VIVA ASOBIST

Vol.73 竹内洋岳
――登山論に道具論も! 8000m峰を登り尽くした男、かく語りき

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【プロフィール】
竹内洋岳
1971年生まれ。東京都出身。
祖父の手ほどきで幼少期よりスキーや登山を始め、高校時代から山岳部に所属。立正大学在学中の1995年、標高8463mのマカルーに登頂。以後、次々と8000m以上の山々に向かう。07年、ガッシャーブルム2峰登頂中に雪崩に巻き込まれ、再起が危ぶまれる大けがに見舞われるも奇跡的に復帰、12年5月のダウラギリ登頂で日本人初の8000m峰14座完全登頂を成し遂げた。

塩野米松氏の聞き書きによる『初代竹内洋岳に聞く 』は名著。
※『初代竹内洋岳に聞く』の読書録はこちら

 

日本で唯一、という方にご登場いただこう。
世界に聳える8000m以上の山々は14。その14座すべてを登頂したのは世界で29人しかいない。
そんな29人中、日本人はただひとり。
それが登山家・竹内洋岳。
世界に名だたるクライマー、
しかしその実、大学教授のような佇まいから飄々と語られる登山論に道具論……
その示唆に富んだ話の数々は決して山での話だけに留まらない、さあ読んでくれ!



takeuchi03.jpg竹内●……(編集部にある雪山のカレンダーを眺める)
――竹内さん!
竹内●はいっ!……あ、すみません。つい見てしまいましたが、このダウラギリ(8167m)、1960年に初登頂された際、スイス・オーストリア隊が荷揚げに使用した「イエティ号」という飛行機が落っこちている場所が途中にあるのですね。
――え、そんなところがあるのですか?
竹内●ええ。私はその飛行機の写真を中学校だか高校だかのときに見まして、それが非常に印象に残りましてね。ヒマラヤの山奥に飛行機が落ちていて、それが風雨で朽ち果てつつある写真でした。
――それはなんとも幻想的というか、夢を感じる写真ですね。
竹内●なのでいつかそれを見てみたいと思っていましてね、ダウラギリに登った後、ヘリコプターで降りたほうがいいというなか、あえて歩いて帰りまして。
――それはまさか……(笑)。
竹内●相当な遠回りをしたのですけれど、見つけました(ニッコリ)。そのときはもう朽ち果ててしまって飛行機の形というよりはジェラルミンの固まりでしたけどね。5月だったので雪に埋もれることもなく、たまたま形を見せてくれました。アレはですね、ダウラギリに登るよりもよほど嬉しかったですよ。
――日本人初の“8000m峰14座”登頂より嬉しい(笑)。
竹内●ハハハ。
――イエティ……また“雪男”という名前も素晴らしいですが、その写真を見たことが竹内さんを山に近づけたのですかね。
竹内●いや、残念ながらそうではないですね。山を本格的に始める以前に見た写真ですから、山登りに向かったと言うよりも宝探し的な興味ですよね。
――ダウラギリの帰りにその宝を見つけてしまったわけですね。
竹内●ハハハ、そうですね。(机の上に『初代竹内洋岳に聞く』を見つけて)……あ、ありがとうございます(笑)。
――はい、いまページを繰る手が止まらない勢いで読んでおります! 実はもう最初のほうから泣けちゃって……(照)。
竹内●ありがとうございます。この本はとてもいい時期に塩野米松さんに話を聞いていただけたのですね。もしあのタイミングで塩野さんに出会っていなかったら、たとえばもう少し早かったら、私はまだ喋れなかったと思いますから。
――07年にガッシャーブルム2(8035m)で雪崩に遭い、パートナーもおふたり亡くなった……。
竹内●さらに言えば、仮にいま塩野さんとお話ししてできた本だったら、整理整頓が成されてキレイな内容にしかならなかったでしょうね。また塩野さんも「話してもいいかな」と感じさせる方でしたからね。
――ぜひ今回のインタビュー、『読書録』と進んでみなさんご一読を。
竹内●お願いいたします(笑)。

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日本人として初の“14座”完全登頂となったダウラギリ
「道具が好き」――竹内式道具考

――『初代竹内洋岳に聞く』にもありますが、竹内さんは「道具が好き」とおっしゃっていますよね。
竹内●それはですね……男は意外とね、道具好きなんですよ(笑)。道具を使う、たとえば釣りであり、工具を使って作るプラモデルであるとか。
――あ、なんかわかる気がします。
竹内●登山でもですね、「道具を使う登山」と「道具をあまり使わない登山」があるんです。それで私はやっぱり道具を使う登山が好きなんです。“工夫”のしがいがある、といいますかね。
――工夫、ですか。
竹内●道具を使うというのは、より人間的であるんです。動物が道具を使うと、よく話題になりますよね。カラスが卵に向かって石を落っことすであるとか、オランウータンが棒を使ってアリを食べるとか。そういう様子を見ると驚くというのは、道具というものが人間特有の行為だと捉えられているからですよね。
――「人間がしているように道具を使って便利に暮らしている、すごいなオランウータン!」なんて感じるわけですね。
竹内●そういう意味で「道具を使う」という行為がとても人間らしいと思うのですね。中でも特に山登りというのは、道具が持つ力がとても大きい。道具がないと登れないところにそれを持ち込むことで、自らの能力を高めて登っていく。高所登山なんかだと、たとえば脚にアイゼンを履いて、そして手にはアックスを持って“ツメを生やす”。
――たしかにツメが生えたようですね(笑)。
竹内●私は“ガンダム世代”ながらガンダム見たことないのですが(笑)、自分の身体を細胞化、ロボット化させるようなことがおもしろい、と言いますか。自転車に乗るのと似ていると思いますね。これ、車だとちょっと違ってきまして、車もおもしろいですけれども操縦する感覚が大きくなるのですが、自転車だと機械と一体化しているように感じることができます。脚にアイゼン、手にアックス、身体にはハーネスなど、いろいろな道具を付けて付け替えてしていって登るというのは、これも道具と人間が一体化していますよね。環境に合わせて道具を付け替えてまた自分の能力を高めていく、それってちょっとワクワクするんですよね。
――道具というのは、使う人が使いこなせて初めて役に立つものですよね。たとえば私が竹内さんと同じアックスを持っても、スイスイ氷壁を登れるわけじゃありません(笑)。
竹内●ハハハ。それはそうですね。
――土台、必要すらなかったりするわけでして、そんな自分が悲しく感じることもあります(笑)。
竹内●道具というのは“想像力”が形になったものですよね。たとえば登山でしたら「ここを登るために、こういう道具があったら……」と形や用途などを考えて、形になったものが道具となります。それがとてもおもしろい。
――そのしてらっしゃる時計なんかも想像力からの産物ですよね。
竹内●そうです。これは私、竹内モデルですね。
――私が日本で竹内モデルを知ったときはもう売ってなかったので、シンガポールでひとつ前の型を買いました(笑)。残念……・。
竹内●ハハハ、それでもありがとうございます(笑)。
――で、やっぱり私はこの時計を使いこなすだけ山に登れているのだろうか……とか思っちゃったりしまして(笑)。
竹内●まあそこはあまりお気になさらずに。というのはですね、まあ、道具というのは自分の能力を高めるためのものですから、自分より高いところに位置してないといけないですからね。
――あっ、それはたしかにそうですね。
竹内●自分に必要かどうかではなくて、自分より高い能力であるかどうか。自分より高いものを身に着けることで、道具たりえるのですよ。ですから、道具はいいものを持ってください(ニッコリ)。
――なんか『ドラクエ』とかゲームみたいですね。
竹内●はいはい、そうですそうです。自分の能力を高めていくために、あの世界でも道具を持って、必要に応じて付け替えていくわけですよね。想像の産物という点では、ファンタジーの世界を想像して、さらにこれまた想像の産物である役に立つ道具を持ち込んだのがあのゲームの世界と言えるかもしれませんね。

かつての「大学山岳部」の位置付けをいま担う存在とは

――これは意外だったのですが、竹内さんは小学校のころから身体が弱く、それを慮ったおじいさまが山に連れて行ったりされたと拝見しました。
竹内●私、今でも身体は丈夫じゃないですよ(笑)。
――またまた、止めてくださいよ(笑)。
竹内●すぐに風邪を引いてしまいますしね。これは痩せすぎなのがあるのかもわかりませんが……お腹、胃腸が強いのは間違いないですが、あとはそんなに丈夫じゃないのですよ。
――私や一般的な“身体が強い”という言葉とは別問題かもしれませんね(笑)。まあそれにしましても、学校では目立たなくて運動もできなくて……という方が今や!と思っている同級生なんかもいるかもしれません。
竹内●逆に運動ができないほうで目立ったいたかもしれませんね(笑)。運動はとにかく嫌いでしたから。
――スキーはそのころからとてもお上手なんですよね。
竹内●まあ嗜む程度ですよ。ハハハ。
――スキーをやるお仲間からは「お、竹内うまいな」と一目を置かれていても、学校に来ると運動が苦手……というなんかギャップみたいなものってありませんでしたか。
竹内●いやー、その辺はあまり興味がないというか、記憶も薄いんですよ。学校は学校、普段は普段でしたからね。すみません(笑)。まあでも高校くらいまでは、たとえば山に登れるとか、スキーが滑れるということがあまりいろいろな評価にはなりませんでしたよね。
――では一気に大学時代となりますが、大学と高校では山岳部に所属されたんですよね。
竹内●そうですね。高校ではなんとなく入っちゃったのですが、大学では最初から山岳部に入ろうと決めていました。
――それはやっぱり高校の時に山岳部に入ったことで、もう一丁やってやるかと大学に進んだわけですかね。
竹内●うーんそうですねえ、それはそうではありますが……高校の山岳部は女の子のほうが多くてハイキングクラブみたいなものでしたからね。高校の山岳部を経験したから大学でも、というニュアンスではなく、大きかったのは顧問の先生の話なんですよ。
――顧問の先生?
竹内●その先生は都立大学の山岳部のOBでして、現役時代の話をしてくれたんです。そこで私をいちばん惹きつけたのは……。
――惹きつけたのは?
竹内●“岩登り”なんです。当時は長谷川恒雄さんも活躍されてましたし、私は岩登りをしてみたくて大学の山岳部に入ったようなものですね。そのときは大学でなにを学ぶかとかまったくなくて、また幼稚ですから大学にはどこでも山岳部があると思っていましたよ(笑)。それでたまたま入った立正大学にたまたま山岳部があって入った、そんな感じですね。
――たまたまでも山岳部があってよかったです。万一のときはそれこそ“14座”もなかったかも……。
竹内●ハハハ。そうそう、山を登る人はよくそのきっかけで植村直己さんのお名前を挙げられますが、私は植村さんよりも長谷川さんなんですね。そして長谷川さんを知った理由は高校の山岳部の先生だった、ということなんです。
――では大学での山岳部生活なのですが……
竹内●まず当時の大学と山の関係背景なのですが、私が入ったころの山岳部というのは、まだいわゆる“昭和の大学山岳部”の名残が残っている時代でして、もともと大学山岳部の存在意義というのは、岩登りをする、雪山を登る……それらがすべてヒマラヤに登る練習であり、いつかは必ずヒマラヤに行くんだという考えが少し残っていました。さらに当時はワンダーフォーゲル部……これは“ワンダーフォーゲル”の名の通り、頂上を目指さずに山を含めたいろいろな場所を渡り歩くというのが“ワンゲル”の存在意義だとちゃんと分かれていたんですね。いまはそこが曖昧になっているのですが、当時はそこが棲み分けができていました。なので、私の場合は山岳部に入ることはあっても、ワンゲルに入る選択肢はありませんでしたよね。
――それで大学時代に岩に登り、雪山に登りとしながら、在学中に最初の8000m峰となるマカルー(8463m)に登頂されています。また、92年に大学山岳部としてシシャパンマ(8027m)に行っておられますが、このときは登頂隊には入っていないのですよね。
竹内●そうですね。シシャパンマは05年に登頂しました。
――しかし大学在学中に8000m峰に登頂とは……すごいですよね。
竹内●いや、たまたまですよ(アッサリ)。
――(絶句)たまたまって……。
竹内●大学も8年間在学していましたから(笑)。まあ、当時はまだ日本山岳会と大学が8000m峰に登山隊を出していた時代なんですよ。それが先ほども言った“昭和の大学山岳部”の名残があったということでして、私はたまたまその時代を共有したというだけなんです。今の時代ではそんなことはありませんよ。
――大学の山岳部も無くなってきているそうですしね。
竹内●そうですね。もう山岳部は時代の役割を終えたということでしょうか。昔は大学山岳部や日本山岳会が組織として登山隊を出す、組織として若手を育成するという役割があり、それを求めている若い登山家もいたと思うのですけれども、今は組織に頼らずとも山登りは始められますよね。ガイドさんに連れて行ってもらうこともできる。いまは組織よりも、優秀なガイドさんにちゃんと教えてもらったほうが、質の高い山教育を受けられる時代になっていますから。

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標高8021m、チョー・オユー
――私もガイドさんとの山行で今も登れているわけですしね。年齢的に順序立ててしっかり教えてもらえる余裕もないのでお任せしている感じです。
竹内●ガイドさんがいることで、本来ならば登れる可能性が低い人が登れるかもしれない……これは先ほどの話と同じで、ガイドさんを高い位置にある“道具”として利用させてもらって頂上に登っちゃう。また、まだあまりキャリアのない登山者が、ガイドさんという道具を使って自分の技術を高めたり能力を引き出す。このようにいろいろな役立て方があると思いますが、それは人それぞれに道具としてガイドさんが存在していると思えばいいのではないでしょうか。ガイドさんを使って成長していって、いずれは離れていってもいいわけですし。
――たしかに自分の能力を高めてくれるガイドさんは、重要な道具と考えられますね。
竹内●ただそこでガイドさんにも種類がありまして、“お客さん”に上達してもらっては困るガイドさんもいるわけですね(笑)。
――なるほど(笑)。
竹内●ずーっと自分の手元にいて、一緒に登ってくれたほうがいいお客さんだったりもするわけです。でもそれだけではなくて、若いガイドさんなんかは自分が若手でかつクライマーですから、自分のところに来た人はお客さんではなく“弟子”なんです。
――あ、そういう感覚わかります。
竹内●弟子にはやっぱり自分から手離れていってほしいですよね。もし自分が上達をしたいのだったら、そういったガイドさんのところに行って、彼らが持つ最先端の情報と技術で研鑽を積んだらいいと思います。それで自分だけで山に登れるようになれて、ときにはガイドになってしまってもいいと思います。そういうつもりで“弟子”系のガイドさんは育ててくれますから。
――厳しそうですけれどね。
竹内●それはそうでしょうね(笑)。で、そういうガイドさんが担っているのが、昔は日本山岳会や大学山岳部が、大規模で大きなお金を使って組織的にやってきたことなんです。だからこそ、今はそれらが徐々に役割を終えてきているわけですね。
――ガイドさんの能力やスキルが飛躍的に高まっていると言えるわけですね。
竹内●ですからまあ、昔の人たち……日本山岳会や大学山岳部にいた人たちは、彼らがやってきた組織的な登山がノスタルジーとして消えていくことに文句を言う人がいるかもしれませんね。たとえば昔、行きたくても行けなかった、大変な労力を使った山に、いまは大金でもお金を払えば行けるようになってしまった……というのは、いわばノスタルジーの否定ですよね。
――うん、それは人によってはそう捉えられるかもしれません。
竹内●ただそれは世の中や山に登ろうとしている人たちの思いが変化しているからであって、組織的な公募隊がノスタルジー派の受け皿になるとはしても、「お金を払えば登れるなんて!」と言ってはみても、お金を払ってもベースキャンプから頂上までの長さは変わらないんですよ(笑)。
――それはそうです(笑)。
竹内●当時、苦労した人がちょっとした勘違いをしているってことで、決して誰もが登れるようになったわけではないんですよ。「登るチャンスができた」というだけなんです。
――お金を払っても途中で敗退しなきゃいけないこともありますからね。残念ですけれど……。
竹内●そうです(笑)。ですから私は、お金を出そうがシェルパが付こうが酸素をいくら吸おうが、誰しもにチャンスが開かれて、どんな方法……自分の足さえ使ってさえいればひとりでも多くの人がエベレスト山頂からの景色を見たほうがいいと思います。
――おおっ。でもなに使ってもそれは無理かもしれません……。
竹内●元気を出してください(笑)。もちろん、ありとあらゆる手を含めて“できる人”ならば、にはなってしまいますけれどね。でも、私はどんな手を使ってでも、ひとりでも多くの人がエベレスト山頂からの景色を見てもらいたい。それは過去、その頂を目指しても行けなかった人たち……それはそれはたくさんおられますし、ひょっとしたら申し訳ないことなのかもしれない。でも、決してたどり着けなかった人を否定するのではなく、時代も条件も変わって誰しもに開かれている山なのですから、そのときにいちばんいい方法で我々は山に登ればいいのではないでしょうか。その方法を常に模索して、発展させていけばいいと思います。

組織登山と竹内式登山、経験と知識の違い

takeuchi02.jpg――組織登山のお話しをしますと、竹内さんご自身も最初は大勢で登る組織登山をされていたわけですが、たしか01年の……
竹内●ナンガですね。
――はい、ナンガ・パルバット(8125m)のときにそれまで大勢だったのが少数で登られるようになりました。そこで大勢で登るのと少数で登るのとの違いを感じられたと思うのですが。
竹内●はい。楽しかったですね。組織登山というのは全員が頂上に行けない場合があるんですね。それは自分が登頂できたとしても、あまり登頂した気がしないんですよ。あくまで“隊”が登頂して、組織が成功を収めた、と。ひとりひとりの成功じゃないような気がするんです。もちろんそういう組織としての登山なんですからそれを否定する気はありません。私だってそこに身を投じた人間ですし、感謝をしています。なによりおもしろいですよ、人が一杯いて登るというのは(笑)。
――多くの人がいれば楽しいことも気が紛れることも多いでしょうし。
竹内●なので組織登山は組織登山で悪いものではないんです。よく組織登山と私がやっているようなコンパクトな登山を比較して、私のほうが新しくて優れているというような見解も目にするのですが、それは全然ね、勘弁していただきたい。どちらを選び取るか、ということなんです。
――ワタシもアナタもどちらの登山スタイルですか、という違いですね。
竹内●たとえば95年のマカルーなんかは、組織登山でなかったらどうにも動きようがなかったでしょう。組織登山で登るべきルートだったんです。で、それでその後、私が仲間ふたりと三人で登るようになったのは、三人だけのほうが合理的なんです。雪崩とかの危険性があるところに大勢で乗り込んでいって何往復もするというのは、それだけで危険性が高まります。それだったら三人でパッと行ったほうが、確率的には危険を減らすことができる。どちらが合理的か、どちらがその登山に適しているかということを、試行錯誤の上で選び取るのが登山のおもしろみなんです。
――なるほどなるほど。
竹内●単純に組織登山のほうがいいとか悪いとか言っているほうがですね、登山の可能性を狭めることなんですよ。
――ただ、アルパインスタイルで無酸素登頂というほうがタフネスを要求されるのではないですか?
竹内●そう思われますけれどね、アルパインスタイルができるところではそう、ってだけなんですよ(笑)。ときどき勘違いをされるのですが、アルパインクライムができるルートというのは非常に限られるんです。要は頂上までの距離が短くないとできませんからね。長いルートが確保されているところもありますが、それはどうにも向いてないです。F1の車でオフロードを走る、またはその逆みたいなものです。このコースではどっちの車を選ぶか、これもまた選び取るという話ですよ。
――少数登山の話ですと、ダウラギリの下山のときに日が暮れてビバークされてますよね。……あんなのひとりだとなんか怖くないかな……って(笑)。
竹内●ああ、あんなものはねえ(笑)。どこにいるかは自分でもわかってましたからね。風も強かったですけれども、自分の場所さえわかれば、ええ。たとえば2年前のチョー・オユーのときは自分がどこにいるかわからなくなっちゃいましたから。それはちょっと参りますよね。まあ、ビバークしたというのはもう打つ手がないということではなくて、動いてもしょうがないから積極的にビバークしたりするわけです。したからって即絶望なんて話ではないですよ(笑)。
――経験に基づいてビバークという“道具”を選び取る、という感じでしょうか。
竹内●そうですね。あ、いま経験という言葉が出たのでお話ししますと……山はみんな違いますよね?
――はい?
竹内●たとえば、天狗岳は天狗岳でしかないですよね。
――はい。天狗岳で凍傷になったのは少し恥ずかしいですが(笑)。
竹内●でもその山というのは地球上にそこにしかないわけです。8000m峰14座にしても同じ山はありません。ですから前回の経験を持ち込んでもなんの役にも立たないんです。
――はい。
竹内●ですから前回の経験は必ず全部消去、デリートします。もちろん“知識”にはなります。それでも経験は積まない。積んでしまうとその分だけ考えなくなりますから、そこは想像をしなければならない。ですから私は登山は常にゼロからのスタートだと思いますし、可能ならばマイナスからスタートできたらもっとおもしろい。
――常に想像しながら向かっていく……。
竹内●私にとって経験というのは積むものではなくて、並べるもの。並べ広げていきたいと思いますよ。
――「以前はこうだったから、きっとこうなるだろう」なんて経験を活かしたいと思うのですが……。
竹内●「きっとこうなるだろう」の段階で、私にしてみれば危ない(笑)。たとえば「8000m峰が14座あります」というのは、人間が勝手に8000mという区切りをしただけであって、“8000m”という山があるわけではない。前回8000m峰を登っているという経験があるから今回も登れるのじゃないか、というのはよくある勘違いなんですよね、実際のところ。

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標高8047m、ブロード・ピーク。
このときから気象予報士・猪熊隆之さんとお天気タッグを組む(撮影・平出和也)
“プロフェッサー・タケウチ”が登る理由、そして再登場が!

takeuchi04.jpg――しかし……竹内さんとお話しをしていると、ガイドさんや日本山岳会、大学登山部のことなどもひっくるめた“道具”の話やその語り口調……登山家の方というより大学教授のようです(笑)。
竹内●ハハハ、そうですかね。それって前も誰かに言われたような気がします。
――痩身で髪型もなんかそんな雰囲気でして……。
竹内●あ、これは髪がボサボサなだけですよ(笑)。
――そんな大学教授のような登山家、竹内さんには男のお子さんがいらっしゃいますが、お子さんが「山に登る!」と言われたらどうしますか。
竹内●はいどうぞ、ですね。
――すぐに親子鷹が誕生してしまいました(笑)。
竹内●もちろん「登れ!」ということもしませんし、自分がそう思うのならばそうしたらいいと思います。自分の小さいころを思い返しても、やれと言われたことをやったこともないし、止めろと言われたことを止めたこともないですからね。ですから「登る!」と来たらはいどうぞ、ですね(ニッコリ)。
――ところで竹内さん……根元的な質問ですが、「なぜ山に登るのでしょう?」か。聞いたことのある質問ですみませんが(笑)。
竹内●おもしろいからですよ(即答)。
――「おもしろい」!
竹内●いやね、山になんか登りたくないという人の首に縄を掛けて山に連れて行ったとしたら、それってもう拷問ですよね。ですから「なぜ登るのか?」と問われれば「おもしろいから」に他なりませんね。
――でもときどき本当にシンドイ目にあって、もう二度と来ない!とか思っちゃうんですよ。
竹内●私もしょっちゅう思います。けどまた来ちゃうんですよ。
――おっしゃるとおりです(笑)。
竹内●それはもうおもしろいし、好きだからなんですよ。でも実はそれって特別なことではなくて、なんでもそうですよね。「なぜ山に登るのですか」という質問も、聞かれなくなったときがちゃんと山登りが世の中に浸透したときってことになるでしょうね。
――はい。
竹内●たとえばその質問をマラソンの選手にするのか、ボクサーにするのか。「なぜ人を殴るんですか?」なんて質問はしませんよね。答える選手もいるかもしれませんけれど、そもそもそんな質問はしないでしょう。それと同じように、山登りというのもスポーツとして洗練されたときに「なぜ山に登るんですか?」なんて質問は出なくなるはずですよ。
――すみません、恥ずかしい質問をしてしまいましたね……。
竹内●いやいや、ですからこれ以後その質問はもうされませんよね。そこから山登りをするでも見るでも楽しむ人が増えて、洗練されていく第一歩になるんですよ。
――最後の最後までプロフェッサーのようなご回答をいただきました。ありがとうございました。
竹内●はい、珍しい話ができておもしろかったですよ(ニッコリ)。
――猪熊隆之さんにお話をうかがってから、いつか竹内さんにもご登場いただければと思っておりましたしね。
竹内●そうそう、猪熊さんですよね。猪熊さんとの話はあまりしなかったですし……
――なんなら対談でもお願いしましょうかね(思いつき)。
竹内●あ、かまいませんよ。ぜひやりましょう。
――え! では竹内さん、近いうちにまたご登場いただけますか。
竹内●はい、どうぞよろしくお願いいたします。
――ありがとうございます。みなさんお楽しみに!



構成・松本伸也(asobist編集部)
 











読み物 VIVA ASOBIST   記:  2013 / 02 / 18

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