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vol.22 南雲 明彦

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【プロフィール】
1984年新潟県生まれ。
21歳になるまで、
「理解力はある程度あるが、読み書きがうまくできない」という困難に苦しみ、 引きこもりや自傷行為、脅迫性障害による入退院を繰り返す。
自身がLD(学習障害)のディスクレシア(読字障害)
であることを知り、 ようやく苦しみから解放される。
「LDは自分の中の宝物」と断言し、
年間100回の講演や執筆等、啓発活動に尽力中。

関連書籍に、
『僕は、字が読めない。 読字障害(ディスレクシア)と戦いつづけた
南雲明彦の24年』
(集英社・小菅宏著)
『私たち、発達障害と生きてます―出会い、そして再生へ』
(ぶどう社・共著)
『泣いて、笑って、母でよかった』(WAVE出版・小菅宏著)

南雲明彦ブログ
http://ameblo.jp/nagumo-akihiko/



みなさんは「ディスレクシア(Dyslexia)」という名の障害のことをご存知だろうか。
ディスレクシアとは、学習障害の中でも「読み書きに困難を伴う障害」のことをいう。アメリカなどでは人口の約1割もの人がこの障害を持っており、研究も進められているそうだが、日本ではまだまだ事例が少なく、あまり認知されていないのが現状だ。
南雲明彦さんは、このディスレクシアという障害によって、幼少の頃からずっと人生を揺さぶられてきた。


【小学校四年のときに自分は周りと違うと気づいた】

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取材でお会いした南雲さんは、とても澄んだ美しい目をしている、知的な好青年だ。しかし、その目に映る文字は、ゆらいだり、反転したり、かすんだりしているのだという。
目が見えているのに、「文字が読めない、書けない」というのは、目でとらえた情報を脳がうまく処理できないから。この状況は、同じ障害を持っている人以外には、なかなか想像がつきにくい。
南雲さん自身も、それがディスレクシアのせいであるとわかったのは、なんと21歳になってからだったという。それまでは、「なぜ?」という自問自答のくり返し。特に、少年から大人へと向かう成長期における葛藤は、想像を超えるものがあった。

自分は何かが周りと違うと気づいたのは、小学校四年生のときだった。
「黒板をノートに書き写そうとしても文字がはみだしてしまったり、"偏"と"つくり"を逆さまに書いてしまったり、漢字を読み飛ばしてしまったり......。三年生までは、教科書の文字は大きいし、漢字も少なかったのでなんとかなっていましたが、高学年になるにつれて、文字が小さくなり漢字も増えていくので、学習がつらくなっていきました」
大きく書かれたひらがなやカタカナであれば、なんとか識別できる。しかし、小さな漢字となると、ディスレクシアの人にとっては、読み取るのが極めて困難なのだ。

そこで、南雲さんは、学習方法を切り替えた。授業中、黒板を書き写すことをやめて、「目」と「耳」に集中して、勉強を理解するようにした。帰宅後は、母親に勉強してきたことを話すことで復習したり、教科書を読み上げてもらったりした。自分で読むことが難儀なので、誰かに読み上げてもらったほうが、はるかに理解が早いからだ。
「なんとかこの学習方法で、中学までは勉強についていくことができました。むしろ成績はいいほうで、高校も地元の進学校にも入学できました。受験にあたっては、過去の問題集をやって、どんなマスで出てくるのかを把握し、答案用紙のマスの中に文字を埋める訓練を徹底的にやったのです」

【不登校、自傷、自殺未遂と精神的に追い詰められた高校時代】

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高校に入った途端、授業のスピードが格段に早くなっていき、とても耳で聞くだけでは処理しきれず、周りに追いつけなくなっていった。
二年生になると、クラス全体が受験モードに。それまでは、ノートをコピーさせてくれたり、読み上げをやってくれたりしていた友達も、自分のことで精いっぱいなので協力してもらえなくなり、南雲さんはどんどん精神的に追いつめられていった。
「これはまずいと思って、あるとき先生に文字が読めないことを相談したんです。すると、『眼科に行って来い』というので、行きました。でも、行ってもなにも変わらないんですよね。そのころは、眼科もディスクレシアのことも知りませんし......」
障害であることがわからなかった高校の先生は、読んだり書いたりできることが前提で「いいからやれ」と話してくる。それがちゃんとできないと、「努力が足りない」と何度も叱られたそうだ。

そして、南雲さんは高校二年生のときに、ついに登校拒否になる。
「行きたくないというのではなく、行けなくなったんですね。最初は、教室に入るときに扉が重く感じるようになりました。その一週間後には、校門の前に立つと、動悸やめまいが起こるようになり、一カ月後からは家から出られなくなってしまったんです」
うつ症状を呈し、「こんな自分は駄目だ」と思って、何度もタバコの火を腕に押しつけた。いわゆる自傷行為が始まり、二度精神病院に入院した。その病院からの帰り道には、自殺未遂にも及んだ。母親の運転する車から飛びおりたのだが、運よく後続車が急ブレーキをかけてくれたので、命拾いしたという。

高校は全日制から定時性に変えたりもしたが、対人恐怖症で電車にも乗れなかったので、再び不登校に。そして、今度は通信制高校に通い始めたものの、とても勉強ができるような精神状態ではなかった。結局、ネットで授業が受けられる通信制の高校に出会うまで、4回高校を変わり、なんとか20歳のときに高校を卒業した。

その後も南雲さんの苦難は続いた。現代は、どうしても読み書きできるのが前提の社会だからだ。
「学校にいるうちはまだよかったのですが、働くとなると不安が大きすぎました。ホテルの仕事や英会話スクールの営業の仕事に就いたのですが、まずマニュアル本の読み合わせができません。そして、研修のときには、周りがノートをとっている中で、私だけ携帯でメモをとらないといけませんでした。そういう画面の文字は、比較的私にとっては読みやすいからです。とはいえ、周りから見れば、まるで携帯で遊んでいるように見えたのでしょう。やる気がないと上司に思われて、どちらもひと月でクビになりました」

【ディスクレシアと判明し人生が明るく好転】

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仕事をするのは無理だと観念したが、社会との繋がりをどうしても保たないといけないと強く思ったそうだ。そして、ボランティアに自分を活かせる場所を見つけようと思い当たった。
「あるとき六本木にあるNPO団体を訪ねてみたのです。そこは、廃校となった小学校の建物に、25〜26のNPO団体が入っていました。その中に、ディスクレシアの啓発活動をしているという団体があり、部屋に入るとトム・クルーズの写真が貼ってありました。一体何をやっているのだろうと興味をひかれ、尋ねてみると、読み書きに障害を持つ人の支援とのこと。さらに、『読み書きの障害とは?』と聞くと、文字がにじんで見えたり、逆転してみえたりする障害だというのです。それを聞いたとき、衝撃が走りましたね。ディスクレシア......それって、まさに僕のことだったからです」
これまで悩み続けてきたことに名前がついて、南雲さんは心からホッとしたという。まさに、暗雲が消え去り、太陽の光が降り注いできたような瞬間だったのだろう。学習障害である以上、読めないのは仕方ないと自分を割り切れるようになったそうだ。そして、トム・クルーズを始め、欧米では有名人の中にもディスクレシアの人は大勢いて、堂々と公表しているということも南雲さんを勇気づけた。

そのNPO団体に出会ったことは偶然だったが、それがきっかけとなって、南雲さんの人生は大きく好転していった。
「NPOの代表は、啓発活動をしていると言っていましたが、『ディスクレシアのことを知っている人なんて、ほとんどいないじゃん』と感じたのです。だったら、自分がもっと広めていくべきだと思いました。実際にディスクレシアである自分にしか語れないストーリーがあるっていうのは強いですからね」
とはいえ、何をしたらいいのかわからず、とりあえず様々な講演会に参加して、発達障害とは何なのかということを知ることから始めた。すると、ある講演会でディスクレシア当事者として話してほしいと依頼を受け、そこから啓発活動をスタートすることができたのだ。
「現在は週の半分は、講演を行なっています。平日は小学生から高校生まで学生向けに講演をし、週末は教育関係者や一般人向けに講演をすることが多いですね。それ以外の日は、母校であるアットマーク国際高校で学習支援室助手として働いています。何度も高校を変わった末、この高校に救われた部分が大きかったので......」

そうした講演活動以外にも、南雲さんは、雑誌媒体に出てディスクレシアを広めようと考えた。そして、ある出版社に話をもちかけたところ、「雑誌は流れが早いから、本のほうかいいのではないか」と言われ、ある作家を紹介してくれたそうだ。それが形となったのが、小菅宏氏著の『僕は、字が読めない〜。読字障害(ディスクレシア)と戦いつづけた南雲明彦の24年〜』(集英社)と『私たち、発達障害と生きてます〜出会い、そして再生へ〜』(ぶどう社)の2冊である。

「ディスクレシアを広く知ってもらうことで、自分が生きやすくなると同時に、ほかの障害者の人たちも社会の中で不当な扱いを受けなくなり、生きやすくなれば」という南雲さん。以前に比べれば、多少この障害は認知されるようになってきているものの、まだまだサポート体制が整うまでには至っていない。そのために、これからも南雲さんは啓蒙活動に尽力していくという。
「振り返れば、『こういうふうに道はできていたんだな』と感じています。今は肩ひじをはらずに陽気に生きていますね。とにかく、毎日が本当に楽しいんです」
輝くような笑顔で、南雲さんはそう語った。

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読み物 BigUp   記:  2011 / 01 / 01

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