被災者には一律で義援金を配布して、また船に関係がある団体ですので、津波による座礁など船の被害があった船主さんにも義援金を出した、ということがありました。このような使われ方ならともかく、日本でもっとも多くの義援金を預かった団体に多額の義援金が残っているなんてことは、最初に話しました「お金や物資を出しても"誰か"に預けちゃうとわかんなくなっちゃう」というのと変わりません。発展途上国と日本の行政が同じことをやっている、そう感じざるを得ないですよね。
----たしかに私たちも報道などで見聞きした現状ではありますが、ハッキリ言って大きな問題がありそうですね......。
V●はい。ただ震災からの復興はまだまだ......と言いますか、まだ始まったばかりかと思います。そう思いながら様々な行動をしていると、やはりなかなか大変なんですよ(笑)。
----まだ離れることはできなさそうですね。
V●そうですね。しかし、いまも若い人たちが活動を続けてくれてますし、今日のこのイベントにも上智大学の学生さんとかが来てくれています。東北の復興を見続けながら、段々と彼彼女らにバトンを引き継いでいければいいですね。
----不幸にもそのときにまた災害がないことを祈りましょう。
V●そうですね。それは私のためではなく、みなさんのために(ニッコリ)。
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フィリピンにて園児たちとともに











読み物 VIVA ASOBIST   記:  2012 / 10 / 26

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