はいコチラ、酔っぱライ部

赦してポン!

2015 / 03 / 03

東京・渋谷にあるショッピングビル「東急プラザ」が閉館するという。どんな建物もいつかは……と考えれば「まあ仕方ないかな」、とも思うけれど、このビルには比較的思い出がたくさんあるのでやはりどうしても「残念だな」、と思う気持ちは捨てきれない。

編集者との打ち合わせや、今はほぼ100%データ送信になってしまった画稿を渡すのにいちばん多く使ったのがこのビルの中にある喫茶店だったかもしれない。打ち合わせや原稿渡しを済ませて地下の鮮魚店や精肉店で買い物をして帰るのがいつも楽しみだった。

また、たまに車でここへ行って屋上の駐車場までエレベーターで運ばれるのも好きなイベントのひとつで、車も修理から戻ってきたことだし、営業を終えてしまう前にもういちど車ごと屋上へ運ばれたい、と心の中で密かに考えている。

その裏手にある駐車場の入り口や、地下食料品街でちらりと見えるバックヤードの様子には、やはりいささか老朽化の趣があるのは否めないから、あるいは閉館もやむを得ないのかもしれない。ただ、近年愛用していた地下のモツ肉専門店が移転もせずになくなってしまうのはいかにも惜しい。

まぁ愛用と言っても三カ月に一度ほどしか訪れていないから、「じゃあもっと行ってレバ、繁盛店と言うことで『移転』になっていたかもしれない」とも思うものの、モツ専門店の閉店だけに「レバ」はないのである。

さて、閉館と同時に館内にあるレストランや店舗も閉店する。中でもロシア料理専門店のロゴスキーは古くから多くの人々に親しまれていたから、「移転・営業再開」の報を聞いて喜んでいる人も多いだろう。

ロゴスキーは存続するらしいけどモツ肉の店はどうやらなくなるらしい。残念至極だが、こうしてレストランや居酒屋、専門店などが閉店する間際に賑わうことにはどうしても違和感がつきまとってしまう。

これは今回のように雑居ビル内にある店舗がビルの閉館に伴って姿を消すならともかく、街中でひっそりとその名を消していく店はやはり「客が入っていれば閉める必要はなかっただろう」と思うからである。つまり店主側になにか特殊な理由がある場合を除けば、閉店間際の賑わいほどの客が入っていれば閉める必要はないのだ。

だから「閉店」と聞いて勇んで店を訪れ「どうして閉めちゃうの? もっとやってくれればいいのに……」などと言う「常連でもない」客の言葉を聞くと、つい「アンタが来てりゃ閉めなくてすんだんだよ!」と心の中でなじってしまうのである。

しかるに「閉店」という話を聞いて「残念」と思いこそすれ、間際に慌ててそこを訪れるなどということは、けっしてするまい、と心に決めている。閉店してから自分の中で「なくなった無念」を胸に「もっと行けばよかった」と後悔すればよいのである。

長くなったけれど、こうして「なくなって初めてその大切さがわかる喪失感」ってあるよね、というのが今回のお話です。

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今回は「アンチョビ・オリーブ」をどうぞ。
お酒はワインが合いそうですね

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先日のこと。妻が会社を立ち上げたことを言祝ぎに、友人2人が一升瓶をぶら下げて我が家を訪れてくれた。おいしい食事を作って歓待し、それはそれは楽しくておいしかったのだが彼らが帰った後、風呂場で滑って転び、右肘をバスタブの縁でしたたかに打ってしまった。

酔っていたのでその場は「痛えな」ですませて寝てしまったのだが、目が覚めると案の定、肘の内側に見事なブルーができている。

さほど大きく腫れることはなかったので幸い骨に異常はないようだが、それでも何かの拍子に椅子などを移動しようとして支えるためにその場所を使ってしまい、ズキリ、と痛みの走ることがある。「肘のこんな場所、こんな風に頻繁に使っていたとは知らなんだ」と驚くのは、不注意でケガをしてしまったときのおきまりだ。

指先を紙などでスパリ、と切ってしまったときや、足の小指を家具などにぶつけて悶絶したときなど、体の一部が「ここにいるぞ!」と大声で主張しているかのようである。あらためていつもないがしろにしていたことに「すまん」と心の中で謝るのだが、キズが治ってしまえば喉元の熱さを忘れるのも、またいつものことなのであった。

ことほどさように日頃「ないがしろにしていたこと」を悔いるのは人間の特性のようで、好みの店の閉店を知らされたときや、いつもは意識していなかった体の一部になにがしかの役割があることをケガによって示されたときなど、店主や体の一部に心で瞑目して手を合わせるのである。

思えばこういう「喪失感についての心の痛み」はあんがい心の平穏のために有効なのではないか、と言う気がする。それはこれから述べるこんな経験で考えたことだった。

以前、仕事場まで通う電車の沿線に中高大学一貫校ができて朝夕の行き帰りの車内に素行のよろしくない中高生があふれたとき、声を荒げて注意して後味の悪い思いをしたことがあった。

駅に到着してドアが開いても、カバンを足の間に置いたままドア際から動かない男女の中学生に「こういうときはいったん降りるもんだよ!」と、つい大人げない言い方をしてしまったのだが、その声によって作られたなんとも怯えた表情を目にして深く気持ちがふさいだのだ。袖すり合うも多生の縁。いずれ多少のすれ違いや摩擦があるのは避けられないことだけど、それにしてももう少し言い様はなかったものかと後悔した。

そんなことをSNSでつぶやいたら「そういうときはとても丁寧にいうといいですよ」という答えが返ってきて、なるほどと思ったものだった。「たいへん申し訳ありませんがいったん降りていただけませんか?」などと言われたらさぞ恐縮することだろう。それに対してまたさらに……と言うことも考えられるが、幸いまだその手法を試す機会には恵まれていない。

ところでそんなつい(あまり好きな言葉ではないけれど)「ムカツク」心持ちになったときにはこう考えればいいのではないかと思いついたことがある。車内や路上ではた迷惑な、あるいは傍若無人な動きを目にしたとき、

「ああ、もしこの子が重い病にかかってしまったら……」

思わずこう考えてその素行不良を見逃したのだ。その状況を想像すること。親兄弟や周囲の友人知人は皆病床を訪れて心配することだろう。さらにそれが不治の病であったなら、それは心配ではすまぬ、おそらくは憐憫の情を持って接することになるであろうこと、想像に難くない。つまり。

その不良な素行をしている子供の「死」を想像して赦したのだ。

もちろんそんな「究極の想像」は思わず、のこと。いわば生体反応のようなものなので意図せず、ということで諒解していただきたい。とはいえ思わずそう考えて「赦す心持ち」になれたことも事実である。

想像だけで実害のあるわけでなし、もしかしたらこんな心の動きひとつでよもやの戦争や殺人事件なども起こらずにすむことだってありはしないか、とこのところのくらいニュースばかりの報道でつい遠い空を見上げてしまった春浅い午後だったのであります。
 

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てなわけで今回のかんたんレシピは「アンチョビ・オリーブ」。そのまま食べてよし、かりっとしたバゲットに載せてよし、のお手軽な一品。

d20150303_pic2.jpgいずれにしてもなんとかならんかこの世の中、とため息をひとつついて今回もこの辺で。いろいろあるよ、いろいろね♪ 次回更新までにいろんなことが落ち着いていますように。次回は3月17日更新の予定です。

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