BigUp

vol.21 林剛司

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【プロフィール】
1973年石川県金沢市生まれ。
フリーの英語教師、アメリカ文学・文化研究家、歌手
高校2年生の夏に1年間のアメリカ留学、
そして大学、大学院卒業を経て、
中学から大学まで、幅広く英語教師として活動。
そのかたわらで「歌う英語教師」の顔も持つ。
現在は3校で教えるフリーの英語教師、
そして“多読”の「TERA英語多読塾」(西東京市)塾長としても注目を集める。
著書に、
『楽しい英語「多読」入門』(丸善プラネット)
『英語は「多読」中心でうまくいく!』(ごま書房)

林剛司ブログ「英語教育、多読、多聴」
http://blogs.yahoo.co.jp/tatahaha
 

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大分県の岩田中学・高等学校にて講演会(07年9月)

フリージャーナリスト、フリーライター、フリーカメラマン……
世に“フリー”と呼ばれる職業は数あれど、今回登場する林剛司さんは「フリーの英語教師」という肩書きでの登場。
さらに「アメリカ文学、文化の研究家」、そして「歌手」という顔も持つという。

林さん、あなたはいったい何者ですか?


林●そうですね……まあ、ホントにひとことで言いますと、「英語の先生」と「唄歌い」ですね。どちらかといえば英語を教えている時間のほうが長いので、まずは英語の話から。高校時代にアメリカに留学したところから始まります。

着いたハナからハイテンション――アメリカ留学

林●もともとが英語好きだったということもありますが、さらに映画とか音楽、洋楽が好きだったんですね。そういった分野だけでなく日本での生活の上でも、アメリカというのはいちばん身近な外国ですよね? なので、もちろん「英語を勉強したい、英語をマスターしたい」という気持ちもあったんですけれども、それよりも「アメリカの生活を体験してみたい」というのが先にありました。
とはいえ、当時はまだ高校生で留学なんてことはあまりない時代ですし、ましてや田舎ですからね。どうしたらいいのかと思いつつ、しかし高校に入ったころにはもう「留学したいな……」と思ってましたから、たまたま英語の先生だった担任の先生に相談しましたら、熱心に留学団体を探してくださって。友達のお父さんにも留学関係の仕事をされている方がいたりして、話を聞きに行ったりしましたよ。ところが肝心の親には最後のほうまで内緒で(笑)あとで父にかなり怒られましたよ。父ですか? やっぱり昔の人なので「高校在学中に行かなくても、大学に入ってからか働いてから行ったらいいじゃないか」って、最後まで反対でした。でも、私がもう行くつもりで決めちゃってましたから最後は根気負けをしたのですけれどね。

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“歌う先生”が読んでいる本の正体は後半に

で、EIL(日本国際生活体験協会)の留学生試験を高校1年生のときに受けて合格、翌高校2年生の夏から1年間、アメリカに行ってきました。費用は……そういった留学生の団体を介したので、完全に私費で行くよりは安いと思いますが、親にはかなりの負担だったと思います(笑)。
アメリカではマサチューセッツ州にホームステイしたのですが、「これが夢に描いていた土地か!」って、着いた初日からテンション高かったですね(笑)。

ニューヨークのJFK空港に着いた瞬間、そのときからもう楽しくて。目に見えるもの、聞こえてくるもの、すべてが新しい。で、とにかく広い、大きい。人の体も大きいし、建物も大きい。これまで歩んできた人生とまったく違う……まあたかが15年ですけど(笑)、まったく違う生活が始まるワクワク感がありましたよね。そう、不安ではなくワクワク感。不安がまったくなかったかと言えばさすがに嘘になりますけれども、僕はこれからの生活の楽しみとか期待のほうが大きくて、怖いという気持ちや緊張感はほとんどなかったですね。それは留学中の1年通してそうでした。人との付き合いなども「なんとかなるだろう」って思っていましたね。

アメリカでテレビ番組製作「とにかくやってみる、という精神で」

林●留学中にテレビ番組を作ったんですよ。そのきっかけは……いま「不安がなく渡米した」と言ったばかりですけれど、それでもやっぱり、日本から来た高校生がアメリカの高校に入っていって、友達ができるまではなかなか時間がかかったんですね。言葉の問題もありますけれども、すでにコミュニティなどができあがっていますから、そこにいきなり日本から来た私が入っていくのは至難の業です。なので最初は、高校の先生とばかり話していたんです。で、私がひとりでいるのはかわいそうだと思ってくれて、「なにに興味があるのか?」と聞いてきたんですね。それで、音楽や映画と絡んで興味があったので、「放送とかメディアのこと」という話をしたら……。
アメリカの高校はおもしろくて、受ける授業をほとんど自分で選択して決めるんですね。そこに『Broadcasting』、“放送関係”の授業があったんです。それで「これは君は受けるべきだ」と先生がおっしゃって、僕もそれに登録して授業を受けました。

その授業でラジオ番組とかテレビ番組を希望すれば作れるという機会があったんです。学校の敷地内に町のケーブルテレビ局があり、そこに先生が「この留学生がテレビとかラジオに興味があるんだよ」と紹介してくれました。「僕にできるのかな?」と思いましたけど、“とにかくやってみる”というのが彼らのスピリットなんですね。“やらないよりもやって失敗したらそれでいいじゃないか”という感じで、これはアメリカのいいところかもしれませんね。
で、先生とか友達とか、いろいろゲストにも出てもらって、1時間番組を2本作りました。内容ですか? 言葉と文化についてや、現代日本の紹介番組を作りましたね。その町、と言っても日本の町と比べてすごく大きい町ですが、その町の住人から感想をテレビ局に寄せてもらったり、ホームステイ先の家族を通じて「テレビ観たよ」という声を聞きましたね。

合唱部から生まれた「歌う英語教師」


林●歌との出会いもこのときですね。選択授業の話をしましたが、学校で音楽の授業を取りました。で、私が授業の内容をよく理解していなかったこともあるんですけれど(笑)、音楽を取ると合唱部に所属することになっていたんです。まあ、歌は嫌いではなかったですし、放課後に週に1回、合唱部の練習に出ることになりました。それでみんなでゴスペルや宗教音楽などを歌っているうちに、おもしろいなと思うようになって。それから合唱部の活動とは別に、歌の先生に個人的にボイストレーニングを受けたりしましてね。それが歌の最初です。

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乳ガン患者さんの会「新樹の会」の10周年記念祝賀会に招かれ、独唱。
ピアノ伴奏は世界的一流ピアニストの遠藤郁子さん(97年11月)

歌についての話を続けますと、帰国後の高校時代は受験などもあってそれどころではなかったんですが(笑)、大学に入って東京に来たとき、ですね。さすがにアメリカほどじゃないですけど、東京に来るというのは親の束縛とか、そういうものから離れて上京するのですから嬉しいですよね(笑)。そこで「好きなものをやらなきゃ」となって、それは歌だ、と。最初はポップスの分野で作曲家の先生に付いたのですが、その後に声楽の基礎からやりたいな、と思って、同時進行でクラシックなどの声楽の先生にも付きました。

それで続けていくと、「発表する場がほしいな」ってなりますよね。ただ、音大卒とかでもないものに発表の場なんてそんなにないし、聴きに来てくれる人もそんなにないなとは思っていたのですけれどもね。そうしたら高校の後輩で東京音大の学生に連絡が取れまして、少しずつ仲間を募って小さいコンサートを開くことができましてね。それをきっかけに都内で20回くらい……もちろん高いお金は取れませんし、仲間にお金をお支払いするなんてことはできませんでしたけれど、音大生にしてもなかなか発表の場もなくて、彼らも勉強の場になるからということでやっていました。

現在も活動しておりますし、音楽仲間とのコンサート活動は続けていきたいですね。クラシックからポップス、ミュージカル、映画音楽……最近は日本のものに戻りつつあるというか、音楽の教科書からなくなりつつある、伝統的な日本の歌とかを小学生のために歌ったりもしています。最近の曲が音楽の教科書に載ったりすると話題になりますが、そればかりでなく、伝統的な曲も忘れてはいけませんよね。そんなコンサートを大切にしていきたいです。あと、オリジナルも作ってみたいですね、やっぱり。

帰国、そこに待っていた大病

林●
留学でいろいろな経験をさせてもらって、楽しくなってきたところで日本に帰らなければいけなくなりまして……当然、帰らないでいいような工作もしましたけれど(笑)、まあ父親が「それはもう約束違反(怒)」ということで帰りました。

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都内某所での「音楽仲間によるコンサート」にて独唱(98年3月)

高校に復学して、NHKの金沢放送局のラジオ番組に呼んでもらったりもしましたよ。1時間番組の中に英会話や洋楽の紹介コーナーとかがあって……という番組だったのですが、きっかけはあまり思い出せないんですよ(笑)。留学から帰ってきた地元高校生という情報があったのでしょうね。
で、日本に帰ってきて、とりあえず進路を考えたときに……たとえば英語ならば「英語の先生」というのも思い浮かんではいましたが、まだそこまで明確ではないのですね。ただただ英語が好きだということで、とりあえず大学の英文科に進み、大学院を出て、現在もアメリカの文化や文学、アメリカでのユダヤ人や他民族の文化の融合などを専門に研究しています。そこには、たとえば私が映画や音楽に憧れて留学したアメリカ、そのアメリカは一面しか見ていないな……と気が付くこともあるのですが、その話は今回は置いておきましょう。

で、実は大学時代、20歳を迎えるちょっと前……そのときは東京の寮に住んでいたんですが、しばらく風邪みたいな状態が続いていたんですよ。元気も出ないし、大学に行くのもしんどくなってくる。「風邪が長引いているのかな?」と思っていましたら……ある日の夜中、完全に息ができないような感じ、いや、感じじゃなくてできないんですね。とりあえず寮の水道場に走っていって水を飲んだら、かろうじて息はできるようにはなりましたが、これはさすがにおかしい。朝を待ってタクシーで病院に行ったら、すぐ入院しなきゃダメな状態だったんですね。リンパ腫という病気で、文字通り身体中に張り巡らされているリンパ腺に腫瘍ができるわけです。私の場合はまず首のところにできたことで、呼吸器官を圧迫して息ができなくなったんですね。で、故郷の金沢で丸々1年入院することになりました。いまはおかげさまで全然大丈夫ですけれどもね。

病気で思う「先生論」

林●人って自分に関わることだと、猛烈にそのことを知りたいと思いますよね。最初はゆとりもなくて寝ているだけでしたけれども、だんだん元気になって外出や外泊も許可されるようになると、本屋さんとか図書館に行って調べるんですよ。私は火が点くとかなりのめり込むほうなので(笑)、徹底的に調べました。病気の概要から闘病記なども読んで……。そうそう、そのときに友達が教えてくれたハーブティーがありまして。作家の桐島洋子さんが書かれた『見えない海にこぎ出して』という本に、“ハーブティーで免疫力を付けて克服した”とあるんですね。

で、このハーブティーを絶対に飲みたいと思って取り寄せました。ものすごい高かったですけれども(笑)、それを飲んだらたしかに快復していったんですよ。「病は気から」ということかもしれませんが、それと病院の治療もあって、「ちょっとダメかも……」なんて言っていた時期もある主治医がビックリするほどの快復力でした。
この経験で、「やっぱり自分は狭いところで生きていたな」と思い、そして人との繋がりの大切さとかを感じました。すごい単純な言い方ですが、“身体が資本”ということをまったく顧みない生活もしていましたしね。それと「誰かが病気で苦しんでいるときになにかしてあげられることはないか?」と考えるようになったと思います。

その思いは先生として重要? うーん、そうなのかもしれませんね。先生というのはどちらかと言うと……別に先生ってそんなに素晴らしい職業なのかわかりませんが(笑)、いわゆる“優等生”なんですよ。学生時代にはクラスでいい成績を、という人で、それはもちろん全員ではありませんが、たとえば勉強ができない子や学校生活が楽しめない子の気持ちをくみ取れずに、「努力をしないから悪いんだ」と……なんと言いますか、“上から目線”のような理論になってしまうことがあります。私も病気をする前はそうだったかもしれませんけれども、それだと本当の教育ってできないんじゃないでしょうかね。

英語の先生とは別?「学校の先生」はつらいよ……

林●「英語の先生」としては、経歴としてはいちばん長いのは「高校の非常勤講師」ですね。大学院にいたころから、いろいろなところでやりました。埼玉大学で助手だったときには韓国人の留学生を相手に英語を教える……なんか不思議な環境もありましたね(笑)。それはそれですごい勉強になりましたよ。

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「“専任”の先生というのは……」

で、そんなこんなのうちに、1回は専任の教員を経験してみたくなったんですね。非常勤講師だと授業を教えるだけで、クラス担任をやったりすることはありません。そういうことも教員としてはやってみたいなと思いまして、やってみました。
で、やってみましたが……楽しかったんですけれども……もちろん生活は充実するんですけれどもね、今度は逆に自由がなくなるんですよね。学校の一員なので、入試とか生徒募集の業務が入ってきます。いま少子化で私学も大変ですからね(笑)。そうなると自分は英語教師なのか事務員なのか……と。
私は英語を教えるのが好きで、もちろん子供と関わるのも好きだったんですけれども、満たされない気持ちになってしまったんですね。いわんや自分が英語の勉強をする時間もなくなってしまいましたから。それで衝動的に辞めてしまいました。まあ、実はその数年後、すごく楽しい非常勤講師をしながら、ふと生活のこととかを考えたときに、“専任”の文字がチラつきまして(笑)。そんな折りに沼津高専(沼津工業高等専門学校)から話があって、沼津に移り住んで4年間勤めるんですけどね。結局この4月からまた“フリー”になりました(笑)。理由は……東京に戻って来たくなっちゃいました(笑)。「フルタイムで勤めるのが向いてないのかな」とも……あ、これ学校がじゃなくて私がですよ、ははは。

“多読”が英語を変える!?

林●いま“流しの英語教師”として教えるかたわら、「TERA英語多読塾」というのをやっています。この構想は“多読”というのを始めてから考えていたことなんです。
学校の英語の授業が苦手だったことで、その後に英語と関わりのない人生を送る。まあそれはそれで問題ないのですけれど、どこかで関わらなきゃならなくなる人もいる。それになんと言っても諦めきれない、悔しい、「映画も字幕なしで見てみたい!」とか、洋楽も理解したいとか外国の友達も作りたいとか……でも学校の英語のイヤな思い出があるために、それができないと思っている人たちがたくさんいる。そのなかで僕は多読法に出会うきっかけがあって、それを多くに人に広めたいと思ったんですね。それは学校の先生としてもできなくはないですけれども、やっぱり組織ですから限界もありますそれだったら自分で教室を開いたら楽しくできるんじゃないか……? そう思って東京に帰ってきてから始めたんですね。

多読は昔からある勉強法と言えば勉強法なんですが、本当に簡単な、ページのほとんどが絵で、1文どころか1単語があるというぐらいの本を読むことから始めて、ジワジワと難易度(文章の量など)を上げていく。これまでの伝統的な学校英語教育とは違って、「わからない単語が出てきても調べない」、「わからないところは飛ばす」、「つまらないところは後回し」なんていう原則があります。
まずこれだけでプレッシャーから解放されますよね(笑)。ちょっとハードルが低くなって「僕にもできるかも……となるんです。これは沼津高専でもやってみました。沼津高専は工業系の学校ですから、理科とかはすごいのですが、英語はいまいちだったんですね。でも、わりと英語に振り向かせることはできたと思っています。教えていた学生からも「多読を続けています」とメールをもらったりしますよ。

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こんなにあります多読図書

いま本当に日本で広まっています。英語力、英語の成績、年齢に関係なく、誰にでも始められるので、ぜひいろいろな人に多読、やってみていただきたいですね。
まず始める第一歩ですか? そうですねえ……家の近所にある大型書店の洋書コーナーで、お店の方に相談して多読の本を選んでください。深いことを考えず「挿絵がかわいいから」とかでいいです。それで読み始めるところから始めていただければいいと思います。ただ、薄い本でも700円とか800円しますから、そのシリーズを何十冊と読むのは大変ですよね。ですから、最近は多読本を置いてある図書館もあります。

その情報はインターネットや、私の本でもちょっと書いてあります(笑)。あ、これは拙著というわけではなく、せっかくですから多読に関して書かれている本などを読んで、より効果的な、望ましいやり方をつかんでいただき、リズムに乗って読み進めたら、英語の本を読むのが楽しくてしょうがなくなります(断言)。信じられないでしょうけどね(笑)。
ちなみに私の塾にも本は揃っていますよ。1回の授業が2500円で読み放題ですから多読本を買うよりも……ハハハ。

まあなによりも、みなさんと英語で楽しみながら多読法がより広まってくれれば嬉しい……あ、それと私、外国人アーティストがテレビに出ると、アーティストと司会者の間に通訳さんがいますよね。昔から『夜のヒットスタジオ』などで見るたびに、あの通訳になりたくて(笑)。これはいまでも捨て切れません。いつかそんな通訳をやれたら嬉しい。うん、夢ですね(ニッコリ)。











読み物 BigUp   記:  2010 / 07 / 05

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