VIVA ASOBIST

vol.40:山崎博子
『女性監督にカンパイ!』にカンパイ!

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【プロフィール】
1951年 大阪に生まれ。映画監督。
◆1989年
「ジャクスタ」でロサンジェルス女性映画祭最優秀短編映画賞(リリアン・ギッシュ賞)を受賞。
◆1991年
「ぼくらの七日間戦争2」の監督・脚本を担当。

日本映画監督協会では、女性として初の理事を務める。
ジャクスタ・ピクチャーズ

5月17日上映
女性監督にカンパイ!

今でこそ、女性の映画監督が増えてきたが、以前は完全に男性中心だった映画界。そんな時代に、映画を作りたい一心で海外に飛び出した人がいる。山崎博子さんだ。80年の映画留学をはじめに、角川春樹監督「天と地と」や蔵原惟繕監督「ストロベリーロード」のロケスタッフとして活躍し、1991年に「ぼくらの七日間戦争2」の監督・脚本を務めた。

市川雷蔵が好き。早熟な映画マニア?

vol.40_01.jpg 映画との出会いは、物心が付いた頃。当時は、GHQが撤退して、日本映画が日本映画として表現を始めた頃。テレビはなく、家族と毎週のように行く映画を楽しみにしていた。小学生になると、小遣いをためては映画館通いをしていたという。早熟な映画マニアだ。
「市川雷蔵とかが好きで」と懐かしそうに笑う山崎さん。娯楽がほかに少ない時代でもあり、どっぷりと映画にはまってしまう。高校の時には映画同好会に入り、電車で映画館に通い詰め。テレビが家庭に来てからは毎日、映画を見ていた。高校から大学に進学する間には、唐十郎の状況劇場による紅テントを見て衝撃を受けた。

当時は、映画作りの現場は男性だけの世界だった時代。お芝居なら行けそうだと感じた山崎さんは、大学で演劇部に入ることに。演出などの裏方を担いつつも、シナリオも手がける。
「中学時代に来たビートルズを元にしたファンタジーみたいなシナリオを書いたりもしていました」

しかし、大学卒業のころになっても状況は変わらない。就職先を探して映画の撮影所に行ったが、女性は監督になれないという答えが返ってきた。そこで、広告代理店に入社した。社長が「いずれうちも映画を作る」と言っていたからだ。そこで、コピーライトから制作、ディレクションに携わり、経験を積む。

留学・チャンスは「米」にあり!

2年弱働いたが、会社には映画を作る雰囲気がない。そこで、アメリカに留学しようと決心する。あまりにも潔い決断だが、70年代には、アメリカやヨーロッパで女性の監督が登場しはじめたころ。いつかは外国に行きたいと、20歳くらいからYMCAに通って英語を勉強していた山崎さんにとっては、現実的な選択肢の1つだったのだ。

当時はインターネットも留学ジャーナルもなかったので、アメリカンセンターで資料を調べたりして、自分で手続きを行う。そして、28歳、コロンビア大学の映画学科に留学する。
「いろんな映画を見て分析したり、歴史を学びました。実際に撮って、編集するのも面白かったです」と山崎さん。

2年ほど在籍したところ、一緒に勉強していた人から「映画をやるなら、やっぱりロサンゼルスに行かなければ」と言われ、UCLA(カリフォルニア大学ロサンジェルス校)の大学院に行くことになる。NYU(ニューヨーク大学)も受かっていたが、「知らない土地に行ってみようと思って」と好奇心と冒険心の固まりである山崎さんはロスに向かう。

UCLAでも、2年間で単位をほとんど取ってしまったが、卒業制作の作品を撮るためのお金がない。そこで、UCLAを休学し、アニメーションの会社で働いたり、日本から撮影に来る人たちのコーディネイトなどの仕事をした。2年間でお金を貯めて、卒業制作に復帰。短編映画「ジャクスタ」を作成し、見事卒業したのだ。そして、89年には「ジャクスタ」で、ロサンジェルス女性映画祭リリアン・ギッシュ賞を獲るというおまけも付いてきた。

通訳から監督へ。大転機点の3年間

vol.40_dvd1.jpg その後、角川映画が「天と地と」を作るため、英語と日本語を話し、映画の制作現場をわかる人という条件で学校に募集が来ていた。もちろん、チャレンジャブルな山崎さんらしく、電光石火で動く。日本に帰ったときに角川事務所に連絡したら即面接。撮影現場のカルガリー(カナダ)に向かうことに。

助監督の通訳を希望したものの、最初は断られてしまう。まだまだ映画界は男性だけの社会だったのだ。まずは美術部に回されたが、後に依頼があり、希望していた助監督の通訳に就くことができた。日本とカナダの演出部間の通訳をする仕事だ。たくさんの助監督とコミュニケーションを取る、難しいが充実した日々が続く。何か変わったことがあったか聞いたところ
「自分で荷物を持たなくていいのは驚いた」と笑う。従来は大量の荷物を運んでいたのに、この現場ではシナリオ1冊だけ持っていればいいというのにびっくりしたそうだ。本来、女性がいない環境に突撃しているため、山ほどの苦労があったはずなのに、まったく気にしていないようだ。それどころか
「日本の映画界とは初めて会ったのですが、とても皆さんいい人でした」と振り返る山崎さん。この人たちと出会うことで「ひょっとしたら、日本でも女性が映画界に入れる余地があるかも」と考え始めたそうだ。

続いて、翌年90年には「ストロベリーロード」の撮影に入る。「ストロベリーロード」は、「南極物語」(83年)や「海へ See you」(1988) の蔵原惟繕が監督を務め、カリフォルニアを舞台にする石川好原作の映画化作品。山崎さんは、当然助監督を希望するが、当然のように却下。「天と地と」での経験を買われていたため、監督付の通訳を担当することになる。

助監督として扱ってはもらってはいたが、肩書きは助監督ではなかったのだ。90年代なのに?と驚いたが、「時代がそうだった」と山崎さん。
「今では、角川さんも蔵原さんも人に紹介する時は、助監督と言ってくれるので、報われた感じがあります」との言葉に、留学を皮切りとする挑戦と克服の11年間が感じられた。

vol.40_dvd2.jpg そして、同じく90年に「ぼくらの七日間戦争2」の脚本、監督の話が来る。「天と地と」の仕事ぶりをみて、角川春樹監督が、女性でもできると感じたらしい。
「角川さんは、私のことを生意気だと感じていたと思いますが」と山崎さんは笑う。ところが、長年海外に住んでいるため、日本の状況がまったくわからない。まずは助監督でキャリアを積もうと考えていたこともあり、最初は断ったという。しかし、
「角川さんが失敗しても大丈夫だから、思いっきりやれと言ってくれました」
さらに、「天と地と」のスタッフがついてくれることになり、気心の知れたスタッフとならできると決断する。

90年の秋にシナリオの作成をはじめ、たった10ヶ月後の91年7月に公開という突貫スケジュール。初めての日本語脚本でもあるのに、見事に公開にこぎ着けた。まさに怒濤の仕事ぶり。山崎さんは「怖いもの知らずだったのでしょう」と笑う。


ドキュメンタリーへ。そして再び劇映画へ

vol.40_03.jpg その後は、11年ぶりに住居を日本へ移して活動を始める。91年と言えば、バブル末期の頃。社会は80年の頃とは比べものにならないくらい豊かになっている。みんながブランドもので身を固めているのを見て、違和感を持ったそうだ。翌92年には、女性では初となる日本映画監督協会の理事を務める。ボランティアで参加する委員会などで忙しくしていたが、合間を見てドキュメンタリー映画を撮り続ける。98年にはメキシコ山岳地帯に井戸を作る「タラウマラの村々にて」の制作に着手、01年に完成させている。
それまでの劇映画からドキュメンタリーにシフトしたのは、ソニーから発売された「VX1000」がきっかけとなっている。「VX1000」は、高画質な3CCDを採用し、1.6kgと1人で持てる最初のデジタルビデオカメラレコーダー。デジタルハンディカムと呼ばれ、プロから愛された名機だ。このカメラにより、ペンで物語を語るように、手持ちのカメラで映像表現ができるようになったという。劇映画では50人100人という規模で動くことになるが、ドキュメンタリーなら予算が少なくて済み、究極は1人でも作ることができる。そのフットワークの軽さが、山崎さんを惹きつけた。 その後、東京国際女性映画祭から依頼があり、世界の女性監督が来日する度にインタビューしていた。女性監督ならではの苦労や経験をしており、自分だけじゃないんだ、と感じたそうだ。そして東京国際女性映画祭の20周年ということで、12人のインタビューをまとめた「女性監督にカンパイ!」を作った。
「仕事と家庭との両立を目指す女性にとって、いろいろな意味で共感し、元気になる映画」になっていると胸を張る。5月17日には「女性と仕事の未来館」にて「女性監督にカンパイ!」を上演。続けて全国を回って上映する。

vol.40_04.jpg 今後は、再び劇映画にシフトする予定だ。
「ドキュメンタリーで得た経験を活かせたらなと思います」と静かに、上品に笑う山崎さん。心の内は、映画に対する深い愛情と比類のないチャレンジ精神で溢れている。

いち早く日本を飛び出し、女性監督の先駆者を務め、今もって走り続ける。小さい頃の夢を実現させ、今もやりたいことを追い求める生粋の"あそびすと"。スクリーンで出会うのが待ち遠しい。

vol.40_05.jpg 第20回東京国際女性映画祭記念作品
第10回ソウル国際女性映画祭招待作品

女性監督にカンパイ!
http://www.miraikan.go.jp/event/175.html

監督 山崎博子
配給 ジャクスタピクチャーズ
配給協力 ソルベーグ 03-3452-6052











読み物 VIVA ASOBIST   記:  2008 / 05 / 01

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