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vol.15 龍RON

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【プロフィール】
刺龍堂のオーナー兼タトゥーイスト。
大学でシルクロード美術について学び、その後、 考古学の仕事に従事。世界の遺跡・民族に興味を抱き、海外へと旅立つ。世界の民族や歴史に触れるたびに、根底に根付いていたタトゥー文化へと心酔。バリ島にてWAYANと出会い、本格的に彫師としての道を歩み始める。

TATTOO STUDIO 刺龍堂-SHIRYUDOH-
OPEN HOUR : 11:00-20:00
CLOSE : 毎週水曜日 / 隔週の木曜日
PHONE&FAX : 03-3717-9272 (11:00-20:00)
サイト名
http://shiryudoh.jp/

【龍RONさんに7つの質問】

Q1:タトゥーとの出会いは?
子供の頃、銭湯で刺青を見たのが最初でした。どんな図案だったのか、今でも鮮明に覚えています。職人さんたちがよく来る銭湯で、その背中に張りついてずっと見ていました。もともと絵が好きだったので、銭湯の絵と同じような感覚で見ていました。
実際、自分が入れたのは20歳前後です。 10代前半の頃からタトゥーは入れたいと思ってはました。内面的なものからというよりは、装飾として体に入れたいと考えていました。友人たちには反対されたのですが、体に残す形として、何か残るものが欲しかったのです。

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Q2:初めてタトゥーを入れた時はどうでしたか?
まず、入れられる場所が当時は少なく、探すのに大変でした。運よく先輩の紹介でスタジオが見つけられたのですが、色々な意味でギャップなどもありました。同じようにお客さんとして来ている人たち。置かれている図案など。
僕の入れたいものとして図案を持ち込んだのですが、それは植物をモチーフにしたものでした。植物の生命力、眼には見えて来ないその力強さ、そんなものを体に入れたいと思ったんです。
でも、その彫師さんの考えでは、タトゥーはもっと力強い図案が必要で、いかついものでなければ意味がないと怒られ、ドクロとかフレアパターン(炎のデザイン)を入れるべきだと言われました。
それは必ずしも間違った事ではなく、彫師さんにはそれぞれのスタイルがることすら、僕は知らなかったのです。それで、その時は置いてある図案の中から消去法で選び、最後に残ったドクロのデザインを選びました。たぶん、僕を知る人たちはかなり意外だと思うチョイスかもしれませんが。
入れた後、特に変化はありませんでした。反対に、彫り始めてすぐ、自分は最初からタトゥーを入れるものだったんだな、という不思議な感覚がありました。同時にデザイン選びの重要性と、タトゥーの新しいデザインへの渇望をもったのもこの時からでした。

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Q3:次にタトゥーを彫ったのは?
大学を卒業後、アジアを中心に一年ほどの間、放浪していました。学生時代にシルクロードの勉強をしていたからです。その旅の終盤、バリ島を訪れた時にタトゥーと再会し、また新しいタトゥーとの出会いにもなりました。この時が、その次の機会だったと思います。

その他、いろいろな国で彫師という職業の人たちにも出会い、自分の体にもタトゥーは増えていったのですが、お金を一番に考えるタイプの人たちが多く、なかなか良い出会いはなかったなかで、バリ島で会った人はちょっと違うタイプでした。

その時、そのスタジオには世界の色々な国からの彫り師が偶然集まっていて、僕もその中に入りました。自分でデザインを書いたり、日本人のお客さんが来たら通訳をしたりしていました。そこで5つのタトゥーを入れました。その頃はまだ22歳で、この先どうするかなどは考えていませんでしたね。
 

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Q4:彫師になろうとしたのは?
始めて人に彫ったのはバリ島にいたときです。彫師になろうとはまったく考えていなかったんですが、いつも興味深かそうにしていた僕に、気軽に道具を渡され、気がつけば彫る側になっていました。簡単にできるものではないのですが、バリ人が練習台になりたいと来たんです。当時は怖いものしらずというか、プレッシャーのようなものはなく、気軽な感覚で彫っていました。でも、最初にマシンを握った瞬間、音や握った感触とかがすごくしっくり来ました。これしかない、と。デジャブじゃないですけど、昔からこれをやっていたんだなという感覚があったんです。

最初の放浪から日本に帰ってきてからは、遺跡の発掘や資料整理など考古学の仕事をしていました。その後も、アメリカ、中東、北アフリカ、地中海、ヨーロッパ、バルカン半島、インドと4年ほど放浪していました。その間も様々なタトゥーと出会い、中東を旅している頃には、彫り師になりたいという想いも強くなってきました。

そして、再びバリ島に向かい、当時、バリ島でタトゥースタジオを開いていたWAYANと出会ったんです。お金よりも作品を大事にしていて、タトゥーに対して真摯に向き合っていた彼とは、意気投合しました。興味があるなら見ていいと言うので、タトゥーを彫る道具(針)を作ったり、彫っているところを見せてもらったりしました。ある日、実は彫師を目指していると伝えると、彼は「そんな立派な仕事(考古学)をしているのにタトゥーの仕事をしたいというなら、大変な仕事だけど、持っているものをすべて伝えるし、どんなことでも協力する」と言ってくれました。彼のアドバイスは心強かったですね。
 

Q5:刺龍堂オープンのいきさつは?
帰国してからは、お金を貯めるために色々なところで働きました。その間、自分の体で練習したり、友達に頼まれて彫ったりなどもしてました。しかし同時に、プロとしてやっていくと決めてからは、大きなプレッシャーも感じました。人に残るものを彫るという事を真剣に考えた時に、逆に難しくなってしまったんです。
やると決めた以上は、自分との闘い。ひたすら絵を描いて、練習し続けるしかありませんでした。
2004年4月、池袋の刺龍堂をオープンしました。刺龍堂という名前の由来は、「刺」はタトゥー、「龍」は自分の名前などを意味していてです。本来なら、タトゥースタジオと入れるべきでしょうけが、それ以外にも色々なことをやりたかったので、あえて「堂」を選びました。
店舗は狭いスペースでしたが、オープン後、暫くして雑誌に載せてもらい、沢山のお客さんに来て頂きました。自分のアジア的なスタイルが受け入れられたのが、とても嬉しかったです。最初の頃は、ラインだけで表現するものはタトゥーじゃないと言われ続けてきたんですが、でも、タトゥーには無限の可能性があり、炎などの威嚇するモチーフじゃなくてもいいのではないかと思い続けてきたところに、認めてくれる人たちが来続けてくれたので、僕のデザインは結果として成り立ったのだと思います。

そんなスタイルの影響なのか、お客さんの層が変わっています。一般的に、タトゥースタジオの顧客はほとんどが男性ですが、うちは男女比が現在で5:5、以前は3:7という比率でした。また、今までタトゥーを入れたことがない人の割合が、すごく多のも珍しいです。逆に体中に入れたい、という人も少ないですね。
 

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Q6:つらかったことは?
池袋の店舗は一人でやっていたのですが、オープンから2年間休みなしで働いたことですね。食事は朝まとめて買って、夜まで一歩も出られない状態です。電球が切れて買いに行く時も、お客さんが来るので急いで走って買いに行きました。最初の1年間のうちは、7月30日と12月1日に倒れて休んだだけです。朝から深夜まで、正月も何もなくずーっと仕事していました。それが、一番きつかったですね。これはいつか死ぬんじゃないかと思っていたら、最後の方に、プツッって音がしたんですよ。大事なものが切れたのではと感じました。そして再び倒れ、最後は入院するというオマケもついてきました。
自分でも、なぜココまでやるんだろうと思いながらも続けたのが不思議でした。タトゥーが好きなんでしょうね、食事とかと一緒で、自分にとっては当たり前なんですよ。

さすがに、2年目で倒れた時は、一度リセットするためにスタジオを閉めて辞めようと思いました。そんな時に、たまたまここ(自由が丘)の物件の話が出てきたり、お客さん達からどうしても続けて欲しいと言われたんです。いつまでも待つと言ってくれたので、ここで自分が負けているわけにはいかないなと。
2006年に自由が丘に移転しました。

Q7:今後の展望を教えてください
さらに技術を向上させたいです。0.001mm単位まで精密でクリア、そしてシャープなラインのタトゥーを作りたいですね。タトゥーは一生ものと言われていますが、実はだんだん薄くなったり、ぼやけたりします。技術が高い人が彫ると、その期間が長いんです。僕の技術は、まだまだこれからなので、深さやスピード、インクなどをマスターしたいですね。最近は、洋服なども作って、オンラインショップで販売したり、デザインフェスタに出店したりしています。

お店はなるようになっていくと思います。大きなビジョンや今後の展開の予定などはありますが、言うと余りうまくいかない事が多いので、言わないようにしておきます。力み過ぎるとうまくいかないし、気楽に…。放浪するように。


取材を終えて—

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世界を放浪したタトゥースタジオのオーナーと聞いていたが、お会いしたRONさんは、想像と違ってやさしい雰囲気の方だった。お店の中はエキゾチックな装飾品であふれ、落ち着いたムード。スタッフの方がいたので、お弟子さんですか?と聞いたところ、弟子ではないとのお返事。縦のつながりは苦手とやさしく笑う。

なによりも感銘を受けたのは、RONさんになるタトゥーが、いわゆる「PTA諸氏が眉根をひそめる」ものとは一線を画し、純然と「アート」として成立しているということだ。タトゥー未体験の筆者もとても興味を引かれた。彫ってもらうときは、もちろんRONさんに頼もうと思う。
たとえアートであったとしても、社会的制限を受けることから免れるものではない。温泉やスパ・クワアウス、プールなどは入場不可であったりもする。念のため・・・











読み物 BigUp   記:  2009 / 03 / 31

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