VIVA ASOBIST

Vol.76 平山ユージ&野口啓代
――世界に誇る男女、愛するクライミング界の未来を大いに語る

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【プロフィール】
平山ユージ(写真上)
1969年東京都生まれ。
プロ・フリークライマー
15歳から始めたクライミングでメキメキと頭角を現し、クライミングにおける日本屈指の難ルートを次々に制覇。アメリカでのトレーニングなどを経て、19歳からは本場ヨーロッパのフランスを拠点にさまざまなクライミング大会に出場。98年には日本人として初のワールドカップ総合優勝を果たす(2000年に再度戴冠)。
そのクライミングは芸術の域であり、世界一美しいと評されるクライミングスタイルで「世界のヒラヤマ」として知られ、現在も世界的に活躍中。現在は秩父を望む埼玉県に在住し、2010年に長年の夢でもあったクライミングジム『BASE CAMP』を設立。

単独インタビューに続いて2度目の登場。そのときの模様はこちら

平山ユージ公式ブログ:http://ameblo.jp/stonerider/
Climb Park Base Camp公式ブログ:http://ameblo.jp/b-camp/


野口啓代(のぐち・あきよ 写真下)
1989年茨城県生まれ。
プロ・フリークライマー
2000年、家族旅行で訪れたグアム島のゲームセンターにあったクライミングウォールに登った体験からクライミングに興味を持ち、わずか11歳にしてジム通いを始める。「メキメキ頭角を現す」という言葉では足りないほどメキメキと頭角を現し、小学校6年生にして全日本ユースチャンピオンに。高校1年生となった05年にはドイツ世界選手権のリード部門で3位に入賞し、日本人女性初の表彰台に立った。その後もワールドカップ年間チャンピオン(08、09年)など「素晴らしい活躍を続ける」という言葉では足りないほどの素晴らしい活躍を続けている、世界に誇る女性クライマー。
12年からは平山氏と同じマネジメント会社に所属、テレビにCMにと活躍の幅を広げている。

野口啓代公式ホームページ:http://akiyonoguchi.com/


 

 

最近テレビやCMで「壁に登る美女」、見たことあるでしょ?
それはきっと世界に誇る女性クライマー・野口啓代、その人。
そして彼女の所属事務所の先輩は……出ました、世界に誇る男性クライマー・平山ユージ!
せっかくだから対談しちゃいました、出会いにこれからのクライミング界まで……。
ヨソでは出せない内容だと自負しているぞ、さあ読んでくれ!



“早熟のクライマー”が“もっと早熟のクライマー”を連れてきた!

――前回の竹内洋岳さん&猪熊隆之さんに続きまして、今回も大物同士の対談をお届けしましょう。まずは2年半ぶり二度目のご登場、平山ユージさんです。
平山●こんにちは、お久しぶりです(ニッコリ)。
――そして初登場となりますのは、いまやCMやテレビでもおなじみの野口啓代さんです。
野口▲よろしくお願いいたします(ニッコリ)。

viva76_05.jpgviva76_01.jpg――平山さんのクライミングジムである『BACE CAMP』にてお話をうかがいますが……さて、平山さんも高校時代から岩登りを始めている“早熟のクライマー”と呼ばれましたが、もっともっと早熟という人が現れてしまいました。
平山●そうですよそうですよ! ここにいるわけです!!
野口▲(ニコニコ)
平山●啓代ちゃんを最初に見たのは中学生のときかな? お姉ちゃんと一緒に大会に出ていて……
野口▲あ、すみません。妹ですよ(笑)。
平山●ああ、妹かあ。そうそう、妹さんだねえ(ニコニコ)。
野口▲小学校5年生からクライミングを始めまして、そのときや中学校時代から「The North Face Cup」という大会があり、それに毎年出ていました。The North Face Cup は平山さんが主催というか、メインでやってらっしゃるので、そのときに何度かお会いしているんです。
――小学6年生のときですかね、「全日本ユース選手権」で中学生や高校生を差し置いて優勝なさっているんですよね。
野口▲はい、そうですね。そのころから……と言いますか、私がクライミングを始めたころから平山さんは有名な、日本を代表するクライマーでしたので、お名前は存じていました。でも始めてお会いしたのはThe North Face Cup のときでしたね。
平山●うん、そうだね。大会を始めて最初のときに来ているはずだから……2002年かその次の年か……。
野口▲そうですね。私がクライミングを始めたのが2000年だったので、おそらく02年に初出場して、03年か04年に今度は一般女子のカテゴリーで初めて出て優勝したんですよ。
平山●そうそう、最初は“ミドル”のカテゴリーだったんだね。でもまあ……最初から印象に残る女の子だったからね、覚えています。
野口▲(ニッコリ)
平山●そんなにやる気があるようには見えないんだけど……。
野口▲そうですよね、全然やる気があるようには見えないです(笑)。
――そこに同意しますか(笑)。
平山●なんかフラッと出てきてね(笑)。「あれ? スゴイなあの子は……」って感じでした。
野口▲親に連れられてジムに行って、それで登って帰ってくる、そんな感じでしたね。よくわかってなかったんだと思います(笑)。
平山●親に連れられて……っていうのはその通りだったよね。あまり喜怒哀楽を感じさせずにササササッと登っちゃう(笑)。
――そんな野口さんの最初のクライミング体験はグアムとうかがいました。
野口▲はい、グアムですね。グアムに小学校5年生のときに家族旅行で行きまして、そこのゲームセンターにクライミングの壁があったんですよ。そこで始めてやってみて、おもしろさにハマってしまいました。
――才能というのはどこで開花するかわからないものですね、はい。
野口▲まだ小学校5年生ではありましたが、そのころ特に将来やりたいことというのはなかったんですね。ただ、私の実家は茨城で牧場をやっていまして、生まれたときから牧場育ちでした。その影響もあってか、物心が付いたときから家の木や屋根に登ったりはしていたんですね。
――やはり“登り”ではあったのですね(笑)。
野口▲けっこうやんちゃなことが好きだったので(笑)、グアムで壁に登った瞬間に庭にいるような感覚で楽しかったんですよ。
――それで「またやってみたい!」となった……。
野口▲はい。それで帰国後にクライミングジムに通い始めました。父親がとても協力的で、インターネットでジムを調べてくれて、小学生や中学生のときには毎回ジムまで送り迎えをしてくれました。そのときにプライベートな壁も建ててくれたんですよ。いまでもたまにワールドカップなどに応援も来てくれます。
――グアムでクライミングに出会ったわけですが、そのときはお父さんやご家族はクライミングというものをご存知だったんですか?
野口▲いや、誰も知らなかったです。もともと山登りとかアウトドアすらやっていなかった家庭でした。なので人工的なクライミングから入って、だんだん自然の山に行ったり岩場に行ったりするようなことになりました。なのでグアムの壁は本当に運命的な出会いでしたね(ニッコリ)。

viva76_11.jpg平山●それも時代だねえ……(ニコニコ)。自分のときにはそういう出会いの方法はなかったと思う。自分は筑波山に行ったのがきっかけだったけれど、山から岩登りに興味を持った感じでしたから。
――平山さんはそれで道具屋のおじさんに勧められたのですよね。
平山●そうそう、そうでしたそうでした(笑)。
野口▲いまはまた時代が変わった気がしますね。平山さんとか私のときは……
平山●僕と啓代ちゃんでも全然違うんですよ、いま言ったとおりで(笑)。
野口▲はい、それでも同じように入り口がすごく狭かったですが、いまはクライミングジムも増えましたし、メディアにもよく取り上げられていますからね。
平山●そうだねえ……。CMにも出ているしねえ(ニッコリ)。
――先日は『世界まる見えテレビ特捜部』でも拝見しました。「すごい、(ビート)たけしと一緒だっ」なんて言ってしまいましたよ(笑)。
野口▲あはは。googleのCM撮影はこのジムで行なったんですよ。
平山●うん。CMとかテレビにたくさん出たこととかで、多少なりともクライミングにとっていい時代が来てもらいたいね。
野口▲そうですね、はい。CMなどにしましても、少しでもクライミングを知るきっかけになってくれればと思いましたね。
――そのCMの中で「これからはドンドン外へも……」とおっしゃっていましたね。外岩にも行かれるのですか?
野口▲はい、ちょうど昨日なんですが、秩父の岩場に行ってきました。トレーニングの意味もありますけれども、なにより外は楽しいですし、昔より外の岩場に行きたいなというモチベーションが高まってきているんです。いまのひとつの楽しみですね。

viva76_04.jpg平山ユージ、それは「声も掛けられない存在」(by野口)

viva76_02.jpg――「お名前は存じていた」という小中学生の野口さんですが、当時の平山さんはどのような存在でしたか。
野口▲もう声も掛けられない存在でしたよ。
平山●いやいやいやいや(照)。
野口▲芸能人に会うような感覚に近いですよ。もう遠くから眺めているという……。
平山●いやいやいやいや(照)。
野口▲一方的には何度か声を掛けていただいていると思うのですけれど、緊張しちゃって「ハイっ」とかしか言えてなかったはずです(笑)。
平山●なんかおぼろげに覚えているのはね、ユースの子たち何人かで話に来たよねえ?
野口▲みんなで「サインもらいに行こう」みたいな感じだったと思います。
平山●まあ啓代ちゃんはそのときから強かったですからね、いまになっても印象にあるんですよ。
野口▲高校くらいにならないと話しかけられないというか、まともな会話はできなかったと思います。
――そんな野口さんでしたが、登り始めたころに憧れたようなクライマーさんはいらっしゃいますか。目の前に平山さんがおられる中での質問ですが(笑)。
平山●それはですね、オレの存在はなしにしてハッキリ答えたほうがいいよ(笑)。遠慮しないでね。
野口▲あはははは。でもですね、登りのスタイル的に「この人みたいになりたい!」というのはあまり考えたことがないのですよ。身長や体型もそれぞれ違いますし、たとえば平山さんだと男女差もありますよからね。なので、人というより自分の登りを極めていきたいな、という感じですかね。
――はい。
野口▲人に憧れるとしたら生き方とか考え方、性格……たとえば平山さんだったら「そこに平山ユージがいる」というだけでオーラがありますよね。そんな人になりたいなって思うことはあります。
平山●ヨイショはいいからね(ニッコリ)。
野口▲はい(笑)。いろいろな人のいいところをいただいていきたいな、と思っています。
――いまや存在感もありますし、外岩にも行かれるとなると、野口さんはドンドン平山さんと同じ道を行くことになりますね。
平山●いやあ、僕らのときは……登るという行為は“岩と自分”という感じで、その後に競技会に出たような流れです。啓代ちゃんとかはもうジムなんかが一般的なわけですから、フリークライミングのルーツを遡りながら知っていくのかなあと思いますね。
――はい。
平山●もともとの岩登り、フリークライミングの発祥というのは、いわゆる山登りのように道具類を使って登ることに対する「それでいいのか?」という疑問から来ているわけです。“素手で登ることの楽しさ”と言いますか。僕なんかは二代目くらいのジェネレーションとしてそれで学んできたわけですが、啓代ちゃんくらいのスキルがあれば、岩を登るというおもしろさはあっという間に感じ取れるんじゃないですかね。
野口▲(ニッコリ)

誰も実感なし!? 野口啓代、初出場W杯で3位の快挙

――平山さんから見た野口さんですが、学生時代から印象に残った……単純に「スゴイな」と感じたポイントのようなものはどこにあったのでしょう。
平山●そうですね……驚いちゃったのはドイツで行なわれた世界選手権ですか……。
野口▲ああ、初めて一緒に行った大会ですね。
平山●そう、啓代ちゃんなんかと一緒に行っていたんですよ。そこで「活躍するだろうな」と思っていた日本の選手がことごとくダメだったんですよ。その中で啓代ちゃんが優勝争いをしていて「えっ!? スッゲー!!」って。
野口▲初出場だったんですけれどね(笑)。
平山●その世界選手権は、初めて“日本チーム”みたいな形で行ったんです。それで唯一、リードの部門で決勝に残っていて、しかも優勝争いをしている。もうみんな自分のことのように啓代ちゃんを応援していたのを覚えています。
野口▲(ニッコリ)

viva76_08.jpg平山●おそらくですけれど、そんなに調整とかをしてドイツに行った感じでもなかったんですよ。
野口▲まあ初出場ですから、とにかくなにもわからなかったです。
平山●そういった中で、優勝争いするようなクライミングができる。それはもう才能かな、と思いました。僕としましては、日本の子たちというのは身体的にはそこそこ才能があるのかな、と思っていたんですよ。そこで啓代ちゃんが突き抜けているとはそれまでは感じていなかったのですが、あの大舞台で花を咲かせちゃうところがいまとなっては啓代ちゃんなのかな、と改めて思いますね。
野口▲自分でもビックリでしたから(笑)。
平山●もちろん他の子以上に身体的にも向いていたんだと思います。ただ、そのこと以上に「ここぞ!」という場面で力を出してしまう。それが啓代ちゃんの才能、なんでしょうね。
――では野口さんにそのときのことを思い出していただきましょうか。
野口▲そうですね……当時16歳で、そのときからワールドカップや世界選手権に参加ができたのですが、それまでは国内大会でも2位とか3位ばかりだったんですよ。それでも協会のほうから派遣をしていただいて出ることになったんですね。
――はい。
野口▲平山さんはもちろんのこと、日本のトップ選手たちと一緒にドイツに行きましたが、ホントに付いていっただけというか「自分がここに来ていいのかな?」みたいな感じでした。
――それでいながら……
野口▲はい。本番にしたって予選、準決勝とただただ目の前の課題を登った……という印象しかないんです。世界のトップ選手たちの顔も名前も知らないような状態でいながら行って、登って、気が付いたらギリギリで決勝まで残っていたんですよ。8位での進出だったと思うのですが、ファイナルでいちばんいい登りができて、結果的に3位に入ることができたんです。自分がいちばんビックリというか、あんまり実感がなかったですよね。
――3位で終えてからの周りの反応などはいかがでしたか。
野口▲いやもう……相当ビックリしていたと思います(笑)。なにせ自分が「準決勝に残れるかな? ビリになったら恥ずかしいな……」という気持ちで行った大会でしたから。
平山●ほっぺたつねったよね(笑)。
――平山さんをして、そんな古いアクションをしてしまうほどの実感のなさ(笑)。
野口▲リード競技って、表彰台に乗るためにはいまでもかなり調整していいコンディションで行かないと難しいんです。それが初出場で3位……繰り返すようにいま3位になっても相当ビックリするくらいですから、周囲も私も実感がなくて当然だったと思います、はい(笑)。

viva76_03.jpg『BACE CAMP』が担うクライミング伝播への道

――さて、平山さんの『BACE CAMP』というのはクライミングジムであり、また平山さんのマネジメント業務もされています。
平山●はい、そうですね。
――平山さんに次いで所属されたのが野口さんですね。
野口▲はい。2012年の4月に声を掛けていただきました。マネジャーさんも所属する事務所もなかったですから喜んで……と言いますか、「私でいいんですか?」って感じでした(笑)。
――それでCM出演にも繋がったわけですしね。
野口▲あれはCM製作の方が私が出ていた『情熱大陸』をたまたまご覧になっていて、お声掛けしていただいたんです。
――それで平山さんだけでなく、野口さんの知名度も上がっていけばジムの……というよりもクライミングの認知度も高まっていって、手軽なスポーツのひとつになっていきそうですね。
平山●私たちの知名度はともかく、いまの状況がクライミングにとってありがたいのは間違いないですね。
野口▲アウトドア業界全体と言えますが、追い風ですよね。
――おふたりがクライミングの、ひいてはアウトドア業界全体の牽引者と言えますね。
野口▲まあ、私ができることというのは私が個人でテレビ番組に出させていただいたり、様々なメディアに取り上げていただく……という個人でできるレベルですが、平山さんの場合は、The North Face Cupを仕切っていたり、クライミング界を支える組織を立ち上げたりされています。
平山●うん。
野口▲私はまだ個人のレベルですが、平山さんがやっている企画であったりイベントなりにドンドン参加させていただいて、少しでも協力させてもらえればと思います。
平山●いやいやいや、ありがたいことですよ(笑)。
野口▲私はまだまだ乗っかる側です(笑)。
平山●ははは。まあクライミング界のことで少し思うのは、ジムや大会なんかにしてもひとつの潮流……流れがあるといいのかなあと思いますよね。いまはどうしてもバラバラにやっていますので、いろいろな大会に出るとなると選手のコンディショニングが大変だと思うのですよ。トップコンディションのときにいちばんいい大会に出たいですよね? そうい流れを作るのには協会のようなものが仕切ったほうがいいのかとも感じますし。
野口▲はい。
viva76_06.jpg平山●ジムなんかにしても安全面の共有など様々な面で手を繋げたりして……啓代ちゃんがCMに出たりして業界のことを広めてくれることで、みんながひとつの流れに乗れたらいいんじゃないかなあとは最近よく思いますね。『BACE CAMP』も近々参加させていただけるジムの連盟みたいなものもあるのですが、そこはまだ10店舗くらいのものだったりするんです。それでも少しずつ流れが作られていっているのかな、お役に立てれば……と思って参加させていただきます。
野口▲まずは大きなジムが手を繋いで……という流れにはなるのかもしれませんね。
平山●ああ、これはお話ししておかないといけないかと思いますが、新しい流れというのはリスクもあるわけです。新しくなりすぎて、クライミングの原点を忘れてしまうような状況になり、ふと気が付いたらつまらない競技になっていたらどうしようもないですし、またなりかねないとも思います。
――はい。
平山●登るスピードだけで順位を付けてしまったり……去年のロンドンオリンピックで注目されましたが、柔道って勝負がハッキリしなくなってきたというか、判定の仕方とかを見ていると、これまで私たちが行なって、そして見てきた柔道とかけ離れていますよね。そうならないようにそのスポーツのルーツというか、本質を顧みないとおかしくなると思います。
野口▲そうですよね。一般受けがよくてもクライマーが見て、やっておもしろくないクライミングになっちゃったらいけませんよね。
平山●最終的に一般の人も見抜いちゃうと思います。これは違う、って。
野口▲はい。これは浅い、ってなりますよね。
平山●なので牽引という話に戻るのでしたら、自分なんかはもう一度クライミングのルーツや本質を振り返らせる役割なのかな、と。で、啓代ちゃんはドンドン前に突っ走っていく、そんな感じですかね。
野口▲(ニッコリ)
――しかし平山さんにしたってまだまだ裾野を広げていく役割も大きくありますよね。“細かすぎて伝わらないモノマネ”というのを見ていたら「世界に誇るクライマー、平山ユージ」ってモノマネをしている芸人さんがいましたよ(笑)。
平山●あああああ、ありましたね! 自分でもビックリしましたよ(笑)。
野口▲あはははははは。
平山●まあでもこれからは啓代ちゃんに……。いや、これまでは僕がクライミング界の広報的な役割で前面に立ってやって来たと思うのですけれど、啓代ちゃんたちに早くバトンタッチしていきたいなと……
野口▲いやいやいや、まだまだですよ、まだまだ平山さんも頑張っていただかないと。
平山●いつまでも僕なんかが表に立っているのもなんですし、ひょっとしたらそれで彼女たちが出づらい部分もあるかもしれませんけどね。
野口▲いや、それはないのですが、やっぱり周りの方々は平山さんのことを必要だと思っているからこそお声がかかるわけですから。
平山●ははは、ありがとう(笑)。でもクライミング界にも新陳代謝があって、啓代ちゃんなり若い人たちが広報部隊になってもらわないとね。クライマーとしての結果はもう啓代ちゃんは出しているわけだからね。
野口▲ありがとうございます(笑)。でも、いちばんいい形でクライミングのことを伝えないといけないですから、それは難しいことですよね。
平山●まあ、その点は自分もまだまだ修行中ですよ(笑)。
野口▲えええっ、そんなそんな(笑)。
平山●でもまあ若いスポーツですしね、若い子が元気に伝えて行くのがいいですよね。僕がまだ必要という場面でしたら、僕も若いつもりで頑張りますから。ははは。

viva76_09.jpg今後――そして「プロクライマー」というもの

――最後にひとつこんなことをうかがいます。平山さんには2年半前にもうかがいましたが、「プロクライマー」というもの……たとえばプロのスポーツ選手というと、プロ野球の選手だとかサッカー選手などわかりやすい例はありますが、「クライミングでプロになる」というのはちょっとイメージしにくいですよね。
平山●そうですね。
――そこで、野口さんがプロのクライマーになろうと思った瞬間やポイントというのはどういったことだったでしょうか。
野口▲はい、そうですね……ずっと小学生、中学生、高校生とクライミングを続けてきましたが、「プロでやっていこう」と考えてクライミングをしていたことってないんですね。ホントにクライミングが好きで、「次の大会で勝ちたい、もっと強くなりたい」そんなシンプルな思いでクライミングをしていました。
――はい。
野口▲そんな中で、先ほども出ました2005年のミュンヘンで行なわれた世界選手権に出ることになり、その3年後のシーズンである08年はリードではなくボルダリング部門でワールドカップに出ていまして、毎回2位とか3位とか、けっこういい位置をキープしていたんですよ。優勝はなかったですけれどね。で、そのときちょうど入ったばっかりの大学1年生だったのですが、1年生のときに初優勝できるかが自分の中で重要だったんですよ。
――気持ちとしての期限を切っていたわけですね。
野口▲で、1年生の春に連戦で2カ月くらいヨーロッパに行ってしまったんですけれど、そのときに初優勝できたので、これは帰国したら大学を辞めて、ワールドカップに出続けて年間チャンピオンを目指してやっていきたいな……って決心ができました。
――初優勝とこの遠征がプロになるきっかけということですね。
野口▲そうなりますね。やっていける根拠も自信もありませんでしたが、「もうやれるところまではやろう!」って気持ちでした。18歳のなにもできない元大学生で、ってだけになっちゃいましたから(笑)。
――いえいえ(笑)。それで5年の月日が流れましたが、この5年はいかがでしたか。
野口▲うーん、ホントに年々自分ができることを積み上げていって、いまも変わらずワールドカップには出ているわけですが、環境や自分の考え方とかもそうですし、それにクライミングに関してできる幅も広がったな……とは思います。それにはもちろん周りの支えがあって、去年の4月からは平山さんの事務所に入ったことでメディアの活動やクライミングを普及させるお仕事がとても増えました。それは自分や自分たちクライミング界にとってもすごく嬉しいことですよね。
――「やれるところ」がドンドン大きくなっていきましたね。
野口▲ワールドカップに出続けたいと決めてからは成績も安定して、年間チャンピオンにも大学を辞めた翌年になれましたしね(ニッコリ)。簡単な言い方ですが、人生が変わった5年になりました。

viva76_10.jpg――平山さんの年齢まで行くのにもまだまだ20年以上ありますしね(笑)。
野口▲あははは。でも20年後に平山さんのようになれている自信はありませんよ。
平山●なに言ってるの、まったく(笑)。
――平山さんから見て、野口さんのこの5年間はいかがでしたか。
平山●まずはもう大学を辞めるという決断が啓代ちゃんらしいですし、それで本人が考えたとおりに結果を出していったのはスゴイですよ。退路を断つではないですが、しっかりやってきたんだなあ……というのは改めて思いますね。で、いま5年経って、タイトルも掴みました。
――はい。
平山●それはキツイと思うんですよ。みんなは“勝つ啓代ちゃん”を期待するわけです。そういったプレッシャーもあるでしょうし、いまはその環境でなにを見て、なにを学び、なにを進化させていくのか……? それができるのが啓代ちゃんだと思うので、これから先も楽しみですよね。それでバトンタッチじゃないですけれども、クライミングも広めていってもらって……どんどん役割は重くなっていくんじゃないかと思いますが、プロとしてやっていく上では、競技と仕事を両立させていかなければなりませんからね。そういった意味で、これからも進化していく啓代ちゃんが楽しみです。
――茨城にも素晴らしいお父さんがいらっしゃいますが、こちらにもお父さんのような方が……(笑)。
平山●わははははははは!
野口▲そんなに平山さんは私と離れてませんよ、年齢(笑)。
平山●それはないよ(笑)。お父さんといくつ離れているんだろう。3歳くらい?
野口▲そんなに近いんですかねえ。平山さんが69年生まれで……。
平山●お父さんは?
野口▲64年生まれです。
平山●じゃあ5歳か(笑)。
野口▲いや、でも私の父とは比べものにならないですよ。あはは。
平山●ははは。……まあそれはともかく、僕も17歳でアメリカに渡っていますし、同じような道を歩んでいる啓代ちゃんの気持ちはわかる気がするんですよね。
野口▲ありがとうございます(笑)。
――そんなおふたりがクライミングを世に広める伝道師として活躍し続けますこと、お祈りいたしております。おふたりの活動によって(ジムエリアで壁に登る子供たちを指して)、あそこにはクライミング界の明るい未来がいるわけですから。
平&野●そうですね(ニッコリ)。
平山●バトンタッチとかそういうことも言いましたが、僕もまだまだ現役のクライマーですし、頑張って壁に岩に登って、そしてクライミングを世に広めていきたいと思います。
野口▲平山さんという大きな存在とともに、私自身もまだまだ強くなって、そしてクライミングの楽しさ、素晴らしさを伝えていけるように頑張ります。
――今日はどうもありがとうございました!
平山●こちらこそ(ニッコリ)。
野口▲ありがとうございました(ニッコリ)。

viva76_07.jpg

構成・松本伸也(asobist編集部)

 

 











読み物 VIVA ASOBIST   記:  2013 / 04 / 04

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